■体感・・・
「反抗するは、向き合おうとする証である。」との釈迦の言葉を前回のブログで紹介しましたが、釈迦の説法は、だらだらと長くは無い。集約した言葉を提示し、後は、自分で悟れ・・と言った具合です。
思案し難儀し苦悩した末に頂いた言葉は、集約された言葉でも、ゆっくり考えれば(自分と向き合う)れば、ちゃんと理解が可能である。
随分と思案し苦しみもがいても分からない、答えが出ない。幾ら教えて欲しい・・と懇願しても知らん顔をし、答えてはくれない場合が有る。もう7~8年も答えを求めて苦しんでいた。その末頂いた言葉は、「資質である・・。」たったそれだけの言葉だ。1で、100を知る・・・そんな感じである。その一言で、悩んでいた事の全てを理解する事が出来きた。
様は、体感である。山ほどのすばらしい教えの長本を覚えてしまう程に1000回読むよりも、世の中の有様や人を見たり聞いて知るよりも、自分が体感し思案し苦しみもがき悩んだ行く末に辿り付いた(頂く)言葉や説法は、たった一言でも、100を知る事が出来る。答えが解る。
随分と経ってやっと・・「もう、そろそろ理解が出来る頃だろう・・」と、その時を見計らって、釈迦は、集約した言葉を発する。そして、理解が出来る。
故に、先のブログ(その1)で釈迦は、変化球を投げる・・・ひねくれ者だ・・と言った訳だ。
釈迦は、厳しい・・・しかし、慈悲と慈愛に溢れている仏様である。反抗ばかりする私に言ってくれた言葉が有ります。「お前には、反抗したくとも反抗する親も誰も居ない。故に私が受け止める。」私は、早くに、両親を亡くしていましたから、反抗期には板戸に成れず網戸であったのかも知れない。長い間そうだったのかも知れない。(釈迦との会話その2に網戸と板戸について記してます。)
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