Unknowingly Lost Days.

日記だの思いだの呟くブログ

段々と悪くなっていっているのが感じてくる

2019-10-17 00:35:26 | 日記

今年の8月で、通院歴8年経ちました。
現在、9年目ですね。

最初の頃は、エビリファイとかそんなに薬貰ってなかった覚えがあります。
親から無理やり転院させらた後くらいでしょうか?
症状に対して、抗うつ剤や睡眠薬を何故か処方されなかったり、
高校生の頃は、なんとか凌いでました。
でも、短大生の頃は、新しい環境で人見知りするのと体力が無かったり、うつというハンデ(あまり好ましくない表現ですが)を抱え、
朝早く起きて電車に乗り、通学したりして、講義も寝ていたり、自分の興味のある分野なのに、理解が追いつかない焦りや周りとの意思疎通がとれないことから、浮いてしまい…
結局は、休学からの退学。
その間は、アルバイトで接客。
でも、そもそも人との接触が苦手な僕にとって、接客業は不向きでしたね。
それでも、なんとか周りの評価は得られるように頑張ってましたが、精神や体力はすり減るもので、
結局、全部が嫌になって東京へ。

東京に来てからも、住む場所も転々と…あー、そういえば2ヶ月ほど開放病棟ですが入院していましたね。
あれから一時期は良くなったようなのですが、1年前の6月に一人暮らししてから、冬まではアルバイトしたり、ある意味元気でした。

ただ、冬になると一転、体が思うように動かなかったり、試しに病院を変えてみたら、自分とは合わず、酷く眠りの浅い睡眠に全体的に調子を崩してしまい、結局は東京に来てから通っていた病院に戻ることに…

そこから、春までは体が動かない、しんどい。夏も気力が出ない、よっぽどじゃないと外に出るのも億劫になり、引きこもりがちに…
春に処方されたモディオダールも夏くらいまでは、効いていたのですが、この頃は朝飲んでも昼過ぎには眠くなってしまいますね。

それに、タバコの吸う本数も増えた気がします。

急な眠気やある程度運動した翌日がほとんど動けなかったり、喜怒哀楽もあまり出ないですね。
些細なことに苛ついたり、悲しんでしまったり、憂鬱になったり、自己嫌悪したり…
負の感情がとても強いです。

たまたま、先日池袋に行ったのですが、ノイズキャンセリング付きのヘッドホンで音楽を掛けてないだけでも、
不安や泣きたくなるくらいの恐怖心が出て困りました。
あまり人混みや雑踏が好きな方じゃないのですが、ここまで拒否反応起こしてるのは久々な気がします。

満員電車も出来る限り避けるようになりましたね。
元から出不精というのもありますが、あの人混みの窮屈さに長時間居るというのが怖いですし、
考えるだけでもゾッとします。
というより、8月に名古屋行ったときに乗った満員電車でかなり不安や恐怖心に駆られていたので、
当分は人混みを極力避けますね…

それに、去年の冬のように、もうそろそろ冬です。
今でも、精神面は良くなく、これから悪くなることを考えると、何でこんな思いまでして生きてるんだろうなぁって。
さっさと死ねるのが楽でしょうが、死ぬ気力も度胸も無いですし、
死ぬのが怖い…躊躇っているという点をなくさない陰り、当分は自ら死を選んで実行するなんて出来ないでしょうね。

また、自傷行為(ここではリストカット)自体も2年くらいやってないんですよ。
あれだけ、やっていたのに、今はそういう気持ちも沸かないです。
まぁ…あれは誰かに見つかった時のSOSだったり、自分のグチャグチャな感情をぶつける為にやっていた側面もありましたので、
一人暮らしであまり他人との接点もありませんし、自分のグチャグチャした感情は上手い捌け口を見つけられないまま溜め込むことになり、結局自傷行為はしてないですね。

まぁ…たまに自分なんてどうなってもいいやみたいな感情はちょくちょくありますよ。
稀にオーバードーズはやりますが、そもそもそんな危ない…簡単に致死量に達するほどの薬なんて持っていませんので、
結局は、その「自分なんてどうなってもいい」というのを消したい為にやってるだけなんですけどね。

結局は、あれこれ上手く感情を吐き出すことも出来ず受け入れてしまうのは前から変わらず、
自分自身が嫌いで、自己肯定感も無いですし、そもそも自分に取り柄がないことなんて昔からで、
そんな昔のまま、今も生きています。

過去は忘れたいです…でも、夢の中で、ふとした瞬間に思い出して、自己嫌悪するのも昔と変わらず。
誰かが私を肯定したとしても、素直に受け入れられないのも昔から。
裏があるんじゃないかと考えてたりはしないんですが、自分のやっていることはそんなに難しくもなく、
誰もが少し知識を得るだけで簡単に追い抜けるものだと信じてるから、
それに、私より凄い人は沢山見てきましたので、その上を見上げて、自分なんてまだまだという考えもあります。
自分がやっていることは、大したことじゃないっていうのが根っこにあるんだと思います。
才能なんて私には、ありゃしませんし。

沢山のことを見聞きしたり、覚えたい欲があっても、
結局は自分の気力が出なかったなんて適当な言い訳つけてやってない私自身の落ち度の結果なので、
自分のことを褒められたりしても、素直に受け取れませんし、
自分のことを大切だと思われても、左手首には無数の傷跡、今現在も自分のことを大切だとはこれっぽっちも思ってません。

まぁ…昔と比べたらある程度諦めというか、敢えて私の好きな曲から引っ張り出すなら、『少し冷めた感じで 生きる知恵もついたよ』でしょうか。
例えるなら、人と衝突してしまうことや自分の意見(本音)を言うことを極端に避ける、理不尽なこと言われても「そうですね」って言い返さず受け止めるとか、とにかくとにかく自分を抑え、受け止められることを進んでやってるようになりましたね。
人と衝突して、嫌なこと言われたりしたら、中々消えてくれませんし、昔のことでもふとした瞬間に思い出しては、傷つくだけですから…

受け止めるには、それ相応のキャパシティが必要ですが、それ以前に私のキャパシティなんてとっくの昔に崩壊してるので、
自分で抱え込む、受け止めることに関しての感覚が麻痺してしまってるのかもしれませんね。
自分が自分を抑えて、それでフラストレーションが溜まったとしても、吐き出し口なんてありませんし、
数日寝込むか数日更に鬱々してるくらいですから…もう慣れました。

既に書いてますが、端から自分を大切にしようなんて思いは当の昔に無くなりました。
それに、ここ数年は悪化の一方を辿るばかりなので、もういいやって諦めてます。

自分の性格や根っから染み付いてる自己否定感や自尊心が皆無って所を無くさない限りは、治らないと思ってます。
でもそれが、簡単に治るとは思いません。
如何せ、私は過去と今のこの現状に縛られてますから…
過去は簡単に消えない、良い思い出なんて簡単に消える癖して、悪いことばかり残ってしまう…
今ですら、鬱々した感情と眠気や気力の無さに縛られてますし…

まぁ…どこから間違えたかなんて前に書いた様な気がしますが、答えとしてそもそも生まれてきたことから間違えてるんでしょうね…
如何せ、私は何をするにも全て劣っていた本当に駄目な人ですので。


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