牧場というところはいつもベビー・ラッシュなのだろうが、それでも人間の赤ん坊となると話は違う。首も座らない乳児が3人揃っているのは壮観だった。
谷地田ファームは馬メインの牧場で、住吉神社の神馬を預けている関係で私も3度ほどうかがったことがある。今回は、夏祭りで神馬2頭を神社に運ぶのでその打ち合わせに来た光さんに、私とサクヤさん、鷹史さん、都ちゃんが連れて来てもらった。前回、私がついて来た時は赤ん坊は、農場主の長男さんとこの男の子、輪くんひとりだったが、今回、さらに2人、双子の赤ちゃんのアヤメちゃんとアカネちゃんが増えていた。その2人が例によって、並外れていた。
鷹史さんや都ちゃんを見慣れて来た私でも、やっぱり目を奪われてしまう。細いプラチナブロンドの髪に深い青緑色の目をしているのだ。そしてやっぱりホタルの見える赤ん坊だった。
谷地田ファームを経営しているのは住吉の織居家の遠縁で、双子も別系統の遠縁ということだ。私はまだ行ったことがないが、双子の家は日本海に浮かぶ小さな島で住吉神社の奥宮を祀っているらしい。島の真ん中に神馬の放牧場があって、老齢でもう繁殖や競技に出なくなった馬の療育所になっていた。島には小さな診療所しかないので、臨月を迎える前から双子のお母さん、イリスさんはファームに身を寄せていたそうだ。
イリスさんが東欧から来た外国人なので、赤ちゃんの髪が銀色であることについて鷹史さんの場合ほどは不思議がられない。それでも目立つものは目立つ。何と言ってもイリスさん自身が目を奪われるような美女。そしてどうやら桜さんクラスの不思議パワーの持ち主で、島では『魔女』と呼ばれているらしい。島からホタルを3人連れて来ているが、ファームにも常駐のホタル達がいるので赤ん坊達の子守は手が余るほどだった。
赤ん坊はみんな可愛いものだけど、誇張ではなく天使のような双子だった。輪くんもいつも機嫌が良くて可愛らしいので、3人揃っていると大人はみんな周りに集まってしまって仕事ができない。私と都ちゃんも赤ん坊に釘付けだった。首が座らないのでまだ抱っこは怖いけれど、じっとこっちを見てにぱあと笑われると、もうメロメロになってしまう。どれだけ写真を撮ってもまた撮りたくなる。
「これでさっちゃんの赤ん坊も生まれたら一段と賑やかになるな」
輪くんのお父さんの峡一郎さんがニコニコした。
「その頃には輪くんは掴まり立ちして目を離せないぐらいかもしれんけど」
「でも一緒に遊べるでしょう」
「ええなあ」
赤ん坊を囲む大人達にはホタルが見える人も見えない人もいる。でもここの家族や従業員は、”見えない”住人がいることに慣れているようだ。
「瑠那は住吉での暮らしに慣れたか」
イリスさんは日本語を覚えた時の教材が偏っていたのか、男言葉というか女王様口調で、それがまた似合っている。
「はい。おかげさまで、毎日賑やかで楽しいです」
「ほんまに?」
サクヤさんが言葉を挟む。
「瑠那はあまり自分の気持ちを言うてくれんから。ほんまに大丈夫? 遠慮して言いたいことも飲み込んどるんやない?」
「そうなのか?」
イリスさんのエメラルドのような深い緑色の大きな目で見つめられると、ドキマギしてしまう。
「うーん。自分でもまだよくわからないけど。人がたくさんいてあれこれ珍しいことばかりで、とりあえず寂しいとか思う暇はないです」
「住吉の連中はみんな能天気でぽやあっとしているからな」
イリスさんがズバっと言うので光さんが笑い出してしまった。
「まあ、多少世間離れしている点は認めるよ。世間さまに説明できないようなことばっかり起きるしね」
そう言いながら赤ん坊の方を見ると、ちょうど3人とも、ホタルのヤトにあやされて同じ方を見てケタケタ笑っているところだった。しかしそのヤトは光さんには見えないのだ。
島とファームのホタルには7人の元締めがいて、ちょっと不思議な名前がついている。ミナト、ヤト、カリコボ、ヤマワロ、スセリ、ククリ、ノヅチ。先生に聞くと、水や火や蛇などに関わりのある神様や精霊の呼び名だったりするらしい。個性がはっきりしているので、すぐ見分けられるようになった。私自身がホタルに慣れてきたせいもあるかもしれない。関係者それぞれで違うイメージで見ているかもしれないので、とりあえず赤ん坊達とビジュアルを共有することにした。というか、手を差し出すと指をぎゅうううっと握ってくれるのである。
ヤトはまっすぐな黒い髪を地面に着くほど長く垂らしていて、一重の切れ長な目の美形である。あまり子供好きなような外見じゃないのに、一番赤ん坊の傍にいる時間が長い。ミナト、ククリ、ノヅチは島と農場を行ったり来たりして忙しそうだ。農場のカラマツ林の間を流れる渓流に、岩肌から清水の染み出しているところがあって、どうもその辺りから島を行き来できるそうだ。先生やドンちゃんも私たちと一緒に車に乗って来る代わりに、この水のバイパスで住吉と農場を移動している。ドンちゃんは新幹線に乗らなくても、水の道を通って秩父から住吉に来れそうなものだが、それはまた難しいらしい。
「途中にいくつか、大きな境界線があって、越えられないこともないけどいったん表に出て、”乗り換え”しないといけないんですよ」
この場合の乗り換えは駅のホームを渡るとかじゃなくて、多分、山とか谷を超える感じなのだろう。
「この7人は、住吉の連中とはまた違った見解や知識を持ってるから、気になってることを聞けばいい」と先生が私に耳打ちした。
気になってること? 山ほどある。どれから聞いたらいいかわからないぐらいだ。
「そうか。そしたら瑠那と都は、私と散歩しよう。妊娠中、窮屈だったので少し羽を伸ばしたいのだ。つきあってくれ」
「え。君たち3人で行くのか。待って。僕も行く」
イリスさんと止めたのはアヤメちゃんとアカネちゃんのお父さん、武藤教授だ。ノン太のいる大学で生態学の研究をしているそうだ。イリスさんとはだいぶん年の差婚だったそうで、赤ちゃん達の父母に混ざるとちょっと世代格差がありそうだ。
「大丈夫か。ゲートを見に行くのだが」
武藤教授は逆にイリスさんに心配されている。どうやら武藤教授もホタルが見えないタイプらしい。
「え。馬で行くつもりなのか。だったらますます付いて行くよ。君、飛ばすつもりだろう」
出産後にようやく馬に乗っていい許可が出たところらしい。それでもまだ駆け足は禁止されているのだが、武藤教授は信用していないらしい。
「初心者の瑠那が一緒なんだから飛ばさない。それにリゲルに乗るんだから彼女が私に無理させるわけがない」
谷地田ファームの馬は人間の状況を理解してくれる賢いコばかりだ。私でも安心して遠乗りできる。
「久しぶりに来れたんだから、僕も乗馬の練習する。いいだろう」
「勝手にしろ」
男同士のようなぞんざいな口調に聞こえるが、武藤教授とイリスさんは周囲が照れてしまうぐらいの熱々夫婦なのだ。
ゲートというのは、ホタル達が水脈を渡って遠隔地に移動する門のことだ。ファームから住吉や奥宮にワープできる。時空間が不安定な場所なので、定期的に手入れが必要なのだそうだ。
都ちゃんは馬を走らせながら的を射る流鏑馬の訓練をしているらしい。中学生になったら競技会のようなところに出場するそうだ。携帯電話に入っている前回の流鏑馬の写真を見せてもらった。衣装がカッコいい! 絶対、都ちゃん、似合いそう!と私が興奮して言うと、都ちゃんは照れて赤面していた。
武藤教授の飛び入りで少し出発が遅れたが、一同で乗馬用のトレイルをたどってポッカポッカなだらかな丘陵地を馬に乗って歩いた。住吉でも都ちゃんは動物たちに大人気だったが、ここでもすごかった。リスが樫の木からジャンプして来て都ちゃんの帽子に飛び乗ったり、カケスが肩に止まったり、シカやカモシカが林からこちらを見に来たりする。教授が言うには、イリスさんと出掛けるといつもこんな感じらしい。今回はイリスさんと都ちゃんで、効果がダブルのようだ。
人間が馬でのんびり歩いている頭上を、ホタル達はふわふわ漂って付いてくる。先生とドンちゃん、カリコボとヤマワロが一緒に来ていた。島組の3人は一昨日から島に帰っているらしい。竹籠やカマ、剪定バサミや竹箒など獲物を持って、ゲートの手入れにやって来たのだ。ヤマフジやアケビの蔓が茂り過ぎると木が弱るので、適度に間引かないといけない。切った蔓は、ファームの木工班が加工して籠やリースを作る。トレイルの両側のブッシュもところどころ刈り込んで歩きやすくする。落枝なども、脇に除けて道を整備する。
そんな作業をしたり、サルの親子を見て喜んだりしながら、小1時間ほどトレッキングすると、ゲートについた。馬たちを尾根道に放して、人間とホタルだけで沢筋に下りる。谷に下りるとまたたくさん鳥が集まって来て、武藤教授が歓声を上げていた。笹薮やイタドリの茂み、クズの蔓などをカマで切り拓き、沢に降りやすく道を作った。ヤナギやクルミ、ハンノキに囲まれた沢に下りて、中洲を渡り、沢沿いに20分ほど綺麗な水の中を歩いた。子育て中らしいカワガラスが警戒音で鳴きながら、私たちの行軍を見に来た。流木で出来た天然のダムの中をカワネズミが泳いで行って、武藤教授がまた喜んでいた。夜行性なので日中こんな傍で見るのは珍しいらしい。
「しかし、こんなに動員出来るんじゃ、僕の仕事なんて何なんだろうって思うね」
教授は野鳥や両生類、哺乳類などの分布、食性などを研究しているそうだ。都ちゃんやイリスさんがいる時の動物たちの行動は、果たして自然の分布と言って良いのかどうか、確かに判断に悩むところだ。
岩清水が滴り落ちる岩壁の下にコバルトブルーの大きな淵が出来ていた。ドンちゃん達は歓声を上げて飛び込んで行った。先生まで童心に戻ったように、3匹と一緒になって水の中ではしゃいでいる。
「こら。お前たちだけで楽しんでないで、島の連中を呼んでやれ。島にはあまりいい川がないからな」
イリスさんに叱られて、4匹はるーともろーともつかない独特の声で歌い始めた。ハモって不思議な響きが聴こえる。カジカガエルとかハルゼミの声みたい。4、5分ほど歌っただろうか。水面からつるっとホタルが現れた。ククリ、ミナト、ノヅチの3匹だ。7匹集まって楽しそうなので、しばらくホタル達を水遊びさせておくことにして、私たちは綺麗な石が敷き詰められた中洲で長靴を脱いで、足を谷川に浸しながら持って来たおにぎりを食べることにした。ランチタイムの間に、ヤマセミとアカショウビンが目の前で魚を捕まえてくれたので、また教授が大喜びしていた。
濡れた足を乾かして長靴を履くと、沢から尾根筋に戻った。都ちゃんが口笛を吹くと、藪の中で遊んでいた馬たちが帰って来た。乗る前にダニがついていないか念入りに毛皮を調べた。シカのいる森はマダニが多いのだ。
帰り道は作業が無いからあっと言う間だった。ファームに戻って沢で水遊びした話をすると、サクヤさんが羨ましがった。うーん。どうだろう。ブッシュは手入れしたけど、妊婦向きのトレッキングだろうか。
(大丈夫だろ。サクヤは7歳から馬に乗ってるんだから)
鷹史さんが言うと、イリスさんも太鼓判を押した。
「トレイルも沢筋の藪も綺麗にして来た。サクヤなら楽勝だ」
「ありがとう。ほな、行ってくるわ」
サクヤさんと鷹史さんが、2頭連れ立ってゲートの方にポカポカ歩いて行ってしまった。そんな2人を、都ちゃんがとても羨ましそうに見送っていた。そうか。都ちゃん、ずっとこんな気持ちで過ごしてたんだな。
鷹史さんは『内緒』と言っていた。『向こうに行ってみないとわからない』と。
鷹史さんが“向こう”に行ってしまったら? サクヤさんはどうするんだろう。都ちゃんは? 私と出会った時の桜さんみたいに、近くにまた出て来ればいい。でも新さんみたいに帰って来なかったら?
1時間もしないうちに、鷹史さんとサクヤさんが帰って来た。くすくす笑いながら、この上なく楽しそうだ。幸せそうなサクヤさんの顔を見ていると、どうしても葵さんのことを思い出してしまう。あんな寂しそうな顔、サクヤさんにも都ちゃんにもさせたくない。
鷹史さんは私の視線に気づくと、またいつもの5歳児みたいな顔でにこおっと笑うと、人差し指を口につけて『内緒』というゼスチャーをした。このやろう。あの笑顔を見ると殴りたくなる、というきーちゃんの気持ちがちょっとわかった気がする。どうしてそんな気楽そうな顔で笑ってるのよ。もうすぐ赤ちゃんも生まれるのに。赤ちゃんとサクヤさん置いて、どこか消えちゃうつもり? ちゃんとサクヤさんに、説明してるんでしょうね? 私にしたみたいな雑なやつじゃなく。私が睨んでいるので、鷹史さんは馬の上からこちらにピースサインを寄越した。このやろう。殴ってやろうかしら。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます