エクルーが空を見上げて太陽の位置を見た。
「そろそろかな? もうちょっと歩こうか?」
地面に膝をついて、たたんだシートを手早くザックにしまっている姿をサクヤはじっとみつめていた。ほとんど白に近い銀髪が傾き始めた日にすけて輝いている。つい、と手を伸ばして髪に触れた。
「ん?どした?」
髪をなでながらサクヤが言った。
「ううん。ただ、ずっと高いところにあったから。あなたが小さい頃は”子供扱いするな”なんて言って頭なんか触らせてくれなかったし。いつも指ですいてみたい、と思ってたの」
「いいけど、思う存分触って」
何の表情も浮かべないで、ほとんど機械的といってもいいしぐさで”いいこ、いいこ”となでていたサクヤはちょっと笑った。
「今はもういい。日があるうちにもっと進むんでしょ?」
尾根道を歩きながら、エクルーが急に笑った。
「ずっと一緒にいたのに知らなかったよ、サクヤが髪に触りたいと思ってたなんて。言えばいいのに」
「だって」
「だって何?」
サクヤは言いよどんだ。
「難儀な性格だなあ。俺の接触テレパスなんて何の役にも立ちぁしない」とエクルーが笑った。
「ほらほら、何でもお腹に貯めてないで言っちゃいなよ」
「……私がまだ小さかったから、家族と別れて一緒に地球に飛んでくれたでしょう。その後も、ずっと一緒にいてくれたでしょう。ずっと思ってたの。私と会わなかったら、エクルーは真っ当な人間らしい暮らしができたはずなのにって」
「真っ当な暮らしって例えば?」
「例えば、奥さんもらって子供を育てるとか……。あなたは何でもできる人だし」
エクルーはげらげら笑った。笑いすぎて涙がこぼれるくらいだった。
「そんなバカなこと考えて、髪触るのも我慢してたんだ。そんなことで煮詰まって、昔、俺から逃げたりしたんだね?」
「……ええ。私と離れれば、あなたの時間は正常に流れ出すと思ったのよ。その通りだったけど」
「暗示までかけて、記憶を消して、俺から逃げた。ひどい話だ。昔から時々、突拍子もないこと思いつく人だったけど」
エクルーはまだ笑っていたが、サクヤの手をとって、先に立って歩き出した。
「ホント、ひどい話だよ。俺の気持ちなんか無視だもんな。まあ、すぐまた見つけたからいいけど。あの顛末の一番いいことは、記憶失ってた間に6年分の時間を取り戻して、サクヤの背を抜いたことだと思ってるのに」
「背なんて、気にしてたの?」
「いつまでも小さな子供のままじゃ、サクヤを守れないじゃないか。だから、頭なでられると癇癪起してたんだよ」
「そんな事考えていたなんて、全然知らなかった」
「お互いにね」
むき出しになった岩盤の周囲に、半円形を描いてペリの樹が育っていた。
「何だか、生垣みたい。人工的なものね?」
「そう、昔、こっちで干ばつをやり過ごしたイドリアン達が植えたんだ。ここから神域だよ」
生垣の下枝が切り取られている隙間を、エクルーはひょいっとくぐった。
「ほら、こっち。ここから入って」
生垣の内側に入り込んだサクヤは、しばらく言葉を失った。
岩盤の前に白い巨石が積み上げられて、アーチが作り上げられていた。その巨石の表面には、唐草模様のような、ヘビのような、イドリの人々がよく意匠に用いる連続模様が彫られていた。
「ヤトが言うには、こっちに身一つで来ちゃって、喰うにも困らないし、やる事ないし、イドリアンも暇だったんだろうって。あと100年くらいこっちにいたら、文字でも作ったろうに、って言ってたよ」
「彼らしいわね。この石……雪花石膏みたい。内側から光ってる。ところどころ、青く光るし……まさか」
「そう、光を浴びて、力が弱くなった蛍石だよ。堆積されて、こんなひとつ石になってる層もあるんだね。この尾根はあちこちにこういう露頭がある。それをひとつずつ、ここに運んだんだよ」
アーチの下に、地下に下りる石段が続いていた。先に降り始めて、エクルーが手招きする。
「灯りは要らないの?」
「一応、ザックに持ってるけど要らないよ、大丈夫」
石壁のところどころに明かり取りの窓が穿たれていて、角度によって間接、直接の日の光が差し込んでいた。石段は意外に長く、下るにつれて明かり窓の間隔が広くなる。薄暗い石段を降りながら、先の明かりの中にエクルーの姿が現れるとほっとする。でも、すぐ暗闇に消えてしまう。消えて……二度と現れなかったら?
「待って」
「石段は等間隔だから、慌てずに下りれば平気だよ」
遠くから声が返ってくる。
「待って、待ってちょうだい!」
切迫した声にエクルーがびっくりして立ち止まった。身軽に駆け上ってくると、サクヤの手を取った。だまって、光の射している段まで手をつないで下りた。
「ちょっとここに座って、休憩しよう」
横に座って、両手を温めた。
「ごめん、先を急いじゃって。ゆっくり深呼吸して。大丈夫、ここにいるから」
サクヤはがたがた震えていた。手が氷のように冷たい。ザックから毛布を二枚出すと、一枚を石段に敷いてそこにどっかと座った。
「ほら、座って。抱っこしてあげる」
ふたりですっぽり毛布にくるまっても、なかなかサクヤの身体は温まらなかった。暗闇に下りていく石段で、初めて実感したのだ。エクルーを失うというのはどういうことか。
「小さいサーリャと、よくこうやって毛布にくるまったなあ。冬の夜に星を見たがったり、北風の強い日に鳥を見たがったりするものだから、分厚い毛布に包まって目だけ出してさ。サーリャと見ると、見慣れてたはずの景色も、ひとつひとつすごく新鮮だった。生まれたばかりの赤ん坊のように、どんなにか鮮やかに写ってたんだろう」
「私、そんなにわがままだった?」
「うん、サクヤももっとわがまま言ってくれていいのに。物足りないよ」
「どんなわがまま言って欲しい?」
「そうだなあ。髪に触りたい、とか」サクヤの黒い髪をすきながら言った。
「抱きしめたい、とか」両腕でほっこりサクヤを包みながら言った。
しばらくじっとエクルーに寄りかかっていたサクヤが搾り出すように言った。
「ずっと、あなたといたい」
「うん」
「もう我慢しない、逃げたりしない。たくさん我がまま言って、あなたを困らせたい」
「うん。それから?」
「それから、それから……」
しゃくりあげながら、小さな女の子のようにサクヤは泣いた。ペトリに来て以来、どれだけ泣いたかわからない。まだ、こんなに涙が残っていたのが不思議だ。いつも当たり前のように穏やかに側にいてくれた、銀髪の青年。兄のようで、弟のようで、双子のように一緒に過ごしてきた人。自分の半身。もうとっくに一人では生きていけなくなっていた。
「サクヤ?」
「ええ」
「日が落ちる前に下に下りたいんだ。泣いてていいから、動き出そう」
「うん」
毛布を片付けると、エクルーはサクヤを横抱きにして石段を下り始めた。サクヤは慌てて抗議した。
「自分で降りられるわよ」
「その腫れた目で、足元が見えるもんか。いいんだ、これは俺の我がままなんだから。絶対、こういうことさせてくれなかっただろう?」
「こういうこと?」
「恋人同士みたいなこと」
石段を下りてゆく。光と影が交互に回廊を包む。
「それにしても、あきれちゃうな。俺が真っ当な人生なんか送りたいと思ってたなんて」
「だって」
「だって、何?」
「あなた、いつも友人に囲まれてたじゃない。女の子もたくさんいたし。一緒に出かけたりしてたじゃない」
「うん、それは認める。だって、若いうちはやっぱり……ちょっといろいろあるんだよ。サクヤは絶対触らせてくれなかったし」
「いつも、挨拶代わりにキスもハグもしてるじゃない」
「だから……そういうのじゃなくって」
「そういうのじゃなくって?」
「……わかってて聞いてるだろう?」
「私に触りたかったなんて知らなかった。ずっとあなたの生活を邪魔しないように、あなたを独占しないように、と気をつけていたのに」
「その心無い配慮のおかげで、どれだけ俺が傷付いてきたか知らないだろう」
「そうなの?」
「俺だからダメなんだろう、と思っていろいろ友人を連れて来て、引き合わせたりしたのに」
「誰かに私を押し付けて、自分は逃げたいのかな、と思ってた」
エクルーはリズミカルに石段を下りながら、しばらく絶句していた。
「同じ相手に何万年も失恋し続けているなんて、報われないよな」
「失恋なんかしてないじゃない」
「そうかな」
「そうよ。今、花婿さんみたいに私を抱いているのは誰?」
回廊が次第に広くなって、前方にアーチの形のオレンジがかった光が見えた。
「間に合った。光があるうちに、見せたかったんだ」
そこは天井の高いドームになっていた。大きな祭壇のように白い石で縁取られた泉があって、泉の奥が青く光っていた。
「蛍石ね」
「イドリアンの聖堂だったんだよ。ほら上を見て」
天窓からオレンジの西日が差し込んで来た。その天窓に透かし彫りが施されていた。ホタル達。イドリアン、ルパ、カヤ、いろんな花々。サクヤが見とれているうちに、エクルーが床にシートと毛布を広げた。
「首、痛くなるよ。寝っ転がって、ゆっくりみよう」
大きな聖堂の真ん中で、床に寝転がって、ふたりで順番に指差しながら天窓や天井の彫刻を見ていた。オレンジの光が次第に赤みが強くなって、ピンクがかった青紫に変わっていくと、彫刻の表情も変わるようだった。日の光が弱くなるにつれ、白い蛍石の中の結晶が青く明滅した。気が付くと、床も壁もうすく光っている。
「何てこと。この聖堂全体が蛍石なのね」
「大きな蛍石の岩盤を掘りぬいて造ったんだよ」
「すごい。素晴らしいわ」
二人は手をからめた。
「良かった。これを一緒に見たかったんだ」
天窓から星の光が射すようになっても、二人は静かに横たわっていた。エクルーは顔を寄せると、サクヤの耳元にひとこと囁いた。サクヤは驚いて、向き直った。
「そんなこと……できるのかしら?」
「船には一緒に行くだろう? 俺の光をサクヤが回収してくれればいい。だから約束して。今度の大崩壊も生き延びて。それが、俺を生かすことになる。君はひとりにはならない」
「また会える?」
「また会える。信じる?」
「信じるわ。約束する。きっと今度も生き延びるわ」
エクルーは上体を起して、サクヤの顔をのぞき込んだ。
ふわっと銀の髪が下りて来る。
「キスしていい?」
「もうしてるじゃない」
「うん……でも、いい?」
「いいわよ。けど……」
「けど、何?」
「瞳を見せて」
サクヤは両手でエクルーの顔を包むと、瞳をのぞき込んだ。
「この明るい色。この瞳が私の初めて見た光だった。母の夢の中では、何もかも冷たい、無彩色の世界だったから」
初めて自分から引き寄せて、サクヤはエクルーにそっとキスをした。
「この光について行こうと思ったのよ。私のポーラー・スターだわ」
エクルーは、サクヤの肩に顔を埋めてうめくように言った。
「どうして今頃になって、そんな事言うかな」
「言ってなかったかしら」
「聞いてないよ。俺だってね。初めて塔の地下に忍び込んで眠っているサーリャを見て以来、もう……捕まっちゃったんだからね。士族の責任も、星読みとの確執も、地球に行ったらどんな生活が待っているかとか、全部吹っ飛んじゃって、ここまで一緒に来ちゃったんだからね」
「あら、まあ、じゃあ……私達、両思いじゃないの」
「頼むから、そんなのん気な声で、他人事のように言わないでくれよ」
「あら、これでも十分、感動してるんだけど」
その緊張感のない声にエクルーはがっくりして、身体を支える腕まで脱力してしまった。
「重い、重い。つぶれちゃうわ」
朝日の射す石段を上がりながら、時々エクルーが振り返った。
「もう怖くない?」
「ええ」
朝日に髪が透けて、瞳も一段と明るく見えて、今にも光の中に溶けてしまいそうだった。眩しい。
「また会えるってわかったから」
「え、何か言った?」
「ううん」
「そろそろかな? もうちょっと歩こうか?」
地面に膝をついて、たたんだシートを手早くザックにしまっている姿をサクヤはじっとみつめていた。ほとんど白に近い銀髪が傾き始めた日にすけて輝いている。つい、と手を伸ばして髪に触れた。
「ん?どした?」
髪をなでながらサクヤが言った。
「ううん。ただ、ずっと高いところにあったから。あなたが小さい頃は”子供扱いするな”なんて言って頭なんか触らせてくれなかったし。いつも指ですいてみたい、と思ってたの」
「いいけど、思う存分触って」
何の表情も浮かべないで、ほとんど機械的といってもいいしぐさで”いいこ、いいこ”となでていたサクヤはちょっと笑った。
「今はもういい。日があるうちにもっと進むんでしょ?」
尾根道を歩きながら、エクルーが急に笑った。
「ずっと一緒にいたのに知らなかったよ、サクヤが髪に触りたいと思ってたなんて。言えばいいのに」
「だって」
「だって何?」
サクヤは言いよどんだ。
「難儀な性格だなあ。俺の接触テレパスなんて何の役にも立ちぁしない」とエクルーが笑った。
「ほらほら、何でもお腹に貯めてないで言っちゃいなよ」
「……私がまだ小さかったから、家族と別れて一緒に地球に飛んでくれたでしょう。その後も、ずっと一緒にいてくれたでしょう。ずっと思ってたの。私と会わなかったら、エクルーは真っ当な人間らしい暮らしができたはずなのにって」
「真っ当な暮らしって例えば?」
「例えば、奥さんもらって子供を育てるとか……。あなたは何でもできる人だし」
エクルーはげらげら笑った。笑いすぎて涙がこぼれるくらいだった。
「そんなバカなこと考えて、髪触るのも我慢してたんだ。そんなことで煮詰まって、昔、俺から逃げたりしたんだね?」
「……ええ。私と離れれば、あなたの時間は正常に流れ出すと思ったのよ。その通りだったけど」
「暗示までかけて、記憶を消して、俺から逃げた。ひどい話だ。昔から時々、突拍子もないこと思いつく人だったけど」
エクルーはまだ笑っていたが、サクヤの手をとって、先に立って歩き出した。
「ホント、ひどい話だよ。俺の気持ちなんか無視だもんな。まあ、すぐまた見つけたからいいけど。あの顛末の一番いいことは、記憶失ってた間に6年分の時間を取り戻して、サクヤの背を抜いたことだと思ってるのに」
「背なんて、気にしてたの?」
「いつまでも小さな子供のままじゃ、サクヤを守れないじゃないか。だから、頭なでられると癇癪起してたんだよ」
「そんな事考えていたなんて、全然知らなかった」
「お互いにね」
むき出しになった岩盤の周囲に、半円形を描いてペリの樹が育っていた。
「何だか、生垣みたい。人工的なものね?」
「そう、昔、こっちで干ばつをやり過ごしたイドリアン達が植えたんだ。ここから神域だよ」
生垣の下枝が切り取られている隙間を、エクルーはひょいっとくぐった。
「ほら、こっち。ここから入って」
生垣の内側に入り込んだサクヤは、しばらく言葉を失った。
岩盤の前に白い巨石が積み上げられて、アーチが作り上げられていた。その巨石の表面には、唐草模様のような、ヘビのような、イドリの人々がよく意匠に用いる連続模様が彫られていた。
「ヤトが言うには、こっちに身一つで来ちゃって、喰うにも困らないし、やる事ないし、イドリアンも暇だったんだろうって。あと100年くらいこっちにいたら、文字でも作ったろうに、って言ってたよ」
「彼らしいわね。この石……雪花石膏みたい。内側から光ってる。ところどころ、青く光るし……まさか」
「そう、光を浴びて、力が弱くなった蛍石だよ。堆積されて、こんなひとつ石になってる層もあるんだね。この尾根はあちこちにこういう露頭がある。それをひとつずつ、ここに運んだんだよ」
アーチの下に、地下に下りる石段が続いていた。先に降り始めて、エクルーが手招きする。
「灯りは要らないの?」
「一応、ザックに持ってるけど要らないよ、大丈夫」
石壁のところどころに明かり取りの窓が穿たれていて、角度によって間接、直接の日の光が差し込んでいた。石段は意外に長く、下るにつれて明かり窓の間隔が広くなる。薄暗い石段を降りながら、先の明かりの中にエクルーの姿が現れるとほっとする。でも、すぐ暗闇に消えてしまう。消えて……二度と現れなかったら?
「待って」
「石段は等間隔だから、慌てずに下りれば平気だよ」
遠くから声が返ってくる。
「待って、待ってちょうだい!」
切迫した声にエクルーがびっくりして立ち止まった。身軽に駆け上ってくると、サクヤの手を取った。だまって、光の射している段まで手をつないで下りた。
「ちょっとここに座って、休憩しよう」
横に座って、両手を温めた。
「ごめん、先を急いじゃって。ゆっくり深呼吸して。大丈夫、ここにいるから」
サクヤはがたがた震えていた。手が氷のように冷たい。ザックから毛布を二枚出すと、一枚を石段に敷いてそこにどっかと座った。
「ほら、座って。抱っこしてあげる」
ふたりですっぽり毛布にくるまっても、なかなかサクヤの身体は温まらなかった。暗闇に下りていく石段で、初めて実感したのだ。エクルーを失うというのはどういうことか。
「小さいサーリャと、よくこうやって毛布にくるまったなあ。冬の夜に星を見たがったり、北風の強い日に鳥を見たがったりするものだから、分厚い毛布に包まって目だけ出してさ。サーリャと見ると、見慣れてたはずの景色も、ひとつひとつすごく新鮮だった。生まれたばかりの赤ん坊のように、どんなにか鮮やかに写ってたんだろう」
「私、そんなにわがままだった?」
「うん、サクヤももっとわがまま言ってくれていいのに。物足りないよ」
「どんなわがまま言って欲しい?」
「そうだなあ。髪に触りたい、とか」サクヤの黒い髪をすきながら言った。
「抱きしめたい、とか」両腕でほっこりサクヤを包みながら言った。
しばらくじっとエクルーに寄りかかっていたサクヤが搾り出すように言った。
「ずっと、あなたといたい」
「うん」
「もう我慢しない、逃げたりしない。たくさん我がまま言って、あなたを困らせたい」
「うん。それから?」
「それから、それから……」
しゃくりあげながら、小さな女の子のようにサクヤは泣いた。ペトリに来て以来、どれだけ泣いたかわからない。まだ、こんなに涙が残っていたのが不思議だ。いつも当たり前のように穏やかに側にいてくれた、銀髪の青年。兄のようで、弟のようで、双子のように一緒に過ごしてきた人。自分の半身。もうとっくに一人では生きていけなくなっていた。
「サクヤ?」
「ええ」
「日が落ちる前に下に下りたいんだ。泣いてていいから、動き出そう」
「うん」
毛布を片付けると、エクルーはサクヤを横抱きにして石段を下り始めた。サクヤは慌てて抗議した。
「自分で降りられるわよ」
「その腫れた目で、足元が見えるもんか。いいんだ、これは俺の我がままなんだから。絶対、こういうことさせてくれなかっただろう?」
「こういうこと?」
「恋人同士みたいなこと」
石段を下りてゆく。光と影が交互に回廊を包む。
「それにしても、あきれちゃうな。俺が真っ当な人生なんか送りたいと思ってたなんて」
「だって」
「だって、何?」
「あなた、いつも友人に囲まれてたじゃない。女の子もたくさんいたし。一緒に出かけたりしてたじゃない」
「うん、それは認める。だって、若いうちはやっぱり……ちょっといろいろあるんだよ。サクヤは絶対触らせてくれなかったし」
「いつも、挨拶代わりにキスもハグもしてるじゃない」
「だから……そういうのじゃなくって」
「そういうのじゃなくって?」
「……わかってて聞いてるだろう?」
「私に触りたかったなんて知らなかった。ずっとあなたの生活を邪魔しないように、あなたを独占しないように、と気をつけていたのに」
「その心無い配慮のおかげで、どれだけ俺が傷付いてきたか知らないだろう」
「そうなの?」
「俺だからダメなんだろう、と思っていろいろ友人を連れて来て、引き合わせたりしたのに」
「誰かに私を押し付けて、自分は逃げたいのかな、と思ってた」
エクルーはリズミカルに石段を下りながら、しばらく絶句していた。
「同じ相手に何万年も失恋し続けているなんて、報われないよな」
「失恋なんかしてないじゃない」
「そうかな」
「そうよ。今、花婿さんみたいに私を抱いているのは誰?」
回廊が次第に広くなって、前方にアーチの形のオレンジがかった光が見えた。
「間に合った。光があるうちに、見せたかったんだ」
そこは天井の高いドームになっていた。大きな祭壇のように白い石で縁取られた泉があって、泉の奥が青く光っていた。
「蛍石ね」
「イドリアンの聖堂だったんだよ。ほら上を見て」
天窓からオレンジの西日が差し込んで来た。その天窓に透かし彫りが施されていた。ホタル達。イドリアン、ルパ、カヤ、いろんな花々。サクヤが見とれているうちに、エクルーが床にシートと毛布を広げた。
「首、痛くなるよ。寝っ転がって、ゆっくりみよう」
大きな聖堂の真ん中で、床に寝転がって、ふたりで順番に指差しながら天窓や天井の彫刻を見ていた。オレンジの光が次第に赤みが強くなって、ピンクがかった青紫に変わっていくと、彫刻の表情も変わるようだった。日の光が弱くなるにつれ、白い蛍石の中の結晶が青く明滅した。気が付くと、床も壁もうすく光っている。
「何てこと。この聖堂全体が蛍石なのね」
「大きな蛍石の岩盤を掘りぬいて造ったんだよ」
「すごい。素晴らしいわ」
二人は手をからめた。
「良かった。これを一緒に見たかったんだ」
天窓から星の光が射すようになっても、二人は静かに横たわっていた。エクルーは顔を寄せると、サクヤの耳元にひとこと囁いた。サクヤは驚いて、向き直った。
「そんなこと……できるのかしら?」
「船には一緒に行くだろう? 俺の光をサクヤが回収してくれればいい。だから約束して。今度の大崩壊も生き延びて。それが、俺を生かすことになる。君はひとりにはならない」
「また会える?」
「また会える。信じる?」
「信じるわ。約束する。きっと今度も生き延びるわ」
エクルーは上体を起して、サクヤの顔をのぞき込んだ。
ふわっと銀の髪が下りて来る。
「キスしていい?」
「もうしてるじゃない」
「うん……でも、いい?」
「いいわよ。けど……」
「けど、何?」
「瞳を見せて」
サクヤは両手でエクルーの顔を包むと、瞳をのぞき込んだ。
「この明るい色。この瞳が私の初めて見た光だった。母の夢の中では、何もかも冷たい、無彩色の世界だったから」
初めて自分から引き寄せて、サクヤはエクルーにそっとキスをした。
「この光について行こうと思ったのよ。私のポーラー・スターだわ」
エクルーは、サクヤの肩に顔を埋めてうめくように言った。
「どうして今頃になって、そんな事言うかな」
「言ってなかったかしら」
「聞いてないよ。俺だってね。初めて塔の地下に忍び込んで眠っているサーリャを見て以来、もう……捕まっちゃったんだからね。士族の責任も、星読みとの確執も、地球に行ったらどんな生活が待っているかとか、全部吹っ飛んじゃって、ここまで一緒に来ちゃったんだからね」
「あら、まあ、じゃあ……私達、両思いじゃないの」
「頼むから、そんなのん気な声で、他人事のように言わないでくれよ」
「あら、これでも十分、感動してるんだけど」
その緊張感のない声にエクルーはがっくりして、身体を支える腕まで脱力してしまった。
「重い、重い。つぶれちゃうわ」
朝日の射す石段を上がりながら、時々エクルーが振り返った。
「もう怖くない?」
「ええ」
朝日に髪が透けて、瞳も一段と明るく見えて、今にも光の中に溶けてしまいそうだった。眩しい。
「また会えるってわかったから」
「え、何か言った?」
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