カタパルトの作動試験を始めたのは、もう11月に入った頃だった。2体前後のロボットで1m四方、約200キロの腐葉土コンテナを地中に埋めるためには、いろいろ工夫が必要だったからだ。まず、水脈沿いにソナーで探査して大木が根を張れるような岩盤の無いポイントを選ぶ。決めた座標まで、コンテナを空飛ぶカーペットで運ぶ。カーペットの四隅にはドリルがついていて、1.5m掘削した後、カーペット全体がリフトのように穴の底に下りてコンテナを地下に下ろすのだ。
結局ジンは、ロボットには誘導とコンテナ設置の微調整のみで、ドリルもリフトも持たせないことにした。作業用スーツのようなごついロボットも試作したが、とても量産できないし、後で置き場所にも困るからだ。空飛ぶカーペットだけでも大体の作業はできるのだが、主に広報のためにキューキュー鳴くガードナー・ロボットが必ず一緒に飛んでくる。それを楽しみに、どんなに”危ないぞ”と注意しても、イドリアンの子供達がジュータンを追いかけて走ってくるのだ。
今日も10人ばかりの子供とルパにまたがった年寄り3人が、カーペットの試運転を見物していた。興味を持ってもらうのはいいことだと思って、ジンはそれぞれのポイントの植えつけスケジュールとどこの苗床ドームから飛んでくるのかを、リストにして各集落に配ることにした。今日のコンテナで7コめだが、子供たちは今まで植えた6コを毎日観察していて、口々に”まだ何も出てないよ”と報告するのだ。”春に長雨が降るまで芽は出ないよ”とジンが説明したのは30回できかない。
子供のひとりが歓声をあげた。
「あ、ほら。来た!」
「また2匹乗ってる!」
ジンが双眼鏡で見ているのに、イドリアンは子供も年寄りも遠目が利くのだ。グレンがストップウォッチで試運転のタイム・キーパーをしていると、弟たちが時計を持ちたがって騒いだ。
「持たせてもいいけど、ボタンを押すんじゃないぞ。時間を読み上げて。掘り終った時と、コンテナが下りた時と、リフトを引き上げた時。わかったか?」
みんなで穴の周りに群がって、口々に状況を報告するのでさらに大騒ぎになった。
「掘ってる」 「5分45秒」
「石のけた」 「6分05秒」
「掘った」 「6分47秒」
「掘り終わった!」 「7分58秒」
「ドリルしまった」 「8分03秒」
「コンテナ下り始め」 「8分15秒」
「底についた」 「8分23秒」
「リフト戻って来た」 「8分45秒」
「土かけてる」 「9分07秒」
「ならしてる」 「9分27秒」
「終了!」 「9分45秒!」
ジンがため息をついた。「ざっと10分ってとこか。まずまずだな。」
「違うよ。9分45秒だよ」少なくとも5人の声が訂正する。
「エクルーがもう1コ飛ばすか、と聞いてるけど」グレンがジンに聞いたのに、子供たちはエクルーに答えようとする。
「今、どこいるの、エクルー」「やっほー」「どこー?」
マイクを手で覆って、グレンが「双子岩のドームだよ」と説明したのに、チビ達は背伸びしてマイクに呼びかける。
「まだ飛ばすの?」「エクルー、聞こえる?」「おーい」
ジンが大きな声を出した。
「9分45秒なら合格だ。ドームに戻ってエクルーを拾うぞ。今度は岩盤が多い玄武谷で試験しよう」
「エクルー、聞こえた?」「今からそっち行くよ」
子供の一団がさらに騒ぎ始めた。
「グレン、ノヅチが呼んでるよ」
「次のトンボが来るって」
「今度は黄色いヤツだって」
「了解」
グレンはため息をついて、イヤーカフをジンに返した。
「俺はチビ達連れて、ゲートにスオミを迎えに行くよ。夜、また苗床に行くってエクルーに言っといてくれ」
「わかった。そっちは頼む。俺はとてもじゃないが、トンボ追っかけてあんな足場の悪いとこを走れないからな」
メドゥーラに仕込まれて半年近く経つのに、何の修行もしていないチビ共の方が泉の声に敏感なのはどういうわけだ。子供の方が何でも覚えが早いもんだが、それにしても……。
ルパを駆って双子岩の泉に向かう途中、チビを3人伝令にやって昼ご飯を食べにテントに戻っていた連中を招集した。5分と遅れず全員集合した。
祠からスオミがチビたち10人を連れて現れた。手分けして、つるで編んだ大きなカゴを6コ抱えている。
「お疲れ様。こいつはどんなとこに住むトンボ?」
「水温の低いところ。岩山の上のちょっとした水場とか霧の多いところとか。それから塩気の多い湿地も」
「ここらだと、どこがいい?」
チビ達が挙げ始めた。
「巨人の背中」
「背骨の上」
「サロベツ」
「サロベツ?」
隣りの集落地から助っ人に来ているメルの声にグレンが聞き返した。
メルはパールグレーの明るいしっぽを揺らして、泉の方を見ながら答えた。
「海の側の冷たい湿地ですって。霧が多くて、昔はこのトンボがたくさんいたってヤトが言ってるわ」
「今また放して生きていけるのか?」
「来春、雨がたくさん降って湿地が広がるからちょうどいいって、ヤマワロが・・・」
「でも巨人ならヨットで50分だけど、海は船でも5時間かかるぞ。トンボが弱らないか?」
「海まで2キロのとこのゲートも開いているから、双子岩から飛べばいいって」
「いいって、誰が?」
「スセリ」
グレンはため息をついた。ミズチたちはそろってこっちの様子を見ながら、指示を与えてくれているのだ。なのに、俺にはそれが聞こえない。どうして俺って役に立たないんだろう。まあ、いいや。俺はムーアの孫で責任があるんだ。腐らずにやれることをやろう。
「メル、海の方、頼んでいいか?カゴ2つ任せて大丈夫かな。スオミ、背骨の上、頼む。チビたちが水場の場所知ってるから。俺はヨットで3つ子の巨人に行くよ。背骨は足場が悪いから、カゴひとつにした方がいいかな?」
「平気よ。飛んでいくもの」スオミが事も無げに言った。
「チビ達も?」
「5,6人なら」
希望者が殺到したが、今回は小さい方から5人が連れて行ってもらうことになった。
「おまえ達、がっかりするぞ。ほんの一瞬でいつ飛んだかわからないくらいだ」
「いいもん。スオミと飛ぶんだもん」
末の弟のジーラッハはスオミに夢中なのだ。グレンはまたため息をついた。
「で、残りの2班は? 海と巨人とどっちがいい?」
「泉かヨットか、悩むわね」妹のフェンが笑った。
「悩まなくていいよ。当分、このレースは続くんだ。テレポートでもヨットでも、またチャンスがある。ほら、早く決めろ。日が暮れるぞ」
温室ドームでも、作業が佳境に入っていた。
ドームのフリーザーがあまり大きくないので、苗床コンテナを作っては植え付け場所のドームへ運ぶ、という自転車操業だった。チューブの一部を拡張して、腐葉土を養生するためのセルを作った。キジローが、グスタフやトオルと一緒に西の斜面から土を2t運び込んで、ザクザク崩してはふるいにかけていた。
サクヤが土の分析結果を見ながら言った。
「感心するくらい有機物がないわねえ。でもカルシウムもマグネシウムも多い。その割りに塩分は少なくて助かるわ。あら、リンもけっこうある。腐植を加えればいい培養土になるわ」
「まだこんなに要るのか? コンテナ、あと30コだと言ってなかったか?」
キジローが聞いた。
「これは来年の微調整のためなの。ペトリから帰って来た植物と、イドラの居残り組みと、どう折り合いがつくか予測しきれないから」
サクヤは2体のロボットの半球型の頭を交互になでた。
「メドゥーラやイリスに相談してコンテナを作ってね」
キジローはサクヤの顔を見上げた。
「その時、あんたは……」
「どこかに雲隠れしてると思う」
「俺は?」
「あなたもね。ここにいるわけにはいかないと思うわ」
自分はその時、サクヤと一緒にいるのか聞きたかった。
「連邦にアカデミーのことを告発しても、全部片付くまで時間がかかるでしょう。スタッフや研究データは当局に渡しても、生き残った実験体は守りたいわ。強制されたテロ行為の責任を子供に嫁したくない。聞く人間がいなければ、当局も手に入れられるだけの情報で満足するしかないでしょうから」
「ジンやイリスは?」
「ただのお隣さんというフリをしてもらう。イリスは言葉がわからないフリをしてもらえばいいし、ジンはデータを誤魔化すのはお手のものだから」
「メドゥーラやグレンは?」
「やっぱりしゃべれないフリをしてもらう。もともと当局は原住民を無視するだろうから、聞きもしないと思うわ」
「アルはどうするんだ?」
「彼はあと数年、今の場所が安全だと思う。ほとぼりが冷めたら迎えに行くわ」
「スオミは?」
「彼女は一番事件の中心に近いところにいるから、ここを連れ出す必要がある。連邦警察の尋問にかけたくないもの。私たちと一緒にこの星を離れた方がいい」
キジローが思い切って聞いた。
「その”私達”の内訳を聞いてもいいか?」
サクヤがふるいから顔を上げた。
「あなたは、この仕事が終わったら何がしたい? どこへ行きたい?」
キジローはすぐには答えられなかった。イドラに来るまで、キリコを取り戻すことしか考えてなかった。今は、サクヤといたい。それが望みのすべてになっていた。だが、その望みを、俺は口に出していいのか?
サクヤはふっと微笑んだ。
「慌てることないわ。当局がここに入るのは来年でしょう。少なくともあと半年は、あなたは自由にならない。ここで一緒に働いて」
コウサクががらがらと殺菌灯のスタンドを転がしてきた。
「目に悪いですから、この先は私達でやります」
「よろしくね。ラボかキッチンにいるわ」
「夕食なら、ゲオルグが張り切ってガンボを作ってましたよ?」
サクヤがため息をついた。
「ということは、今夜もあの子はいないのね」
ペトリから帰ってきて以来、エクルーが夜、温室ドームにいたことがない。昼間は何かと忙しく出入りするくせに、夕方はどこか北の方の苗床ドームでキャンプしているのだ。
ラボにいる2人のところにゲオルグがいそいそと聞きに来た。
「ミスター・ナンブ。お魚はお好きですか? 銀海産の新鮮なトラウトが手に入ったんです。ホースラディッシュを添えてムニエルにいたしましょうか?」
「本当に新鮮なんだったら、衣無しで塩焼きにしてくれ。それに大根おろしと醤油」
「ガンボじゃなくて、豚汁にすべきでしたね」
ゲオルグは、ため息をついてキッチンに戻った。
食後の冷奴を食べながら、キジローが切り出した。
これはご飯のおかずで、むしろ前菜のようなものだ、と何度説明しても、ゲオルグにとっては冷奴は甘くないプディングで、食後のコーヒーと一緒に出したいものらしい。
「あんた、ボウズとちゃんと話したのか」
「ええ」
「それでヤツはちゃんと納得したのか」
「ええ。そう思うわ」
「じゃあ、ヤツは何で帰って来ないんだ?」
サクヤはどう考えてもトーフと合わないコーヒーのカップに目を落として返事をしなかった。
「カリコボも心配してた。俺は何も考えずにあんたに頼っちまったが、あんたが苦しむなら……」
サクヤは目をふせたまま、右手をさっと広げてキジローの目の前に差し出した。
「あんたのせいじゃないわ。それに今更抜けてもらったら困る。あなたは大したことだと思っていないみたいだけど、あなたは泉に行かなくてもミヅチと話せるし、スオミやエクルーと一息に飛べる。ただの偶然でエクルーがあなたをスカウトしたわけじゃないのよ」
「そんなこと、イドリアンならガキでもやれる」キジローが憮然として答えた。
「でもジンにはできないわ。あなたが必要なの」
キジローがため息をついた。
「仕事の話をしてるんじゃない」
「仕事の話じゃない。あなたが必要なのよ」
「でも、ボウズだって必要だろう?」
今度はサクヤがため息をついた。
「あんたが言えないなら、俺が話をつけるぞ」
「待って。わかったわ。もういちどエクルーと話をする。明日、あのコは苗床ドームのデータをこちらと同調させるために来るはずだから」
キジローはがたんと立ち上がると、サクヤの腕に手をかけてハンガーまで引っ張って行った。
「キジロー?」
「長引かせればこじれるだけだ。今、話して来い」
「別に私達、ケンカしてるわけじゃないのよ?」
「でもあんたもボウズも苦しんでるじゃないか」
「キジロー!」
タケミナカタのシートに座ったキジローがきっぱり言った。
「このままボウズが帰って来ないなら、俺がここを出て行く」
苗床ドームの外でサクヤが薄着で震えていると、エクルーが中から顔を出してため息混じりに言った。
「入んなよ。風邪ひくよ」
サクヤの肩にばふっとジャケットを投げかけて、「今ヒーターを入れたから、温まるまでしばらくこれでガマンして」と言った。
「キジロー、何て言ってたの」
「え?」
「ヨットに戻りながら、何かぶつぶつ言ってたろう」
「ああ。こんなうちから30分のところで徹夜するほど仕事あるのか、何で帰ってこないんだって」
エクルーがくくっと笑った。
「俺、帰ってもいいのかな」
「当たり前じゃない。こんなガランとしたところで、暖房もかけないで、一体何を待っているの」
「さあ。何を待ってるんだろうね」
エクルーの微笑む表情があんまり静かなので、サクヤは目をそらしてモニターの方を向いた。
「この映像、何? フィールド・ガイドなの?」
「そう。ただのリストじゃ味気ないし、毒草や毒虫に間違って触っても困るからって、メドゥーラ監修で」
「ふうん。3Dホログラムと解説文。でも、子供たちは文字が読めないでしょう」
「うん。だから音声コメンタリーを入れることにして、メドゥーラとスオミとイリスに話してもらったんだけど、3人いっぺんに話させたのがまずかった」
「どうして」
「面白すぎて編集できない」
「あらまあ」
エクルーはメニューのリストから”マダー”のガイドを呼び出した。
「これなんかケッサクだよ」
小さな白い花をつけた草の立体映像とともに、メドゥーラの声が聞こえてきた。
「花は地味だが、根は役に立つ。赤紫色の染料になるし、強心剤として利用できる」
「かじると甘くてうまい」イリスの声が割り込んだ。
「ホント?」スオミが声を上げる。
「こら。貴重な根をかじるな。第一、薬に使えるってことは毒なんだからね。まちがえば死んじまうぞ」
「でも、本当においしいの?」
「スオミ、マネするんじゃない。イリスはダイオウを1株、丸ごとかじってもケロッとしてたんだからな」
「あれは酸っぱくておいしかった」
「普通なら、一晩中ゲリで苦しむところだ。どうしても食べてみたければ、私のところに来なさい。安全なもので、お菓子を作ってやるから」
「でも、本当にうまかったぞ」イリスが主張する。
「やめんか。子供がマネしたらどうする」メドゥーラが悲鳴のような声でたしなめた。
サクヤは3人の掛け合い漫才を聞きながら、くすくす笑った。
「編集する必要ないじゃない。素晴らしい教材になるわ」
「さっきまでグレンがここにいて映像の編集を手伝ってくれてたんだけど、笑っちゃって仕事にならなかった」
ガイドは、ランダム再生モードで紫色の大輪のアネモネを映し出した。
「パスク・フラワー。この花が一番好き。花期、7月。来年、この花が咲く頃は、私達、誰もここにいないのね」
サクヤがぼんやりした声で、つぶやいた。
「今日、チビたちが騒いでたけど、双子岩のゲートが開いて、スオミを待ってる時、泉から大量にカワウソが出てきたんだってさ。1匹や2匹なら喜ぶけど、300匹はいたって言うんだ。いくら何でも、ひとところから300匹も移動するかなあ」
「昨日は赤石堰の泉からレミングが湧いたって言ってなかった? ジーラッハが1000匹いたって言い張るの。まあ、レミングなら1000匹くらい渡るのかもしれないわね」
サクヤはエクルーの始めた世間話をつなげようとしてみたが、会話ははずまず、結局沈黙が落ちた。
「俺たちだけじゃない。来年には何もかも変わる」
エクルーがぽつんと言って、サクヤの横に立つと手をとった。
「キジローはわかってるのかな。夜、サクヤを連れてくるとどういうことになるか」
サクヤは答えずに、エクルーと手をつないだまま、モニターの三方から投影されるアオイケトンボのホログラムを見つめていた。今日までで、この藍色のトンボを200体近く放した。トンボたちは思い思いの場所に飛んでいって、卵を生んだ。ノヅチが言うには、トンボが一番、天気を読むのがうまい虫らしい。トンボに教えてもらっって、他の生き物の移動場所を決めるという作戦だった。
どうせこのトンボは冬を越さない。そして、ペトリには来年の冬がないのである。それでも、泉を通して運び込んだこのトンボたちの卵が、来春孵らなかったらどうしようと思うと、身体がすうっと冷たくなる。
エクルーはモニターを見つめているサクヤを隣でじっと見ていた。もうこの人は、隣にいる俺のことなんか忘れて、自分のことも忘れて、星の心配をしているんだ。でも手を引き寄せれば帰ってくる。引き止めておかないと、この人はペトリと心中しかねない。自分の面倒もろくに見られないくせに、トンボやミンクの心配もないもんだ。俺がいなくなったら、誰がこの人の世話をするんだ?
手を引き寄せる度に、腰を抱き寄せる度に、ほら、俺たちはこんなにぴったり溶け合うのに、と思う。紅茶に入れたミルクのように。三度の和音のように。響き合ってひとつになれるのに。
胸が苦しいほど抱きすくめられて、サクヤは思わず、両手でエクルーを押しのけた。今まで、一度も拒絶されたことがないので、エクルーは一瞬頭の中が真っ白になるほどショックを受けた。
「ちがうの。ごめんなさい。私、おなかが……」
サクヤが言い淀んだ。
「つまり卵が……あの、まだ……」
エクルーはばっと跪いて、サクヤの下腹部に耳をあてた。
「まだ、ちゃんと着いてないみたいで……刺激はよくないから、あの……」
エクルーは、サクヤの言葉は聞いていなかった。一心に何かを聞き取ろうとしている。
「本当だ……いる……」
「本当? わかるの?」
「うん。ちゃんといる。生きてる」
「いるのね。良かった……」
エクルーは両腕をサクヤの腰に回して、お腹に顔を寄せたままじっとしている。
「エクルー?」
「今、初めて実感できたよ。俺たちはまた会える。やっと信じることができる」つぶやくように、お腹に話しかける。
「今まで信じてなかったの? あんなに自信たっぷりに言ってたじゃない。私、あの言葉を頼りに今まで……」
「ごめん。ウソついてた。でも、今は本当だ。もう怖くない」
エクルーはがばっと立ち上がって、サクヤの腕をつかんだ。
「温室に帰ろう」
「エクルー?」
「こんな冷えるところで寝かせられるもんか。サクヤは無頓着だし、どうせキジローには話してないんだろう?」
「ええ」
「俺以外に、誰がナニーをやるのさ。自衛しなきゃ。さ、帰るぞ」
朝、温室に出てきたキジローは、デッキのタープで、サクヤとエクルーがまるで2ヶ月齢の2匹の仔犬のように寄り添って寝ているのを見つけて、ふっと笑った。そして、キッチンに入ると、ゲオルグを手伝わせて朝食を作り始めた。
結局ジンは、ロボットには誘導とコンテナ設置の微調整のみで、ドリルもリフトも持たせないことにした。作業用スーツのようなごついロボットも試作したが、とても量産できないし、後で置き場所にも困るからだ。空飛ぶカーペットだけでも大体の作業はできるのだが、主に広報のためにキューキュー鳴くガードナー・ロボットが必ず一緒に飛んでくる。それを楽しみに、どんなに”危ないぞ”と注意しても、イドリアンの子供達がジュータンを追いかけて走ってくるのだ。
今日も10人ばかりの子供とルパにまたがった年寄り3人が、カーペットの試運転を見物していた。興味を持ってもらうのはいいことだと思って、ジンはそれぞれのポイントの植えつけスケジュールとどこの苗床ドームから飛んでくるのかを、リストにして各集落に配ることにした。今日のコンテナで7コめだが、子供たちは今まで植えた6コを毎日観察していて、口々に”まだ何も出てないよ”と報告するのだ。”春に長雨が降るまで芽は出ないよ”とジンが説明したのは30回できかない。
子供のひとりが歓声をあげた。
「あ、ほら。来た!」
「また2匹乗ってる!」
ジンが双眼鏡で見ているのに、イドリアンは子供も年寄りも遠目が利くのだ。グレンがストップウォッチで試運転のタイム・キーパーをしていると、弟たちが時計を持ちたがって騒いだ。
「持たせてもいいけど、ボタンを押すんじゃないぞ。時間を読み上げて。掘り終った時と、コンテナが下りた時と、リフトを引き上げた時。わかったか?」
みんなで穴の周りに群がって、口々に状況を報告するのでさらに大騒ぎになった。
「掘ってる」 「5分45秒」
「石のけた」 「6分05秒」
「掘った」 「6分47秒」
「掘り終わった!」 「7分58秒」
「ドリルしまった」 「8分03秒」
「コンテナ下り始め」 「8分15秒」
「底についた」 「8分23秒」
「リフト戻って来た」 「8分45秒」
「土かけてる」 「9分07秒」
「ならしてる」 「9分27秒」
「終了!」 「9分45秒!」
ジンがため息をついた。「ざっと10分ってとこか。まずまずだな。」
「違うよ。9分45秒だよ」少なくとも5人の声が訂正する。
「エクルーがもう1コ飛ばすか、と聞いてるけど」グレンがジンに聞いたのに、子供たちはエクルーに答えようとする。
「今、どこいるの、エクルー」「やっほー」「どこー?」
マイクを手で覆って、グレンが「双子岩のドームだよ」と説明したのに、チビ達は背伸びしてマイクに呼びかける。
「まだ飛ばすの?」「エクルー、聞こえる?」「おーい」
ジンが大きな声を出した。
「9分45秒なら合格だ。ドームに戻ってエクルーを拾うぞ。今度は岩盤が多い玄武谷で試験しよう」
「エクルー、聞こえた?」「今からそっち行くよ」
子供の一団がさらに騒ぎ始めた。
「グレン、ノヅチが呼んでるよ」
「次のトンボが来るって」
「今度は黄色いヤツだって」
「了解」
グレンはため息をついて、イヤーカフをジンに返した。
「俺はチビ達連れて、ゲートにスオミを迎えに行くよ。夜、また苗床に行くってエクルーに言っといてくれ」
「わかった。そっちは頼む。俺はとてもじゃないが、トンボ追っかけてあんな足場の悪いとこを走れないからな」
メドゥーラに仕込まれて半年近く経つのに、何の修行もしていないチビ共の方が泉の声に敏感なのはどういうわけだ。子供の方が何でも覚えが早いもんだが、それにしても……。
ルパを駆って双子岩の泉に向かう途中、チビを3人伝令にやって昼ご飯を食べにテントに戻っていた連中を招集した。5分と遅れず全員集合した。
祠からスオミがチビたち10人を連れて現れた。手分けして、つるで編んだ大きなカゴを6コ抱えている。
「お疲れ様。こいつはどんなとこに住むトンボ?」
「水温の低いところ。岩山の上のちょっとした水場とか霧の多いところとか。それから塩気の多い湿地も」
「ここらだと、どこがいい?」
チビ達が挙げ始めた。
「巨人の背中」
「背骨の上」
「サロベツ」
「サロベツ?」
隣りの集落地から助っ人に来ているメルの声にグレンが聞き返した。
メルはパールグレーの明るいしっぽを揺らして、泉の方を見ながら答えた。
「海の側の冷たい湿地ですって。霧が多くて、昔はこのトンボがたくさんいたってヤトが言ってるわ」
「今また放して生きていけるのか?」
「来春、雨がたくさん降って湿地が広がるからちょうどいいって、ヤマワロが・・・」
「でも巨人ならヨットで50分だけど、海は船でも5時間かかるぞ。トンボが弱らないか?」
「海まで2キロのとこのゲートも開いているから、双子岩から飛べばいいって」
「いいって、誰が?」
「スセリ」
グレンはため息をついた。ミズチたちはそろってこっちの様子を見ながら、指示を与えてくれているのだ。なのに、俺にはそれが聞こえない。どうして俺って役に立たないんだろう。まあ、いいや。俺はムーアの孫で責任があるんだ。腐らずにやれることをやろう。
「メル、海の方、頼んでいいか?カゴ2つ任せて大丈夫かな。スオミ、背骨の上、頼む。チビたちが水場の場所知ってるから。俺はヨットで3つ子の巨人に行くよ。背骨は足場が悪いから、カゴひとつにした方がいいかな?」
「平気よ。飛んでいくもの」スオミが事も無げに言った。
「チビ達も?」
「5,6人なら」
希望者が殺到したが、今回は小さい方から5人が連れて行ってもらうことになった。
「おまえ達、がっかりするぞ。ほんの一瞬でいつ飛んだかわからないくらいだ」
「いいもん。スオミと飛ぶんだもん」
末の弟のジーラッハはスオミに夢中なのだ。グレンはまたため息をついた。
「で、残りの2班は? 海と巨人とどっちがいい?」
「泉かヨットか、悩むわね」妹のフェンが笑った。
「悩まなくていいよ。当分、このレースは続くんだ。テレポートでもヨットでも、またチャンスがある。ほら、早く決めろ。日が暮れるぞ」
温室ドームでも、作業が佳境に入っていた。
ドームのフリーザーがあまり大きくないので、苗床コンテナを作っては植え付け場所のドームへ運ぶ、という自転車操業だった。チューブの一部を拡張して、腐葉土を養生するためのセルを作った。キジローが、グスタフやトオルと一緒に西の斜面から土を2t運び込んで、ザクザク崩してはふるいにかけていた。
サクヤが土の分析結果を見ながら言った。
「感心するくらい有機物がないわねえ。でもカルシウムもマグネシウムも多い。その割りに塩分は少なくて助かるわ。あら、リンもけっこうある。腐植を加えればいい培養土になるわ」
「まだこんなに要るのか? コンテナ、あと30コだと言ってなかったか?」
キジローが聞いた。
「これは来年の微調整のためなの。ペトリから帰って来た植物と、イドラの居残り組みと、どう折り合いがつくか予測しきれないから」
サクヤは2体のロボットの半球型の頭を交互になでた。
「メドゥーラやイリスに相談してコンテナを作ってね」
キジローはサクヤの顔を見上げた。
「その時、あんたは……」
「どこかに雲隠れしてると思う」
「俺は?」
「あなたもね。ここにいるわけにはいかないと思うわ」
自分はその時、サクヤと一緒にいるのか聞きたかった。
「連邦にアカデミーのことを告発しても、全部片付くまで時間がかかるでしょう。スタッフや研究データは当局に渡しても、生き残った実験体は守りたいわ。強制されたテロ行為の責任を子供に嫁したくない。聞く人間がいなければ、当局も手に入れられるだけの情報で満足するしかないでしょうから」
「ジンやイリスは?」
「ただのお隣さんというフリをしてもらう。イリスは言葉がわからないフリをしてもらえばいいし、ジンはデータを誤魔化すのはお手のものだから」
「メドゥーラやグレンは?」
「やっぱりしゃべれないフリをしてもらう。もともと当局は原住民を無視するだろうから、聞きもしないと思うわ」
「アルはどうするんだ?」
「彼はあと数年、今の場所が安全だと思う。ほとぼりが冷めたら迎えに行くわ」
「スオミは?」
「彼女は一番事件の中心に近いところにいるから、ここを連れ出す必要がある。連邦警察の尋問にかけたくないもの。私たちと一緒にこの星を離れた方がいい」
キジローが思い切って聞いた。
「その”私達”の内訳を聞いてもいいか?」
サクヤがふるいから顔を上げた。
「あなたは、この仕事が終わったら何がしたい? どこへ行きたい?」
キジローはすぐには答えられなかった。イドラに来るまで、キリコを取り戻すことしか考えてなかった。今は、サクヤといたい。それが望みのすべてになっていた。だが、その望みを、俺は口に出していいのか?
サクヤはふっと微笑んだ。
「慌てることないわ。当局がここに入るのは来年でしょう。少なくともあと半年は、あなたは自由にならない。ここで一緒に働いて」
コウサクががらがらと殺菌灯のスタンドを転がしてきた。
「目に悪いですから、この先は私達でやります」
「よろしくね。ラボかキッチンにいるわ」
「夕食なら、ゲオルグが張り切ってガンボを作ってましたよ?」
サクヤがため息をついた。
「ということは、今夜もあの子はいないのね」
ペトリから帰ってきて以来、エクルーが夜、温室ドームにいたことがない。昼間は何かと忙しく出入りするくせに、夕方はどこか北の方の苗床ドームでキャンプしているのだ。
ラボにいる2人のところにゲオルグがいそいそと聞きに来た。
「ミスター・ナンブ。お魚はお好きですか? 銀海産の新鮮なトラウトが手に入ったんです。ホースラディッシュを添えてムニエルにいたしましょうか?」
「本当に新鮮なんだったら、衣無しで塩焼きにしてくれ。それに大根おろしと醤油」
「ガンボじゃなくて、豚汁にすべきでしたね」
ゲオルグは、ため息をついてキッチンに戻った。
食後の冷奴を食べながら、キジローが切り出した。
これはご飯のおかずで、むしろ前菜のようなものだ、と何度説明しても、ゲオルグにとっては冷奴は甘くないプディングで、食後のコーヒーと一緒に出したいものらしい。
「あんた、ボウズとちゃんと話したのか」
「ええ」
「それでヤツはちゃんと納得したのか」
「ええ。そう思うわ」
「じゃあ、ヤツは何で帰って来ないんだ?」
サクヤはどう考えてもトーフと合わないコーヒーのカップに目を落として返事をしなかった。
「カリコボも心配してた。俺は何も考えずにあんたに頼っちまったが、あんたが苦しむなら……」
サクヤは目をふせたまま、右手をさっと広げてキジローの目の前に差し出した。
「あんたのせいじゃないわ。それに今更抜けてもらったら困る。あなたは大したことだと思っていないみたいだけど、あなたは泉に行かなくてもミヅチと話せるし、スオミやエクルーと一息に飛べる。ただの偶然でエクルーがあなたをスカウトしたわけじゃないのよ」
「そんなこと、イドリアンならガキでもやれる」キジローが憮然として答えた。
「でもジンにはできないわ。あなたが必要なの」
キジローがため息をついた。
「仕事の話をしてるんじゃない」
「仕事の話じゃない。あなたが必要なのよ」
「でも、ボウズだって必要だろう?」
今度はサクヤがため息をついた。
「あんたが言えないなら、俺が話をつけるぞ」
「待って。わかったわ。もういちどエクルーと話をする。明日、あのコは苗床ドームのデータをこちらと同調させるために来るはずだから」
キジローはがたんと立ち上がると、サクヤの腕に手をかけてハンガーまで引っ張って行った。
「キジロー?」
「長引かせればこじれるだけだ。今、話して来い」
「別に私達、ケンカしてるわけじゃないのよ?」
「でもあんたもボウズも苦しんでるじゃないか」
「キジロー!」
タケミナカタのシートに座ったキジローがきっぱり言った。
「このままボウズが帰って来ないなら、俺がここを出て行く」
苗床ドームの外でサクヤが薄着で震えていると、エクルーが中から顔を出してため息混じりに言った。
「入んなよ。風邪ひくよ」
サクヤの肩にばふっとジャケットを投げかけて、「今ヒーターを入れたから、温まるまでしばらくこれでガマンして」と言った。
「キジロー、何て言ってたの」
「え?」
「ヨットに戻りながら、何かぶつぶつ言ってたろう」
「ああ。こんなうちから30分のところで徹夜するほど仕事あるのか、何で帰ってこないんだって」
エクルーがくくっと笑った。
「俺、帰ってもいいのかな」
「当たり前じゃない。こんなガランとしたところで、暖房もかけないで、一体何を待っているの」
「さあ。何を待ってるんだろうね」
エクルーの微笑む表情があんまり静かなので、サクヤは目をそらしてモニターの方を向いた。
「この映像、何? フィールド・ガイドなの?」
「そう。ただのリストじゃ味気ないし、毒草や毒虫に間違って触っても困るからって、メドゥーラ監修で」
「ふうん。3Dホログラムと解説文。でも、子供たちは文字が読めないでしょう」
「うん。だから音声コメンタリーを入れることにして、メドゥーラとスオミとイリスに話してもらったんだけど、3人いっぺんに話させたのがまずかった」
「どうして」
「面白すぎて編集できない」
「あらまあ」
エクルーはメニューのリストから”マダー”のガイドを呼び出した。
「これなんかケッサクだよ」
小さな白い花をつけた草の立体映像とともに、メドゥーラの声が聞こえてきた。
「花は地味だが、根は役に立つ。赤紫色の染料になるし、強心剤として利用できる」
「かじると甘くてうまい」イリスの声が割り込んだ。
「ホント?」スオミが声を上げる。
「こら。貴重な根をかじるな。第一、薬に使えるってことは毒なんだからね。まちがえば死んじまうぞ」
「でも、本当においしいの?」
「スオミ、マネするんじゃない。イリスはダイオウを1株、丸ごとかじってもケロッとしてたんだからな」
「あれは酸っぱくておいしかった」
「普通なら、一晩中ゲリで苦しむところだ。どうしても食べてみたければ、私のところに来なさい。安全なもので、お菓子を作ってやるから」
「でも、本当にうまかったぞ」イリスが主張する。
「やめんか。子供がマネしたらどうする」メドゥーラが悲鳴のような声でたしなめた。
サクヤは3人の掛け合い漫才を聞きながら、くすくす笑った。
「編集する必要ないじゃない。素晴らしい教材になるわ」
「さっきまでグレンがここにいて映像の編集を手伝ってくれてたんだけど、笑っちゃって仕事にならなかった」
ガイドは、ランダム再生モードで紫色の大輪のアネモネを映し出した。
「パスク・フラワー。この花が一番好き。花期、7月。来年、この花が咲く頃は、私達、誰もここにいないのね」
サクヤがぼんやりした声で、つぶやいた。
「今日、チビたちが騒いでたけど、双子岩のゲートが開いて、スオミを待ってる時、泉から大量にカワウソが出てきたんだってさ。1匹や2匹なら喜ぶけど、300匹はいたって言うんだ。いくら何でも、ひとところから300匹も移動するかなあ」
「昨日は赤石堰の泉からレミングが湧いたって言ってなかった? ジーラッハが1000匹いたって言い張るの。まあ、レミングなら1000匹くらい渡るのかもしれないわね」
サクヤはエクルーの始めた世間話をつなげようとしてみたが、会話ははずまず、結局沈黙が落ちた。
「俺たちだけじゃない。来年には何もかも変わる」
エクルーがぽつんと言って、サクヤの横に立つと手をとった。
「キジローはわかってるのかな。夜、サクヤを連れてくるとどういうことになるか」
サクヤは答えずに、エクルーと手をつないだまま、モニターの三方から投影されるアオイケトンボのホログラムを見つめていた。今日までで、この藍色のトンボを200体近く放した。トンボたちは思い思いの場所に飛んでいって、卵を生んだ。ノヅチが言うには、トンボが一番、天気を読むのがうまい虫らしい。トンボに教えてもらっって、他の生き物の移動場所を決めるという作戦だった。
どうせこのトンボは冬を越さない。そして、ペトリには来年の冬がないのである。それでも、泉を通して運び込んだこのトンボたちの卵が、来春孵らなかったらどうしようと思うと、身体がすうっと冷たくなる。
エクルーはモニターを見つめているサクヤを隣でじっと見ていた。もうこの人は、隣にいる俺のことなんか忘れて、自分のことも忘れて、星の心配をしているんだ。でも手を引き寄せれば帰ってくる。引き止めておかないと、この人はペトリと心中しかねない。自分の面倒もろくに見られないくせに、トンボやミンクの心配もないもんだ。俺がいなくなったら、誰がこの人の世話をするんだ?
手を引き寄せる度に、腰を抱き寄せる度に、ほら、俺たちはこんなにぴったり溶け合うのに、と思う。紅茶に入れたミルクのように。三度の和音のように。響き合ってひとつになれるのに。
胸が苦しいほど抱きすくめられて、サクヤは思わず、両手でエクルーを押しのけた。今まで、一度も拒絶されたことがないので、エクルーは一瞬頭の中が真っ白になるほどショックを受けた。
「ちがうの。ごめんなさい。私、おなかが……」
サクヤが言い淀んだ。
「つまり卵が……あの、まだ……」
エクルーはばっと跪いて、サクヤの下腹部に耳をあてた。
「まだ、ちゃんと着いてないみたいで……刺激はよくないから、あの……」
エクルーは、サクヤの言葉は聞いていなかった。一心に何かを聞き取ろうとしている。
「本当だ……いる……」
「本当? わかるの?」
「うん。ちゃんといる。生きてる」
「いるのね。良かった……」
エクルーは両腕をサクヤの腰に回して、お腹に顔を寄せたままじっとしている。
「エクルー?」
「今、初めて実感できたよ。俺たちはまた会える。やっと信じることができる」つぶやくように、お腹に話しかける。
「今まで信じてなかったの? あんなに自信たっぷりに言ってたじゃない。私、あの言葉を頼りに今まで……」
「ごめん。ウソついてた。でも、今は本当だ。もう怖くない」
エクルーはがばっと立ち上がって、サクヤの腕をつかんだ。
「温室に帰ろう」
「エクルー?」
「こんな冷えるところで寝かせられるもんか。サクヤは無頓着だし、どうせキジローには話してないんだろう?」
「ええ」
「俺以外に、誰がナニーをやるのさ。自衛しなきゃ。さ、帰るぞ」
朝、温室に出てきたキジローは、デッキのタープで、サクヤとエクルーがまるで2ヶ月齢の2匹の仔犬のように寄り添って寝ているのを見つけて、ふっと笑った。そして、キッチンに入ると、ゲオルグを手伝わせて朝食を作り始めた。
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