白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

71. クリスマスプレゼント

2014年09月18日 20時14分34秒 | 紫と銀の荒野で
 ここ数週間、サクヤはまた眼が開かない状態が続いていた。向こうが透けて見えている。といってもそれは僕から見て、というだけで主治医のトゥーリッキから見れば昏睡状態の患者というに過ぎない。僕はずっと枕元に座ってサクヤの手を握っていた。そうして心の中で一生懸命呼びかけていた。サクヤが僕をおいて消えてしまわないように。
 サクヤは僕には父親が2人いると言っていたけど、どちらにも会ったことはない。もしサクヤが死んじゃったら。僕はひとりぼっちだ。そんなことになっても、ここで私とずっと一緒にいればいいよ、とトゥーリッキは言ってくれる。いつも気楽な感じで。そしていつも、そんなことにはならないけどね、と付け加える。サクヤには予知能力があって、僕を生んで生死を彷徨う以前にいくつか託宣を授けてたらしい。
 トゥーリッキは僕をあんまり子供扱いしない。サクヤや僕の父親と古い付き合いで、今回のことはずっと以前から頼まれていたのだ、と説明してくれた。今回のこと、つまりいろいろと特殊な事情を抱えたサクヤを保護して、その出産育児を助ける。サクヤは惑星イドラからトゥーリッキの住むアペンチュリンへの逃亡者だ。

「捕まったらどうなるの?」
「どっちに捕まるかによるわね」
 トゥーリッキはいつもながらざっくりした説明をする。
「連邦警察に捕まったら保護という名目で事情聴取されるし、星団に捕まったら、まあやっぱり情報を搾り取られるでしょうね」
「殺されちゃうの?」
「殺されないとは思うけど、でもサクヤには守りたい人がいるの」
「守りたい人?」
「そう。サクヤには大事な仲間がいるの。あなたの父親にもね。そしてサクヤが何より守りたいのはね、ボーイ、あなたよ」
「僕?」
「そう。あなたが自分で自分を守れるようになるまでよろしくって頼まれたの」

 子供なんていやだ。守られるなんていやだ。何もできない。サクヤに何もしてやれない。

「サクヤ、何の病気なの。いつか元気になる?」
 僕がそう聞いてもトゥーリッキはやっぱりざっくりした説明しかしてくれない。
「元気になるわよ。一昨年はボーイと散歩したり庭に豆畑作ったりしてたじゃない。今は”巡り”が悪いんだって」
「”巡り”?」
「イリスはそう言ってたわよ。私にはよくわからないんだけど。星の並びとか水の流れとかが悪いんだって」
「いつ治る? いつその”巡り”が良くなるの?」
「星の並びはあと2年ぐらい戻らないらしいけど」

 イリスとジンも、サクヤと僕の父親の友達らしい。イドラに住んでいて、サクヤがアペンチュリンに逃亡する時に助けてくれたらしい。今もいろいろ情報を流してくれる。ジンは博士でおじさんだけど、イリスはまだ子供みたいに見えるお姉さんだ。このイリスにもサクヤみたいな千里眼の力があるらしい。

 あと2年、サクヤは目を覚まさないのか。その間に消えてしまったらどうするんだ。透明になってもう戻って来なかったら。

 神様、天使様、イドラにいたというミヅチ様。僕を大人にしてください。サクヤを守れるような大人の男にしてください。ダメならどちらか1人でいい、父親に会わせて欲しい。そしたらきっとサクヤを助けてくれる。僕ひとりじゃダメなんだ。このままの僕じゃダメなんだ。

 僕はサクヤの手に両手を重ねて、その上におでこをくっつけて祈った。本気で祈った。でもまさか願い事が全部かなうと思わなかった。

「お前にもできることがある」

 突然声が聞こえてびっくりして顔を起こした。若い男の声だ。見回しても周囲に誰もいない。サクヤと僕だけだ。

「さすがに星の配置は変えられないけど、お前はとりあえず元気なんだからエネルギーを少しサクヤに分けてやればいい」
「誰? どこだ?」

 大きな声が出そうになって慌てて自分の口を押える。サクヤに起きて欲しいけど起こしたくない。下の階で眠っているトゥーリッキも起こしたくない。僕は抑えた声でもう一度聞いた。
「誰?」
「内緒。でも信じてくれていい」
 からかうような軽薄な声だ。こっちは真剣なのに。むかつく。
「信じられるもんか。ウソを教えられてサクヤが死んじゃったらどうする!」
「ウソなんか言わない。俺だってサクヤを助けたい。信用しろよ。そうだな、俺がサクヤをよく知ってる証拠を見せよう。えーと、サクヤの一番の好物はハスの実の砂糖漬け」
「何それ」
「ここらには売ってないのか。じゃあ、セロリとミルクのスープ」
「た、確かにそれはサクヤの好物だけど、でももうずっと何もろくに食べない」
「それは昔からだから心配しなくていい」
 やっぱりからかうような軽い声だ。こっちは泣きそうなのに。
「あんた誰。どこからしゃべってるんだ? 顔を見せろ。顔を見るまで信用しない!」
「やれやれ。俺はそこまで疑り深いガキじゃなかったぞ。そうだな……鏡を見てみろ」
「鏡?」
 病室に鏡はない。
「どこの鏡でもいいよ。俺がついて行くから」

 廊下の突き当たりの洗面台に鏡がある。でも高過ぎて届かない。僕はイスをえっちらおっちら抱えて洗面台まで持って行った。廊下に灯りなんか無かったが、夜目は利く方だ。椅子に立って鏡をのぞき込んだ。

 鏡の中からひとりの男が僕を見返していた。若い男、というより少年みたいだ。僕と十かそこらしか違わないように見える。銀色の髪。金色の目。

「あんた誰?」
「お前の2人の父親のうちの1人。俺のこと聞いてない? お前と似てるだろ?」
 確かに目と髪の色は同じだ。でも顔かたちは似ているように思えない。
「お前もあと10年もすればこういう顔になる」
 僕は疑わしいという表情でじろじろ鏡の中の顔を見返していた。
「で? どうやったらサクヤが元気になるって?」
「言ったろ? エネルギーを分けてやればいい」
「どうやって?」
「キス」
「キス?」
「口移しで水を飲ませる要領で、指で軽く口を開けてキスをする」
 僕はかあーっと真っ赤になった。
「さ、サクヤは僕の母さんだぞ? そんなことできるわけ……!」
「母さんだから気にしなくていいんじゃないか。サクヤが溺れたらお前だって人工呼吸するだろう?」
「そ、そりゃそうだけど」
「ま、がんばれ」
 鏡の中の男は相変わらず気楽そうな軽い声だが、もう腹は立たなかった。
「ありがと。やってみる……またあんたに会える?」
「多分、またそのうちね」

 僕はまたイスを抱えて病室に戻った。枕元にイスを置いてマットに肘をついてサクヤの顔をのぞき込んだ。なかなか勇気が出なかったけど、向こうの透けてるサクヤの姿を見て決心した。

 僕の元気を全部あげる。目を開けて欲しい。ご飯を食べて欲しい。一緒に散歩したい。
 サクヤ、元気になって。



 気が付くと朝になっていて、僕はひとりでベッドで寝ていた。サクヤは? 慌てて見回していると、トレイを持ったサクヤが病室に入って来た。
「あら、起きた? びっくりしたわ。枕元で丸くなって寝ているんだもの。風邪引かなかった? お腹すいてる?」
 一ヶ月近く寝ていたと思えないけろっとした調子で、僕の心配をしている。もう向こうが透けてない。髪も肌もツヤツヤしている。
「サクヤは? 元気になった?」
「ええ。ありがとう。心配かけちゃったわね。今朝はすごく身体が楽なの。それにお腹がすいてるのよ? 一緒に食べよう?」

 ベッドに腰掛けて、2人の間にトレイを置いた。ミルクティーにヨーグルト。マフィンにバターとハチミツ。リンゴとマスカットのお皿。トーストしたマフィンをさくっとかじるサクヤを見て、僕は安心して泣きそうになった。
「おいしい?」
「うん、美味しい。エクルーも食べて? 卵も焼いてこようか?」
「ううん、いい。サクヤに任せるとどうせ卵をこがしちゃうだろ」
「いつもイジワル言うんだから」
 
 いつも? 僕、サクヤにいじわるなんか言ったことあったっけ?

 僕がマフィンにかぶりついているのを、サクヤが微笑みながら見つめている。何だか不思議な表情を浮かべながら、そっと手を伸ばして僕の髪をすいた。
「光の加減かと思ってたけど……本当に髪の色が変わったのね。グレイになってる」
 僕はサクヤの指に触れられてどきまぎしてしまった。そう言えば、昨日僕はサクヤにキスしてしまったのだ。
「顔が赤い。やっぱり風邪引いたんじゃない?」
 サクヤが自分のおでこを僕のおでこにくっつけた。
「熱いみたい。食べたら寝なさい。今までずっとエクルーが看病してくれたんだから、今度は私がついててあげる」
 熱なんか無かったけど、サクヤについててもらうという誘惑には勝てなくて、僕はベッドに潜り込んだ。枕元で僕の髪をすきながらサクヤが言った。
「少し寝て元気になったら午後は買い物に行きましょう」
「買い物?」
「忘れたの? 今日はクリスマス・イヴでしょ。あなたの誕生日。あなたは注文がうるさいから、私が選んで買って来てもなかなか気に入ってくれないじゃない。今年は一緒に買い物しようって約束してたでしょ」
「そっか。夏のクリスマスなんてぴんと来なくていつも忘れるんだ」
 僕は本当に熱があったのか寝不足のせいなのか、うとうとし始めた。手を頭にやると髪をすいていたサクヤの手を捕まえてぎゅっと握った。
「僕の注文はひとつだ」
「なあに?」
「キジローに会いに行こう」
 そう言うとすうっと眠りに落ちた。




 サクヤが台所で昼食の用意をしていると、診療所からトゥーリッキが帰って来た。サクヤも背が高い方だが、トゥーリッキはさらに高い。というかタテも横も大きくてシルエットだけ見ると男性のようだ。
「あら、起きてて大丈夫なの?」
 さすがに7年主治医をやっていただけあって、トゥーリッキは動じない。まるで毎朝そうしていたように、サクヤの手をとって脈をみたりおでこに手を当てたりした。
「ええ。今朝、なんだか急に楽になったの」
「つくづく医者としての自信無くすわ。悪くなる原因も良くなる原因もまったく見当がつかないんだもん。まあ、元気になってくれて文句を言う筋合いは無いけど。ボーイは?」
 サクヤはペペロンチーノとコンソメスープ、大きなボウル一杯のサラダをテーブルに並べた。相変わらずギリギリで料理と呼べるようなシンプル極まりないレシピだったが、味が良くてお腹が満たされるならトゥーリッキには不満はない。
「今朝方ちょっと熱っぽかったから、寝かせているの。一晩中、私についててくれてたみたい。今朝ね、あの子……何だかヘンだった」
 トゥーリッキはからからっと笑った。
「あんた達に関することで私から見てヘンじゃないころの方が少ないわ。今さらたいていのことで驚かないわよ」
 
 両手でスープのカップを湯呑のように持って口元に置いたまま、サクヤは考え込んでいた。
「そうか。何がひっかかっていたかわかった。あの子、夏のクリスマスなんてピンと来ないって言ったの。生まれてから今までここのクリスマスしか知らないくせに」
「ふーん。他には? 何か言ってた?」
「キジローに会いに行こうって」
「私は今までキジローさんの名前、ボーイに教えてないわよ。あんたは?」
「教えてない」
 2人は顔を見合わせた。

 そこへ台所にエクルーが入って来た。
「いい匂いがする。俺の分もある?」
「もちろん。サラダ食べてて。パスタを茹でるだけだから。ミルクも出てるわ」
「ボーイ、熱があったって?」
 トゥーリッキがおでこを触ろうとしたのを、顔を振ってよけた。
「熱なんかないよ。久しぶりにサクヤに触れてちょっと照れただけだ」
「鏡見て来た? まだ顔が赤いわよ? 病床のサクヤにどんなイヤらしいことしたって言うの?」
「き、キスしただけだよ!」
 トゥーリッキはエクルーの顔をじろじろ見た。
「ふーん。髪が黒いのはそのせい?」
 エクルーは慌てて両手を頭に持って行ったが触って色がわかるわけない。食堂を駆け出してバスルームに走って行った。スープとパスタを持って来たサクヤは
「あら? エクルーは?」と聞いた。
「鏡見に行った。7歳じゃいくらなんでも第二次性徴には早いわよね」
 エクルーは真っ赤な顔で食堂に戻って来た。
「俺……どうしてこんなことになっちゃったんだろ」
「ボーイ。なかなか似合っているわよ。まつ毛と眉毛もダークになったから顔立ちが引き締まった感じだし」
「朝よりまた色が濃くなったわね。本当に真っ黒になっちゃうのかしら」
 エクルーはまだ頭を抱えている。
「確かにミギワとキジローがうらやましかったけど、本気で黒髪になりたいなんて思ってたわけじゃないのに」
 トゥーリッキが相変わらずのんびりした調子でなぐさめた。
「まあまあ。プラチナブロンドが成長してダークヘアーになるのは珍しくないわ。サクヤゆずりの綺麗な黒髪になるわよ。カッコいいじゃない。ところでミギワって誰?」
「サーリャの初恋の人」
 もうない星にいた頃のサクヤの前生の名前を上げる。そこ頃、エクルーはオリという名で、サクヤより年上だった。特殊な生い立ちで赤ん坊のようなサーリャの面倒を見ていた。
「またそんなこと言ってる。ミギワ様は姉さまの婚約者だったのよ。私はオリが大好きだったって何度も言ったでしょう?」
 幼くてまだ恋とは言えなかったかもしれないけれど。
「わかるもんか。サクヤの好みはサクヤよりよく知ってるんだ。キジローだってどんぴしゃだっただろ?」
 サクヤは取り分けていたサラダのボウルをがちゃんとテーブルに置いた。
「つまり……あなたは……そのためにキジローをイドラに連れて来たって言うの?」
「実際うまく行ったじゃないか」
 エクルーは皿から顔を上げずにパスタをぱくついている。

 サクヤはがたんとテーブルから立つと食堂を出て、階段を駆け上がって行った。
 トゥーリッキはわざと大げさにため息をつきながら、コーヒーをすすった。
「ボーイ、今のはちょっとカッコ悪かったわよ? 男はいつまでも過去にこだわるもんじゃないわ。あんな風に言われたら、サクヤは元気になってもキジローに会いに行けないじゃない」
「どうしてさ」
「そりゃあ、あなたが大事だからに決まってるでしょう。サクヤが誰のためにこんなに弱ってると思ってるの。私は命の保証はしないって言ったわ。イリスもメドゥーラも、生んだ後あのまま消えちゃうかもしれないって言ってた。でもサクヤは生むって言い張ったの。そのためにはるばるイドラまで行ったんだって」
 サクヤとイリスとメドゥーラはそれぞれ予知能力があるが、それぞれ別のベクトルを見ているらしい。3人の見立ては大筋は合ってるが、細かい点が時々ずれる。そしてサクヤは自分のごく身近な人間の未来が見えないことが多かった。
「こんなに思われてるのに何が不満なの」
 トゥーリッキはテーブルから立つと自分の食器をシンクに運んだ。
「私は診療所に戻る。あんまりご近所の注目を集めないうちにサクヤを屋根から下ろしてね。まあ、もう名物になっちゃってるけど。それと残りの昼ご飯もちゃんとサクヤに食べさせrること。そうしたら2人でこれを見なさいな。クリスマスプレゼント、というわけには行かないか。いい知らせと悪い知らせよ」
 ポケットからメモリーディスクを取り出してエクルーの手に置いた。
「何これ?」
「スオミからの通信。さっき、診療所の方に届いたの」
 スオミもイドラからの逃亡者だ。キジローが付き添ってオプシディアンという衛星に住んでいる。ここからゲートをひとつ越えた、銀河の向こうと言ってもいい辺境だ。ジンを介して消息を知る以外、もう7年間、通信をしたこともなかった。あの時11歳だった少女。もう19歳になっているはずだ。
「サクヤにはすぐわかると思うけど、私の見立てもスオミと同じ。キジローは宇宙船障害を起こしてる。すぐにどうこうということは無いけど、次第に免疫が弱って衰弱してくる。私の意見を言わせてもらえば、元気なうちに家族一緒になって楽しい思い出をいっぱい作った方がいいわ。ジンに相談なさい。昨日、アカデミーの誰それがどうこう、って言ってたから、何か状況が変わったのかもよ。アルをイドラに連れて来れるかもって。スオミも戻れるだろうって言ってたわ。あんたはどうしたいの? よく考えなさい」

 こういう辺り、トゥーリッキはサクヤと似ている。さすが30年以上友人をやっているだけある、というべきか。涼しい顔で大事な情報をぽんぽん託宣する。エクルーは何もかも一度に起こって頭が混乱してしまった。キジローが病気? アルがイドラに行ける? スオミも戻れる? アカデミーは8年前に事実上解体したが残党が星団勢力の強い星域で何やかややっていた。それに連邦警察はアカデミーの謀略を明らかにしようと関係者の事情聴取にやっきになっていた。同盟は漁夫の利狙いで、やっぱり関係者を捕まえようとしていた。そんなわけで、一番の関係者であるスオミ、アル、サクヤ、エクルー、キジローはイドラから逃亡してそれぞれ辺境に逼塞していたのだ。お互いに8年、会うことも叶わなかった。

 こんな状況、昨日まで何も知らなかった。知らないで7年暮らして来た。今はいっぺんにエクルーの上に降って来た。

 ”あんたはどうしたいの?”

 そんなこと言われたって。




 サクヤは鳥のように屋根にとまっていた。トゥーリッキの言う通り、すでにご近所の名物だ。でもトゥーリッキが変わり者なので、素朴なこの辺りの住民は変わり者の友人は変わり者なんだろうと納得していた。あの先生んとこにはいつも訳ありの人間が来るね。まあ、訳ありの子供ができちまった訳ありのお嬢さんなんだろう。確かにその推測は正しいが、訳ありの中身がちょっとややこしかった。
 
 前生も勘定に入れると、俺ってどれだけの間、サクヤと一緒にいるんだっけ。いつもややこしい渦中にいるややこしい性格の女の子。イドラにいた頃の人間関係もややこしかったが、ここに来てさらにややこしくなった。そして、俺のためにイドラに行ったって? そんなこと聞いてない。スオミのために行ったんだと思ってた。もうない星と同じように壊れる運命のペトリを助けに行ったんだと思っていた。スオミは無事に逃げ延びたけど、ペトリは壊れて3つの衛星と小惑星群になってイドラを回っている。おかげでイドラの軌道が安定して、ついでにせっせとペトリから水やら生き物やら運んだせいでイドラは今頃緑になっているはずだ。アカデミーの問題が片付いてスオミがイドラに帰れるなら。それは一勝一敗一引き分け、という感じかもしれない。

一引き分けというのはつまり、俺が死んで、こうしてまた生まれたことだ。

 もうない星はいい加減気が済んだんじゃないか? そろそろミギワの遺言も完遂したって言ってもいいじゃないのか? サクヤはもう解放されてのんびり余生を楽しんでもいいだろう? かれこれ1万年以上も振り回されたんだから。

 そして俺は? 俺はサクヤに付き合ってただけだ。もともともうない星なんてどうでもいいんだ。そう言えば、3000年ばかり昔に言ったっけ。サクヤは覚えているだろうか。

”もうない星の夢が終わって、その時まだ俺がサクヤの隣りにいたら”

 あの時言い損なった言葉。もう言ってもいいんだろうか。俺は今でも言いたいんだろうか。サクヤの余生に俺の入る余地はあるんだろうか。


 背後からそっと近づいて、俺はサクヤからちょっと離れたところに座った。
「ごめん」
 サクヤは振り返らずに、小さい声でつぶやくように言った。
「あなた……記憶が戻っちゃったのね。可哀想に。いつまでも私の子供として甘えていてくれたら良かったのに……」
「何も知らずにサクヤを母さん、キジローを父さんと呼んで? 確かにその方が幸せそうだな」
 俺はため息をついた。まったくもってややこしい。
「でも今の状況もけっこう気に入ってるんだ。どれだけサクヤに甘えても誰にもとがめられないだろ?」
 サクヤをなぐさめるつもりで言ったセリフが、今の自分の気持ちにもしっくり来たのが意外だった。そうだ。何と言っても俺は7歳の幼児なんだから。幼児は母親と一緒にいるもんだ。そうだろう?
 俺は立ち上がってお尻をはたいた。
「さ、昼飯を終わらせて買い物に行こう。イヴなんて早く店仕舞いしちゃうだろ? トゥーリッキのプレゼント何にする?」


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