エクルーとサクヤは、宙港でアルとスオミ、フレイヤと落ち合った。
「俺たちも一緒の便で行くよ。まだ研究所は見たことないから、メイリンが招待してくれたんだ。俺とスオミは、一応アドヴァイザーというかスーパーヴァイザーに入ってるらしい」
アルがエクルーの耳に顔を寄せてささやいた。
「表には出してないが、物理よりサイキックの研究の方が比重が大きいらしい」
「へえ」
メイリンはそれほど強くはないが、テレパシーの持ち主だ。4年ほど前にほとんど家出のようにエクルーが飛び込んだ研究所で、プロジェクト・リーダーがメイリンだった。それ以来、エクルーの物理工学の才能やら、持て余した超能力やら、青春の悩みなんかを全部引き受けてくれるいい相談相手になってくれている。
かく言うメイリンもエクルーの3歳年上に過ぎない。少数民族が集まって自治区となっているコロニー用ステーション、ウイグルが産んだ稀代の天才少女。5歳から連邦のシンクタンクに入って、いろんなプロジェクトを掛け持ちして活躍していた辺り、ジンと似ている。それで、メイリンが自分の才能につぶされないように、いろいろ気遣っていたジンが、”遊び仲間にちょうどいいんじゃないか”とエクルーを紹介したのだ。
そのメイリンが、去年、故郷のウイグル・ステーションに自分で財団を立ち上げて、研究教育機関を作ってしまった。人口規模からいって、”大学”は無理だったので、研究所の裏に地元の子供用の高等学校がくっついている体裁だ。自前の研究所なので、いろいろ思い切った研究もやってるようだ。
「だから、今回の招待も、メイリンが1番会いたいのはフレイヤなんだよ」
「なるほどね」
アルとスオミの娘、フレイヤは2人の並みはずれた超能力を受け継いだスーパーベビーだ。3歳になったあたりから爆発的に力が強くなって、子守に苦労していた。1500キロ先の荒野にテレポートしておやつのコケモモを摘んでくるのも、本人にとってはテーブルの上のリンゴを手に取るぐらい当たり前のことなのだ。まして、まだ理屈が通じる年ではない。
エクルーはココアとミルクティーのボトル、バタークッキーの包みをサクヤのかばんに入れた。
「中で甘いものは配ってくれないから」
「うん」
「それから、これはポケットに入れておいて」
「キャンデー?」
「離着陸でGがかかる時、口の中で転がしておくんだ。君は耳が弱いから」
「うん。ありがとう」
細々と世話をやきながらも、一度もにこりとしない。
アルがサクヤにこっそり聞いた。
「エクルーはどうしちゃったんだ?」
「私が悪かったの」とサクヤはしょぼんと答えた。
「そろそろゲートに向かおうか」
エクルーが2人分の荷物を持って、先に立って歩き出した。あわててサクヤが追いついた。
「私、自分で持てるわ」
「じゃあ、おやつのかばん持って。クッキーが割れないように」
サクヤはエクルーのコートのすそを持って、一生懸命早足で追いつこうとしていたが、とうとうエクルーの腕をつかんでぐいっと引っ張った。
「おいてかないで。一緒に歩いて」
エクルーは何も言わずに手を差し出した。サクヤはその手をつないで、歩き出した。
「早くない?」
「ううん。もう大丈夫」
サクヤはつま先立ちになって、エクルーのそでを引っ張ると、耳元でささやいた。
「あのね……エクルーが怒ってると、知らない男の人みたいで、ちょっとドキドキしちゃった。でも、笑ってるエクルーの方が好き」
エクルーがやっとふっと笑って、サクヤにキスをした。
「ごめん。大人気なかったよな。あんまり余裕がないものだから」
「これから、私がたくさんホメて、世界一の王子サマみたいに、エクルーのことうぬぼれさせてあげる」
「俺ももうちょっと修業をつむよ」
船が慣性飛行に入ると、サクヤはエクルーのひざによじのぼって胸に寄りかかってすうすう眠ってしまった。エクルーもサクヤを両腕でかかえてぐっすり眠ってしまった。
「何なんだ、この2人は?」アルがあきれた。
「どうやら2人とも寝不足だったようね。仲直りしたみたいで良かったじゃない」
スオミが笑った。
「不思議よね、小さいサクヤは、サクヤに会ったことないはずなのに。役割性格ってやつなのかしら。ああいう時の甘え方はそっくり」
「サクヤが甘え上手とは知らなかったな」
「タイミングが絶妙なのよ。パパもエクルーもめろめろ。私はとてもかなわないわ」
「俺がめろめろだからいいじゃないか」
「メロメロって何?」とフレイヤが聞いた。
「大好きってことだよ。チョコレートみたいにキャンデーみたいに甘くて大好きってことだ」
フレイヤは両親の間で足をぱたつかせて歌うように言った。
「じゃあ私もパパとママにめろめろー」
イドラからウイグル・ステーションまで2泊3日の旅だった。フレイヤはおおむね大人しくしていてくれた。サクヤはイドラから出るのが初めてだった。でも平気だ。叔父さん2人に叔母さん1人、さらに従妹も一緒だもの。もっとも血縁はないに等しい。
スオミもアルも生まれ持った能力のせいで、両親から引き離されて育った天涯孤独同士の身だ。不思議な縁で、2人ともキジローの養子になった。というわけで、エクルーとも義理の兄姉になったわけだ。
イドラにキジローがやって来た時、大きなサクヤと大きなエクルーの疑似姉弟に混じって、不思議な家族ごっこに参加していた。その後、オプシディアンでの逃亡生活でも、小さな方のエクルーとキジローとサクヤは10年ばかり家族をやっていた。
そして今は、その子供世代で寄せ集まって、家族ごっこを続けている。
武骨な外見のくせに、妙に甘えん坊で人をあやすのが上手いキジローがつないだ縁だ。
あの男は本当に拾い物だったな、とエクルーは何度めかの感慨にふける。
さらわれた娘を取り戻したい。その一心で軍歴を捨てて辺境の惑星に来た男。その後、また別の片田舎の惑星でスオミをかくまいつつ、アルの援助をし、エクルーを育てた。経歴には何も残らないそんな人生の中で、キジローは結局4人の子供と2人の孫を得たのだった。
ウイグル・ステーションのドッキング・ベイまで、メイリンの一家が出迎えてくれた。メイリンと夫のシャマーリ、ひとり息子のカラ。アルは研究所の立ち上げ当初にも、まだ本当に赤ん坊だったフレイヤを連れて何度かウイグルに来ている。フレイヤにとっては遠方の親戚のような親しさがあるようだ。
メイリンはサクヤをぎゅっと抱きしめて
「よく来てくれたわ。あなたのことはアズアにもボニーにも頼まれていたから、来る決心をしてくれてうれしい」と涙ぐんだ。
「父のこと、ご存知だったんですか」
「ええ。やさしいい人だわ。彼のことをあなたに話せなくてつらかった」
フレイヤはパパの腕から消えて、メイリンの首の回りに抱きついた。
「メイリン、大好き。カラもまた会えて、うれしい。シャマーリも大好き」
フレイヤは長身の長い黒髪を波打たせた男にほおずりされてきゃっきゃっと声を上げて笑った。
「サクヤ、モニターでは何度か会ったけど初めまして、だね。花が好きならきっと、ウイグルを好きになると思うよ」
「カラはまだタジク語しか話せないの。北京語も習い始めたばかりで」
「子供には言葉は要らないよ、なあ」
カラとフレイヤは久しぶりなので、早速一緒に走り回り始めた。
シャマーリは浅黒い肌に彫りの深い顔立ちで、見事に何系かわからない混血だった。明るい青い瞳が強い光をたたえている。響くバリトンの声に、サクヤはまたぽぉーっとなってしまった。
遊牧地に向かうヨットの中でメイリンが聞いた。
「あなた方用のテントを2つ用意してるんだけど、サクヤはエクルーと一緒でいいのかしら? うちにもぜひ泊まりに来て。カラが喜ぶわ。連邦標準語を教えてやってくれないかしら」
「ええ、喜んで。でもテントはエクルーと一緒がいいです」
「そう? ケンカしたら、いつでもうちにいらっしゃいよ?」メイリンがくすくす笑った。
「メイリン、ケンカをあおるなよ」とアルが言った。
「だって、あんまりかわいらしいカップルだから、いじめてやりたくならない?」
「シャトルの中でやっと仲直りしたとこなんだから、いじめないであげて」とスオミも言った。
「あら、ケンカの原因は何だったのかしら?」
最早、全員が原因を知っていたが何も言わなかった。
「やれやれ、先が思いやられるね」とアルが言った。
テントは思いの外、天井が高くて明るく快適だった。カラフルな毛布とじゅうたんでおおわれて温かい。
「イドリアンの天幕にちょっと似てる。でも意匠がちがうのね。見て、この模様。きれい。両面織りなのね」
サクヤはテントの隅々まで夢中で見て回った。
「織物に興味があるなら、後で義母に紹介するわ。名手なのよ」とメイリンが言った。
「でもまず私の自慢の研究所を案内させてね」
サクヤはイドラの小さな小中学校と、さらに小じんまりした高等学校しか見たことがなかった。ジンの研究所は、ラボとは名ばかりで住居ドームとひとつづきのカプセルでがちゃがちゃ好きなものを散らかしているだけの空間だった。
小規模とはいえ、100人ばかりの研究員が常駐する最新設備の研究所など初めて見た。それに高等学校。子供がいくらでも出てきて、わあわあ騒いでいる。目が回りそうだ。
「エクルー、こんなとこで勉強するの?」
「うん? でもアルも一緒だし、メイリンの他にも知り合いが何人かいるから平気だよ。サクヤは? 怖い?」
圧倒されていたけれど、ぎゅっとつないでいたエクルーの手を握り返した。
「大丈夫。エクルーが一緒だもの」
翌日、スオミとサクヤはシャマーリに案内してもらってテントの西の丘地に遊牧に出た。カラとフレイヤも一緒だった。
イドラとは全然、気候が違う。イドラでサクヤ達が住んでいる辺りは、冷涼で大きな森がほとんどない荒野だった。コケに覆われた大地が、初夏には色とりどりの花で埋め尽くされる。ウイグル・ステーションはもっとずっと気温も湿度も高く設定されている。200年近く前に内戦で捨てて来た故郷に似せてあるらしい。テラフォーミングでそっくりの風景を蘇らせているけれど、足元の外壁一枚の向こうは宇宙空間なのだ。起伏の多い山肌をヤギを連れて歩いていると、そんなこと信じられない。
少なくともここには、旅の途中で乗り換えしたターミナル用のステーションの疑似天候とは違う。本物の雲があって雨が降る空が頭上にある。足元の宇宙空間とは別に。
円筒型のステーションを回転させることで重力が生まれるのだ、と理屈ではわかっている。でも頭の上と足の下に空がある、という感覚にはなかなか慣れなかった。
群れの中にまだカン高い声で母親を呼ぶ、子羊が5匹もいるし、見たことのない植物が次々に現れるのに、サクヤは何度も立ち上がって研究所の方をふり返った。
「エクルーが気になる?」とスオミが聞いた。
心細い気持ちとは別に、もやもやと胸にわだかまっているものがある。エクルーとメイリンが親しい仕事仲間なのはよくわかっているけれど、2人が会話を始めるとサクヤは疎外感を感じずにいられなかった。もちろん研究の話なんかちんぷんかんぷんだ。それに自分はエクルーと出会ってまだ3ヵ月。でもメイリンはエクルーが14の時から知っているのだ。とても敵わない。
「それとも、メイリンが……かな?」とシャマーリが笑った。
シャマーリは野生生物のように勘のいい男で、小さなサクヤの悩みなどお見通しのようだ。
「メイリンは、母星にエクルーと同じ年の弟がいるんだ。だからあの2人がじゃれても、あんまり心配しなくていいよ」
「そうそう、それに、エクルーも本気でヤキモチ焼いてるわけじゃないのよ」とスオミが耳打ちした。
「スネてみせると、あなたがご機嫌とってくれるから、味をしめてるだけ」
「そうなの?」
「エクルーがどれだけサクヤに夢中かは、私とアルが一番良く知ってるわ」
サクヤはまだ研究所の方を見ながら、ポツンと言った。
「それは大きなサクヤのことでしょう。私のことじゃない」
(あらら、これはけっこう重傷だわ)
スオミは心配すると同時に、小さな2人の絆が育っているのを実感してうれしかった。
そして、この2人はとりあえず引き離すべきじゃない、と判断してメイリンに相談した。この1年足らずの間に、2人ともあまりにたくさんのものを失って、寄り添って支えあって生きているのだ。
「まあ、でも1日の大半は一緒ということになるわよ。すすめるつもりだった小学校は村にあるんだけど、サクヤはどうやらもっとハイ・レベルらしいし。この研究所はハイ・スクールを併設して、地域の高等教育に貢献する、ということで補助金もらったの。所員も半分は教員資格がある人を採用しているの」
「つまりあの2人は同じ建物でおベンキョウできるわけだ」とアルが言った。
「そういうこと。でもどうかしら。今はともかくあまり互いに依存しちゃうのも不安だけどね」とメイリンが言った。
「エクルーはもう長いことサクヤのためだけ生きてきたような所があるから、何か愛情をそそげる対象が必要なんだと思う。その空洞にすぽっと小さなサクヤがはまっちゃったんだな」とアル。
「私も少し不安だわ。小さなサクヤにもう少し自我が育って来たら、自分は身代わりなんじゃないかって悩むことになるわ。エクルーが
銀髪のエクルーの影に悩んだように」スオミはため息をついた。
「まったくいつまでたっても、ややこしい人達だこと」
「そして俺たちもいつまでも飽きずにあの2人の心配をしてるよな」とアルが笑った。
その頃、テントではサクヤのスーツケースからエクルーが大きな黒いクマを発見していた。
「クマは置いてこいって言ったろう?」
「だって、それはグラン・パなんだもの」
エクルーはため息をついて、クマをぽんぽんとふくらませてサクヤの枕元においた。
「で、何を代りに置いてきたの?」
「コートとセーター2枚とブーツ」
エクルーはさらにため息をついた。
「まあ、いいか。どうせみんな、もうきゅうくつだったろう。今度の休みは町で買い物しよう」
サクヤはエクルーの首の回りにきゅっと抱きついた。
「ありがとう……大好き」
エクルーはサクヤの背中をぽんぽんと叩いた。
「いいよ。サービス言わなくて」
「本当よ。今日、西の丘を歩きながら心配でたまらなかったの。すぐ横にシャマーリがいることなんか忘れてた。あなたとメイリンが2人で研究所にいると思うと……」
「2人じゃないよ。他にたくさん所員がいたじゃないか」
「でも、メイリンはいつでもあなたをからかったり、キスしたりできるじゃないの」
サクヤが目に涙をためているので、エクルーはびっくりした。
「でも本当は悲しいのは、メイリンのことじゃないの。サクヤのことなの」
両手をこぶしに握っているのに、我慢できずに言葉がこぼれ出てしまった。
「私はたまたま同じ名前で、少し似てただけなのよね? 私でなくても誰でも良かったんじゃないかと思うと、悲しくてたまらなくなるの」
涙をぽろぽろとこぼしながら、身体をふるわせている。
エクルーは小さなサクヤの両手をそっとにぎった。
「冷たい。身体が冷えきってるよ。セーター置いてけぼりにするから」
自分のセーターを脱ぐと、がぼっとサクヤに着せた。
「ベッドに入ってな。ホットミルク作ってくるから。それまでこれだっこして」
と黒いクマを渡した。
サクヤはクマを抱きしめながら、ひっく、ひっくと泣いていた。
もうお終いだ。全部ぶちまけてしまった。エクルーはあきれたにちがいない。コートの代わりにクマのぬいぐるみをもってくるような子供が、一人前の恋人扱いをして欲しがるなんて。
エクルーはホットミルク2つとキャラメル味のマカロンの入ったボウルを持って来た。
「落ち着いた?」
「……少し」
ミルクを飲みながら、サクヤはエクルーの顔を見られなかった。
サクヤのベッドの横にすわって、エクルーが笑った。
「君に内緒にしてたことがある」
「何?」
「俺が君を好きになったのは、君がサクヤになる前だ」
サクヤがミルクのカップを取り落としそうになったのを、エクルーが受け取ってトレイに置いた。
「……うそ」
「こんなことうそ言って、何になるのさ。初めてドームで会って、君がキジローの手をにぎってやさしく話しかけた時から、ずっと君が好きだ。あんまりわかりやすく一目惚れだったから、キジローにからかわれた。自分ではなかなか認めたくなかった。大きなサクヤが死んで、まだ間もなかったし……」
エクルーは、サクヤの髪をそっとなでておでこにキスをした。
「それに俺はこんなにオジさんだしね。サクヤがシャマーリにのぼせて、かえってホッとしたくらいだ。年上でもいいんだって」
もう一度、ミルクのカップを渡しながら、エクルーがささやいた。
「ずっと君が好きだ。君がサラでもサクヤでも、サクラだろうがサキコだろうが、髪が青でも黄色でも好きだ。それに……もし君がこれから大きくなって、俺以外の人を選んだとしても、ずっと見守ってるよ。迷惑でなければ……だけど。信じてくれる?」
サクヤはカップの影でこくっとうなずいた。
「じゃ、約束のキス。……目をとじて」
サクヤのくちにあたったのはマカロンだった。
「もうっ」
「おいしいだろ? それにあんまり大っぴらにキスしてると、俺が連邦警察につかまっちまう」
「キスでも?」
「そのうちキスくらいでとめられなくなるかもしれないだろ?」
「もうっ」
「早くミルク飲んでお休み。明日は学力試験だ。合格すれば、俺の浮気を心配しないですむようになる」
「落ちたら?」
「一緒にイドラに帰ろう」
「もう。またそうやってキョーハクする」
「本気だよ。ここに来ようって考えたのは、君を元気づけたかったからだ。不安にさせるなら、ここでの研究はやめる。論文なんてどこでも書けるし」
エクルーは腕をのばして、サクヤの顔にふれた。
「ミルクのひげ」
指でぬぐったミルクをエクルーがペロっとなめたのでサクヤは真っ赤になった。
「何でこのくらいで赤くなるのさ。キスだって何度かしたじゃないか」
「変だな……何だか自分の顔もなめられたような気がしたの」
「まだ、ひげ残ってるよ。なめてやろうか?」とエクルーがからかった。
「いい。自分でする」
サクヤは自分でペロリとなめて、また真っ赤になった。
エクルーはくすくす笑いながら、サクヤに顔を寄せた。
「ウイグルに移住しちゃおうか?」
「どうして?」
「ウイグルの女のコは12で結婚できるんだよ」
「それってプロポーズ?」
「プロポーズなら前にしたじゃん。……でも俺はずっと君が好きだったけど、君に好きになってもらえると思ってなかった。”お嫁さんごっこ”だと思ってたからね。焼きもちまで焼いてもらえるなんて、光栄だよ」
そういって、ほおにキスをした。
エクルーがベッド・スタンドで本を読んでいると、サクヤがふとんに潜り込んで来た。
「まだ寝てなかったの?」
「うん、何だか落ち着かなくて。風の音がイドラとちがうのね」
「風の匂いもね。明日は朝もやが見られるかもしれないよ」
「本当? みたい!」
「5時に起きられる?」
「起こしてくれるでしょう?」
「いいよ。だから、もう寝な」
サクヤはエクルーの肩に手をかけて、そっと顔を寄せるとキスをして
「お休み」と言った。
「……サクヤ、こんなのどこで覚えたんだ?」
「映画でみたの」
まだ口を押さえたまま、エクルーは赤くなっていた。
「危ないから他の人にしたダメだよ」
「もちろん、エクルーにしかしない」
「俺にも危険だから、その……時々ぐらいにしてくれる?」
「どうして? 好きな人にキスされるとうれしいものじゃないの?」
「うれしいけど、うれしすぎてちょっと…あの俺の身体から下りてくれる?」
「あっ、ひざがあたってた? ゴメン。」
「えーと。つまり、俺が警察に捕まらないように協力して欲しいんだけど」
「警察って……あっそういうこと?」
サクヤも赤くなった。
「あの……エクルー私みたいな子供でも、欲しくなっちゃったりする?」
「他の子供はどうでもいいけど、君だけは別だ。すぐにでも抱きしめたい。でも君の身体はまだ準備ができてない……わかる?」
「わかる」
「待ってるから。俺がユーワクに負けてつまみ食いしないように協力して。やっぱりプレゼントはクリスマスの朝に開けるもんだろ。盗み見したら、楽しみが半減だ」
「うん、わかった。あんまりいじめないようにしてあげる」
サクヤは今度はエクルーのほおにキスして、エクルーの腕を枕に寝ころんだ。
エクルーはため息をついてスタンドの灯りを消した。
週末は街で衣類やこまごまとしたものを買い物した。
この銀河の主要都市がある惑星や衛星からは離れているものの、ウイグル・ステーションにも物資が豊富に届いていた。伝統的な民族衣装や食品を商うバザールとは別に、連邦全域に支店を持つような老舗もいくつか店を構えている。
イドラのバザールなら慣れているサクヤも、洗練されたファサードやディスプレイで飾られたブティックに入るのは気後れしてしまう。でもエクルーは生まれた時から都会で暮らしているかのように、店員と気楽におしゃべりしながら注文をつけて、次々と服を広げさせている。まるで魔法使いのようだ。
コートの試着をさせながら、エクルーが耳元でそっと言った。
「もうひとつ、君の知らないことがある」
「何?」
「君は性格も外見も全然サクヤに似てない」
「うそ」
「あえて言うと髪が黒くてきれいなとこと、アーモンド・アイなとこぐらいかな。キジローの孫だから名前を継いでもらっただけで、似てたからじゃない」
サクヤはしばらくショックで立ち尽くしていた。
店員がこれまで試着したコートをずらりと並べて「いかがいたしますか?」と聞いた。
「俺は5番めのロイヤル・ブルーがいいな。サクヤどう?」
サクヤはエクルーの耳元でささやいた。
「こんな高価なコートを買っても、すぐきゅうくつになるのよ?フィールド・パーカーがあるから、要らないわ。」
「それで、俺がパーティーでスーツ着てる時、横でパーカー着てるの? 大丈夫この店はリフォームしてくれるんでしょう?」
「ええ、肩もダーツも余裕取ってありますし、すそは10センチは出せます。リボンなどの装飾がお飽きになったら、流行に合わせたデザインにお直しします。5ー6年は対応できると思いますよ」
「すごい荷物だなあ。」とアルがあきれた。
「こんなに服があるのに、マウンテン・ブーツもウールの防寒シャツも買えなかったのよ。エクルーったらクリスマスみたいな店ばかり
入りたがるんだもの」
「似合ってたからいいじゃないか」
メイリンがくすくす笑った。「上機嫌ね。エクルー。紫の上みたいに、自分好みの女性に育てるつもり?」
「そんなんじゃないよ。いいじゃないか。どうせ、俺のプレゼントした服を大人しく着てくれるのは、あと1、2年なんだから」
メイリンがさらに笑った。「わからないわよ。あなたはセンスがいいもの。デートに着ていく服を選んで、と頼まれるかもしれないわよ?」
「サクヤ、入っていい?」テントの外からメイリンが声をかけた。
「荷物片づいた?」
「ええ、何とか」
「たくさん買ったわねえ」
サクヤはクローゼットにずらりと下がった服を見つめながら、ぽつりと言った。
「エクルーはこういう服を、サクヤに買ってあげたかったんじゃないかしら。あんまり服に興味のない人だったんですって?」
「興味がないというか……シンプルなものばかり着てたわねえ。イドリアンのストンとしたワンピースとか、実験用の上着とか。後で聞いてわかったの。サクヤは坐子さんの家系で、神様の花嫁だったわけ。だから自分を飾ることに罪悪感があったみたいね」
メイリンはクローゼットの服を見ながらくすくす笑った。
「ずいぶんエレガントなデザインばかりだこと。あなたの好みは少しちがうんじゃないの?」
「だって、エクルーがあんまりうれしそうに、服を選ぶんだもの」
「そんなことで遠慮してちゃダメよ。自分の服なんだから。エクルーと一生のつき合いになるかもしれないんでしょ?」
サクヤがメイリンを見上げた。
「ん?」
「ええ。そうね。大きなサクヤに遠慮ばかりしていられないわ。今、エクルーの横にいるのは私なんだから。」
「そうそう。その意気。それでね、これ、シャマーリのお母さんからあなたへのプレゼント。あなたが、この壁掛けの文様にすごく興味持ってたでしょう。このパターンをあしらって織ってくれたの。上着とスカートとポンチョ。これだったら地元の子に混じっても、あまり浮かないわよ。あなたの瞳がやさしいグレーだと話したら、ほら、ライトグレーで作ってくれたの。ライト・ブルーで意匠を入れて。それから、これ、ウイグルのブーツ私の小さい時のなの。革靴だと目立っちゃうから。着てみて。明日からの学校に間に合うように、義母は夜なべしてくれたのよ。合わなければ、今、直すから」
メイリンが裁縫箱を開けた。
「良かった。肩幅はぴったり。上着の裏地までなおすことになったらどうしようかと思っちゃった。袖とスカートはちょっと出す? 短い方がかわいいけれど」
サクヤはメイリンにぎゅっと抱きついて
「ありがとう。すごくうれしい」と言った。
「ごめんね。焼きモチやいて、イヤな態度取って」
「焼きモチ焼かれるなんて、女のくんしょうよ。光栄だわ」
「あのね、エクルーに私は外見も性格もサクヤに似てないと言われたの。そうなのかしら?」
「似てなきゃいけないの?」とメイリンが聞いた。
「いけない……ってことはないけど、似てないならどうして、エクルーはこんなに私にやさしくしてくれるのかしら」
「あらまあ、エクルーもかわいそうに」とメイリンが笑った。
「エクルーはあなたに何度も愛の告白をしたって言ってたけど、あなたは彼の気持ちを信じてないのね?」
サクヤはあわてて言った。
「エクルーを信じてないわけじゃないの。私は自分にそんな魅力があると信じられなの。私の価値は名前がサクヤだということだけじゃないかと思ってしまうの」
メイリンはサクヤをじっと見た。
「大人は自信ありげに見えるかもしれないど、誰でも失敗したり、自信をなくしたりしながら、一生懸命自分の居場所を見つけているのよ?サクヤも、これから自分で見つけていかなくちゃ。自分の好きなもの、自分を好きになれる仕事や仲間。信じてたどっていける道しるべになる光を」
「パパにもそう言われた」
メイリンがにっこり笑った。
「自信を失いそうになったら自分を心配してくれている、愛してくれる人の名前を数えたら?こんなにたくさんの人が、あなたの名前がサクヤというだけで気にかけてるわけないでしょう? シャマーリのお母さんだって、あなたのことが好きだから、何日もかけてこの生地を織って、服を作ったのよ。この温かさを信じてみて」
相変わらず、サクヤは毎晩エクルーのベッドに潜り込んでくるので、エクルーは眠くなるまでテントの外で星をながめなくてはならなかった。
それをアルに見つかって、よくからかわれた。
「おまえって、何だかそういう運命みたいだな」
「大きなサクヤだって抱くまで3000年待った。このくらい何でもないよ」
「3000年。勝てないなあ。俺は、1晩スオミの横で寝ただけで、我慢できずに手を出しちまったもんな」
「スオミは巫女でもないし、子供でもなかったじゃないか」
「まあでも、最近の子供は発育がいいからな。女のコに恥かかせないようにしてやれよ」
エクルーはじろっとアルをにらみつけた。
「無責任にあおっておもしろがらないでくれ」
「そりゃあ、面白がってるけど、一応おまえを心配してんだよ。3000年待った時とちがって、お前、今、一番ヤリたい盛りじゃないか」
エクルーがまたきっとにらみつけた。
「人をケモノか何かみたいに」
「そういうサービスしてくれる所に行ってみたくなったら、声かけてくれ。俺も一度、見てみたいから」
「姉さんに言いつけるよ」
「スオミが言いだしたんだよ。おまえを心配して」
「そんなことまで心配してくれなくてもいいよ、まったく」
エクルーが赤面した。
「すまん。俺がエクルーはサクヤのうなじをみせたがらないとか、ヒップのかくれる服しか着させないとかバラしたもんだから、大分おまえのイメージが修整されたみたいなんだ」
サクヤは実習の前に、メイリンのオフィスに呼ばれた。口に指をあてて
「しいっ」と言った後、となりの応接室の戸をそっと開けた。ソファでエクルーが青い顔をして寝ていた。
「寝不足らしくて、立ちくらみを起こしたから、ここで休んでもらったの。もう10日以上、まともに寝てないらしいの。心当たりある?」
「ええ。私が悪いんだわ」
「何日かうちにこない? エクルーが元気になるまででも」
「そうします。ありがとう」
その晩、メイリンは夕食に2組の家族を招いたが、妙な雰囲気がただよって会話がひろがらなかった。フレイヤとカラは、無邪気にじゃれ合っていたが、スオミとアルは、ちらちらとエクルーの顔をのぞいてるし、サクヤは固い表情でうつむいていた。
デザートになって、黒髪に浅黒い肌の女性が大きなパイ皿をもってダイニングに入ってきた。
「やっと焼き上がった。間に合って良かったわ。」とにっこり笑った。明るい青い瞳の美しい人だった。
シャマーリが「私の母です」と紹介したので、一同びっくりした。どうみても40を越しているように見えない。
「ヤスミンといいます。でもカラの祖母だからみんなおばあちゃんと呼ぶのよ?」
こんなに若くて美しい人をとてもおばあちゃんと呼べない。
サクヤはウイグルの服のお礼を言った。ヤスミンはにっこり笑って。
「こちらこそ、お礼を言うわ」と言った。
「あなたが毎日、学校に着て行ってくれて、私の服だと言ってくれたから、注文がたくさん来たの。ニュー・ナンキンからもサンプルを頼まれたのよ。初めての仕事なの。今、新しい服を作ってるから、また着て宣伝してちょうだいね?」
ヤスミンはウールの帽子を2つ取り出して、サクヤとフレイヤにかぶせた。サクヤに青、フレイヤにオレンジ。
「今、こういう四角い帽子が流行ってるの。両端にリボンと鈴がついてるのよ。かわいいでしょ?」
2人の女のコは、全員から拍手をもらった。
カラが自分も欲しい、と言い出したが、自分用に革の耳当てのついた帽子をもらって機嫌を直した。
「カラは寝相が悪いから、私の部屋にいらっしゃい」とヤスミンがサクヤを招いた。
「ありがとう。少し、エクルーと話して来ます」
テントの近くまで、エクルーを見送ってサクヤは少し言葉につまった。
「ごめんね。まさか倒れるほどと思わなくて」
「みんな、大げさなんだよ」
「でも、お仕事できないと困るでしょう。私、メイリンのおうちで大人しくしてる。元気になったら迎えに来て」
エクルーがちょっと笑った。
「そんな悲愴な顔すんなよ。昼間はいつでもラボに来ていいし、ランチは一緒に食べよう」
「うん。ゆっくり休んでね」
サクヤはつま先立ちになって、エクルーの腕にそっと手をそえるとやわらかくキスをした。エクルーが両腕を背中に回してぎゅっと抱きしめると、サクヤは深いため息をついた。
「私、早く大人になりたい」
「あわてなくていいよ。もったいない。今、一番かわいい時なんだから」
「お休み。また明日ね」
サクヤは母屋の方に走って行った。
エクルーは右手を口にあててため息をついた。
「眠れるわけないじゃないか。こんなキスをしていって」
結局、隔離政策は3日も保たなかった。
ランチで一緒にいられる1時間は、食事どころでないし、夕食の後、エクルーのテントからサクヤの帰ってくる時間が日に日に遅くなった。
メイリンは「仕事に支障が出なければ、大目にみましょう。私、一応、教育者としてサクヤにも責任があるんだけどね。どうもあなた方は引き離すわけにはいかないようだわ」とため息をついた。
「エクルー、あなたが大人なんだがら、あなたが気をつけるのよ?」
「わかってます」
「まあ、ウイグルの女のコは10か11でみんな初体験をすますんだけどね」
エクルーが固まった。
「10か11?」
「そう。むかしかららしいわ。ここの水のせいじゃないかって。所謂”子宝の水”と呼ばれてる水で、簡単に妊娠しちゃうの。だから、くれぐれも気をつけてね」
「まだ全然そんなレベルじゃないから」
「あら。そうなの? 私てっきり……」
「ウイグルの基準で考えないでよ」
エクルーにしても、サクヤが自分と同じ意味で自分を好きだとは思っていなかった。いくら精神が早熟とは言え、身体は子供なのだ。知識が先走って、”恋人”の振りをしようとしているだけだ、と自分に言い聞かせるようにしている。
メイリンに忠告されるまでもなく、お互いに依存し過ぎるのは問題だとよくわかっていた。
年上の自分が、幼いサクヤを支配してしまう危険性は重々承知しているつもりだ。
サクヤはエクルーの望みを読みとって、恋人になろうとしているだけかもしれないのだ。
でも距離を置くのは不可能だった。
もう後戻りできないほど、深みにはまってしまっている。お互いに。
その夜、サクヤがふとんに潜り込んで来た時、2人は顔を見合わせて笑った。
「やっぱり、これが落ち着くな」
「メイリンのうちで全然眠れなくて」
「俺も。一人だとこのテントがガランと広くて、風の音ばかり気になるんだ」
「ギュっとして?」
エクルーが両腕でサクヤの身体を包んだ。
「安心する。温かい」
サクヤが顔をそっと寄せて、ささやいた。
「あのね、安心するんだけどね、時々、すごくドキドキするの。これっていけないことなのかしら?」
「どんな時、ドキドキするの?」
「……いろいろ」
「ズルいな」
「説明出来ないわ。本当に何でもないことでドキッとしちゃうんだもの。息が耳元にかかったり、手が身体に触れた時のちょっとした具合で……何だか私、おかしくなっちゃうの」
「おかしくないよ。俺も一緒だもの。いつもドキドキしてる」
「本当?」
「寝不足になっちゃうくらいね。でも、もう離れていられないよ」
「私も」
サクヤは両腕をエクルーの首の回りに回してぎゅっと抱きついた。
「おかしくなっちゃってもいい。もっとぎゅっと抱きしめて」
「知らないぞ」
「健全な青春を送ってるかい、青少年?」
研究所のティータイムに、中庭でぼーっとしているエクルーにアルが声をかけた。
「健全……なのかな? まあでも青春はしてるのかな?」
「ジジむさいなー。前にもお前、そーゆーミョーに落ち着いちゃった時あったよな。サクヤとできちゃった時。小さい方ともできたか?」
「そんなに俺ばっかり観察してくれなくていいよ。フレイヤの力はどうなったの?」
「そうだった。ちょっとこれ、耳につけてみてくれないか?」
「イヤホン?」
「そんなもんだ。で、今からボール投げるから、キャッチしろよ?」
最初の2コは、間を開けてゆっくり来たのに、いきなり3コ矢継き早に飛んで来たので受け損ねて、5つめがエクルーの額に直撃した。自分の反射神経にはかなり自信があったので、エクルーはかなりショックを受けた。
「何これ、このイヤーカフのせい?」
「そうネコのヒゲを半分切ったようなもんだ」
「何、こんなもの、どうするの?」
「フレイヤが分別つくまで着けさせようかと思って」
エクルーの顔がさっと青白くなった。
「何だって、こんなもの。よく平気だね、自分の子供に」
「自分の子供だからさ。一息で南半球に飛んじゃうんだぜ。いつも俺がすぐ探せると限らない。他人を巻き込む事故を起こすかもしれない。薬とちがって副作用もないし」
「この3ヶ月、こんなもの研究してたの?」
「こんなものっていうなよ。親は必死なんだから。フレイヤはちょっとケタはずれなんだよ」
「確かにね。スオミでもすごいと思ったけど。ちょっと俺も、あんなの見たことない」
「真面目に反省してるんだ。俺とスオミが結婚したらどんな子供が生まれるか考えてなかったもんな」
「まあ、普通、子供作る前にそんなこと心配しないよな。でもボニーとアズアは、かなり気をもんだみたいだ」
「それだよ。サクヤは大丈夫なのか?」
「大丈夫ってどういうこと?」
「本当に能力ないのか? 親とかお前の期待に応えてかくしてるだけじゃないのか?」
エクルーの表情は固くなった。
「おまえだって本当はそれが怖いから、あわててサクヤを抱いて封印しようとしたんじゃないのか?」
エクルーは何も答えられなかった。
「フレイヤに受けさせたのと同じテスト、サクヤにも試したらどうだ?」
「いやだ」
エクルーがきっぱり言った。
「テストもイヤーカフも要らない。サクヤがどう変わっても、俺が引き受けるって、ボニーに約束したんだ」
アルがエクルーの頭をガツンと殴った。
「お前が引き受けるのは勝手だよ。でも一人で抱え込むな。味方は一人でも多い方がいいだろう? 俺もスオミも、メイリンだってサクヤを心配する権利はある。お前のは独占してるんじゃなくて、現実から目をそらしてるだけだ」
言葉に詰まったエクルーはシュッと消えてしまった。
「何だ、アイツ! 成長してないな。ガキめ!」
夕飯時になってもエクルーが帰ってこないので、スオミがサクヤを食事に招いた。
「ラボの方で遅くなってるのかしら。エクルーが帰ってくるまでうちにいらっしゃい」
食卓ではフレイヤがかんしゃくを起こしていた。
生まれた時から、ごく普通にESPを使って日常の動作をしていたから、イヤーカフで封じられて、いきなり左手で文字を書けと言われたような不自由さだった。目も耳も半分以上にふさがれているようだ。
「いきなり24時間つけっ放しはかわいそうだわ。せめて家でははずしてあげましょうよ」
「ダメだ。せめて最初の3日はガマンして慣れさせる」
ピリピリした雰囲気にいたたまれなくてサクヤは早々にアルのテントを辞した。
「テントを温めておいてあげたいから」とサクヤが言うと、スオミが小さな包みをいくつか渡した。
「エクルーの分の夕食。エクルーが作るよりおいしくないかもしれないけど、腹ペコで寝るよりいいでしょ?」
「ありがとう。あの……フレイヤの耳の……あれどうしても着けなきゃダメなの?」
スオミはまゆをひそめた。
「可哀想だけど……あの子が自分で、自分の問題を理解してコントロールできるようになるまでは、仕方ないわ。今までも、本当に危険なことが何度もあったの。万が一にも……あの子を失うようなことになりたくないわ」
サクヤはスオミの首の回りに両手をまわしてきゅっと抱きしめた。
「私もフレイヤが大好き。あのね、明日。授業がない日なの。また遊びに来ていい?」
「ええ。ぜひ、来てちょうだい。フレイヤはまだご機嫌ななめかもしれないけど」
その日夜半近くまでエクルーはテントに帰ってこなかった。サクヤはエクルーのベッドで毛布にくるまって、寝ないで待っていた。ウイグルに来て以来、いやイドラにいた時でも、夜ひとりで過ごしたことなどなかった。
こんなに暗い長い夜、風の吠える夜、一人でいたことなどなかった。
ヤスミンに習った棒針編みで、毛糸の帽子を作りながら、小さな声で歌いながら、じっとエクルーを待っていた。
大丈夫、きっと帰ってくる。大丈夫。大丈夫。
エクルーが帰って来た時、サクヤは駆け寄ってだまって抱きついた。
「ごめん」とエクルーが言っても、黙って首を振っただけで、じっとエクルーの首にかじりついていた。
「ホント、ごめんな。一人にして」
「ううん。帰って来てくれたからいいの。パパみたいにいなくなっちゃったらどうしようって……」と言いかけて涙がこぼれた。
それ以上言葉を続けられなくて、サクヤはまたエクルーに抱きついた。
「私が……ヘンな子だから、どこかに行っちゃったんじゃないよね?」
「え?」
「パパもママも心配してた。私がフツウじゃなくなったらどうしようって。私ずっと思ってたのパパがいなくなったのは、私がフツウじゃないヘンな子だからじゃないかって。でもフツウって何なの? どうすればエクルーはずっと側にいてくれるの?」
サクヤはエクルーの胸をびしょびしょにぬらしながら泣きじゃくった。
「ごめん。そんなに心配させて。アズアがいなくなった理由は、君のせいじゃなかっただろ? アズアはあの湖で石を守っているんだ。俺はずっと君のそばにいる。君がフツウだろうとフツウじゃなかろうと、どんなヘンな子になってもずっと一緒にいる。大体、俺を見てみろよ。全然フツウじゃないだろ? 初恋の人はお母さんで、今は9つ下の君に夢中だ。フツーこういう男はヘンタイって呼ばれるんだぜ?」
サクヤがやっと笑った。
エクルーはぐしゃぐしゃの顔をしたサクヤにキスをして、にっと笑った。
「例え、君がグラン・パのクマとダンスしてたり、キスの練習するようなヘンな子でも、嫌いになったりしない」
サクヤはかあっと赤くなった。
「見てたの?」
「どっちかっていうと、クマが困ってたみたいだけど」
「もう」
「キジロー相手にしては、ずいぶん熱心なキスだったんじゃない?」
「もういいわ。ご飯食べた? スオミがエクルーの分もくれたのよ?」
「食べてないけど、朝にもらう。もうクタクタ。俺、考えるの慣れてないんだ」
エクルーはベッドにばふっとのびた。
サクヤはベッドによじのぼって、エクルーのそばにすわった。
「シャワーも朝?」
「うん」
「キスも明日?」
「キスは今もらう」
サクヤがふわっとエクルーにキスをした。そのまま額をエクルーの肩にくっつけて、しばらくじっとしていた。
「やっとエクルーと一緒になって、もう安心だと思ったのに」
エクルーはサクヤの両肩に手をかけて、上体を持ち上げ顔を見た。
「そんなこと考えてたの?」
「一人になるのはイヤ」
エクルーはしばらくサクヤ顔を見つめていた。
「フレイヤのイヤーカフ見た?」
「うん。すごく嫌がってて可哀想だった」
「フレイヤと同じテスト、サクヤも受けてみる?」
サクヤは身体を起こして、エクルーをじっと見た。
「このままだと、いつまでも不安だろう? フレイヤにつき合ってやるつもりで気楽に受けたら?学校はもう春休みだろ?」
「それでもし、私がヘンな子だってわかったらどうなるの?」
「ヘンな子だと何か問題ある? この研究所にもイドラにも能力者なんかいくらでもいる。フレイヤなんかとび抜けてる。サクヤは、フレイヤが能力者だからってキライになったりした? 不気味だって思った? 俺だってエスパーだ。フィアンセがエスパーだとイヤ?」
サクヤはエクルーをじっとみつめ返した。
それから首の回りにぎゅっと抱きついた。
「ううん。大好き。エクルーがゴブリンでもクマでも、魔法で王子様に化けたカエルでもエクルーが好き」
「……最後のは逆なんじゃない? 俺も今キスしてるサクヤが白鳥に変わっちゃっても、好きでいる」
「うん。ありがとう。」
「もう、寝よ?」
しばらくしてぽつとサクヤが言った。
「大きなサクヤも能力者だったの?」
「うーん、どうだろう。あの人、ちょっと特殊だったからねえ。サクヤ自身の能力というより、星に借りてるというか課せられた力という
感じだった。時によってスゴイムラがあった。普段は卵1コ持ち上げられないクセに、いきなり雷落としたりね。テレパスでさえなかった。予知夢はよく見てた。けどそれは、あの人の職業だからなあ」
「雷落とすの?」
「うん。1回だったけど……紛争地で診療やってた時に、ゲリラに襲われて……5人黒コゲにした。ヤケドだけで、命は無事だったんだけど、サクヤの方がよっぽどショックを受けてた。あれからだ。射撃だとかジュードーとか護身術を熱心にやり始めたのは。自分の意志で攻撃するなら、手加減できるからな」
「雷はサクヤの意志じゃなかった?」
「サクヤを守るために、降って来たんだ」
「誰が降らせたの?」
「宇宙……かな? もうない星の亡霊……なのかな。そんなもんに一方的に気に入られて、選ばれて、何万年も巫女をやってた。俺はどうしてもサクヤを破瓜して、その運命から解放する勇気がなかった。代わりに星の使命をいくらか肩代わりするのが精一杯だった。それで……」
「それで、グラン・パを見つけて来て、サクヤに紹介したの?」
「うん、そう。もうない星のしがらみなんか知らない人間じゃないと、こんがらがった運命の糸をひっちゃぶって、サクヤを解放できなかった」
「でもよく、サクヤがグラン・パを選ぶとわかったわね」
「サクヤの好みはサクヤよりよく知ってるんだ」
「可哀想に」
「君がいるからいい」
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