彼岸
お彼岸のきれいな顔の雀かな 勝俣一透
昼食は回転寿司となる彼岸 拙
今日は彼岸の中日なので、墓参りの親子連れも多い。最近は墓参りの帰りに外食というケースも珍しくない。
回転寿司は比較的に安価であり、子供向けのめメニューも豊富にあるので、親子連れも多い。古来 仏教では殺傷を戒めてきているので、仏教関係の行事では肉食を避けた。しかし、墓参りの帰りであっても魚食を主とする寿司屋の
暖簾をくぐる。
お彼岸のきれいな顔の雀かな 勝俣一透
昼食は回転寿司となる彼岸 拙
今日は彼岸の中日なので、墓参りの親子連れも多い。最近は墓参りの帰りに外食というケースも珍しくない。
回転寿司は比較的に安価であり、子供向けのめメニューも豊富にあるので、親子連れも多い。古来 仏教では殺傷を戒めてきているので、仏教関係の行事では肉食を避けた。しかし、墓参りの帰りであっても魚食を主とする寿司屋の
暖簾をくぐる。
勝俣一透の句は初めてです。きれいな顔の雀という表現であるが、お彼岸という状況の中で用いると、今まで気づかなかったような穏やかで良い気持ちになる。こんな気持ちは詩的な感覚とでも言うのかな。一見作れそうな句であるが、自分には真似のできないものがあります。あまり考えを捏ねくり返さず、素直で新鮮な表現を見つけることの大切さをこの句から学びました。
昼食は回転寿司となる彼岸 阿部
作者の注が句の背景を分り易く説明している。『今日は彼岸の中日なので、墓参りの親子連れも多い。最近は墓参りの帰りに外食というケースも珍しくない。墓参りの帰りに、家族で回転寿司に寄っている風景である。たいていの人が経験していることだから、読んですぐ状況が浮んでくる。阿部さんの句にある社会性・時事性をこの句でも感じることができる。その反面、前掲句にある「きれいな顔の雀」という新鮮な感じが乏しいのは惜しいことだと思います。
私も掲示板に毎日句を出していますが、彼岸の句に「きれいな顔の雀」を配した勝俣一透の句のような素直で新鮮な句を作ることはまだまだ出来ません。どうすれば作れるようになれるのかいつも考えています。このあたりが自分の作れる俳句のレベルだと納得して、毎日浮んでくる俳句を日記のように書き残しているのが現状です。今日も二つの句を読ませていただき、自分の俳句のことを考える契機とすることが出来ました。有難うございます。 願船
歳時記で彼岸の句を調べました。綺麗な顔の雀 こんな言葉を初めてききましたので、書きとめました。
本当に瑞瑞しい表現ですね。