植木市
少年に虚しき日あり植木市 鈴木六林男
売り物に犬が足上ぐ植木市 拙
庭木や果樹を植えるにふさわしい時期になった。農具市・互市などの名で、そちこちで開催されている。
植木市といっても、地方では植木に限らず、農具・日常品・臼・桶・ざる・など現在のスーパーでは買えないものとか、ラーメン 沼エビ 子犬までも出品されることもある。(子犬は売り物ではない。)
少年に虚しき日あり植木市 鈴木六林男
売り物に犬が足上ぐ植木市 拙
庭木や果樹を植えるにふさわしい時期になった。農具市・互市などの名で、そちこちで開催されている。
植木市といっても、地方では植木に限らず、農具・日常品・臼・桶・ざる・など現在のスーパーでは買えないものとか、ラーメン 沼エビ 子犬までも出品されることもある。(子犬は売り物ではない。)
六林男の俳句はあまり読んだことがない。無季、前衛俳句の人だと思っていたが、この句では季語や切れのある伝統俳句の形をとっている。「少年に虚しき日あり」は一読してよくわかる俳句らしい表現であるが、植木市との取り合わせの妙味があまり感じられない。寺社の境内や縁日、夜店などの植木市に出されている果樹や花木の苗もさることながら集まってくる人々も春を迎えて元気のいい季節である。こような季節に「少年に虚しき日あり」を取り合わせると、春の季節の巡りや人々の活動とは逆に、思春期の少年が虚脱感や自己喪失感に陥り悶々と過ごしている状況を想像するのである。 六林男俳句の真意がどこにあるかは確言できないが、自分はそのような感じを味わっているのである。
売り物に犬が足上ぐ植木市 阿部
阿部句でも同じ「植木市」を用いている。上五・中七によると「売り物に犬が足上ぐ」というのがその場の状況である。これは出品の植木に犬が小便をひっかけていることがすぐ理解できる。犬にとっては草花の苗よりも、しっかり立っている植木の方が似合うような気がする。出品の植木を「売り物」と表現しているところに諧謔性を感じることが出来ました。有難うございます。願船
眼が疲れていたり、調子が悪いと送信されないことが時々あります。そんなときは僕は再度挑戦します。すると前回よりも明瞭な数字が出てきます。三回ぐらい続けて押したこともあります。
付けすぎだと思う取り合わせの句は、切れの入った一章体と解釈すれば、分かりやすいと思います。拙句は一章体のつもりでかきました。六林男さんの句は取り合わせの句ですね。どんなつながりが探るのか取り合わせの句魅力ですね。一章体なら春愁いなのでしょうね。取り合わせの形をつかったから、植木市としてもやもやとした心情を吐露したのではと愚考しました。