
12月25日、日曜日。
午前0時50分。
曇り。
帰り道には、わざわざ教会の前を通って
しかも二度も通って
仕事から帰ってきました。
どうしても、教会の前を通りくてね
でも
もう窓に明かりは無くて
十字架は空へ伸びて
教会が静かに佇んでいるばかりなのでした。
時間も時間だからね、
みんな家で団らんの時間
もしかしたら
もう夢の中という人もいる時間
キャンドルの灯りも眠りについていたかな?
クリスマスツリーも飾り忘れてしまった僕だけど
友人へのメールは忘れませんでした。
このブログや絵のブログに
“Merry X’mas”
を伝えるのも忘れませんでした。
イブイブに小さなケーキは食べたし
僕のクリスマスなんてこんなものかな。
大好きな人がもしもいたとしても
幸せな時間を送ってくれることを
祈る、それだけです。
それが正しいのかは分からないけど。
“好き”って何だろな?
“幸せ”って何だろな?
“祈る”って何だろな?
“好き”とは…焼き餅やいてしまう。
焼いたらダメダメと思いながら
いつの間にか焼いてしまう。
そんな時、
“あぁ、好きなのだな”
…と気付く。(鈍い)
そばに居てみたいと思う。(でもこんな僕じゃな、と思う)
好きという事実がシンプルに在るだけ、
それでも良いと、自分で自分に言い聞かせる。
でも、心の何処かで疑問を持つ。
“幸せ”とは…?
ある人は、好きな仕事ができること
ある人は、趣味に没頭できること
ある人は、結婚すること
ある人は、独身でいること
ある人は、好きな人が幸せなこと
ある人は、家族が平穏でいること…などなど
他にも沢山の幸せがあると思います。
僕の幸せは、何だろうか?
未だに分からないや。
でもそういえば
今年、一度
“幸せかも”
って思ったことあったなぁ。
またいつかあると良いな。
幸せな瞬間が。
“祈る”とは…
思い起こせば昔から
低学年の子供の頃から祈っていたような気がします。
家族みんなが長生きしますように
明日は雨になりますように(体育が苦手な子供)
明日は晴れますように(遠足が好きな子供)
給食、全部食べられますように
帰り道、ランドセル蹴飛ばされませんように
早く夏休みになりますように
オモチャ、買ってくれますように
将来、美しくなりませんように
真面目に生きていけますように
将来美しくなりますように…は、変わった子供だったなと思うけど
よく祈っていたなぁ。
他にも、世の中の女の子とは真逆のことを祈っていたっけ。
大人になった今は、
今日も良い日になりますように
みんな幸せでありますように
亡くなった人達が安らかでありますように
平和でありますように
音楽がずっと続いていきますように
…とかです。
自分のことは気付けばあまり祈らないかも。
やっぱり変な人だね。^^;
クリスマスだからか
日頃の懺悔をしたくなります。
異次元の小心者で変わり者で
疲れ果てないようにマイペースでいたいと思ってしまう
本当に申し訳ない毎日です。
X’masに
幸せを祈りたい人がこの世界にいること
そのことが祈りであり
幸せであり
祈りなのかもしれませんね。
でも、好きとは
そばに居ないと意味がないのなら
僕という人間はかれこれずっと長い間、意味がないのかもしれない。
“そばに居られることは幸せ”
を、思う気がしたクリスマスでした。
今夜も
Merry X’mas
お休みなさい
*