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Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

2015-09-20 | Weblog
9月20日、日曜日。
午前7時52分。
晴れ。


空は今日も、いつもの水色です。
光は、窓のそば
視線を淡い吸引力で広がっていて
頼り甲斐のある支えの一本となります。


地平線を見ることはないけど
光は望めば
誰にも平等に注がれる。


陽に当たり
肌は温かみを感じ
呼吸も
多少、深くなり
体の中には
光がいっぱいに含まれた風が流れる。


鱗の一枚一枚が
きらきら光り
ドンマイ、ドンマイと
声のない声として
微笑んでくれる
雲の群れ。


まるで
海の中を、悠々と泳ぐ魚のようだ。


鯵は、大集団で泳ぐ。
中側に卵を持った雌達を
外側の雄達が守る。
鱗を輝かせ泳ぐ。
海の生活、生業を謳歌している。


空と海は、似ている。
水色、青色。
雲の群れ、魚の群れ。
空や海の境目などないかのようです。


朝が来て
太陽が昇り希望が湧く。
光は勢いを増し
町を照らしていく。


午後には、少し現実的な含みを持って
日暮れ時には疲れきって労いの色が見える。


微かな紫色さえ消え空が藍色になると
そこはもう、星の世界。


輝く夜空の星の光よ
いつの間にか小さくこぼれたら
窓から外へ飛び出して
町の中をさ迷い歩き


夜の間中
何を探すでもなく、探すのだろう。
大事なものを。


それは夢と繋がっていて
繋ぐバイプは
大好きなもの、ワクワクするもの、大切なもの
微笑みであり、涙であり、不思議であり
目には見えないものなんだってさ。


だから僕らは
この世界の、窓辺で
世界を見る
国を思う
人を好きになり
家族を大切にし
光を求め
欠伸をしても、色んなものが
満ち溢れている。


きっと、ステキな世界。
ステキな君。
空は、いつでも不偏なのだ。



…なんて
なぜか、今日は
思い付くまま、9年前を思い出したからか
へんな文になってしまいました。f^_^;
純粋に、思い付くままです。
詩を書いているように書いてしまいました。

窓辺の景色からの
イメージです。


何か、今日はへんな僕。(いつもか?
)
今日も元気でね。
では、良い日を!














『窓』

きっと、ステキな世界
思い描くところから
もしかしたら
ビッグパンは起こっていく

数えきれない
人類は見飽きた
仕方ない
人類は、言い飽きた

名前を
呼ばれたことはない
手に触れたら
きっと、とても温かい

君は自由なのだから
ステキなのだから
この世界は
ステキなところ

窓から
そう、星達が囁いている
輝く夜空の星の世界で







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瞬間の続き

2015-09-19 | Weblog
9月19日、土曜日。
午前7時25分。
晴れ。


雨の日が続いていたけど
やっと、晴れました。
光が綺麗です。


全然、面白くない話題で
申し訳ないのだけど…(いつも面白かないか?)
今日は、ブログ記念日です。


ブログを始めたのは
9年前の今日だったと思います。
2006年の9月19日、夜。
姉①の家でパソコンを借りて始めてみたのでした。


その時のことは覚えています。
パソコンをあまりやったことがなかったし
文を書くことも
パソコンも
自分の世界にはなかったことだったので
ワクワクしました。^^


第1回目は、自己紹介でした。
ブログに書く内容は全く決めず
その時の時事なこと
思い付くままのことを書いったっけ。
ブログ名も、パッと思い付いたものだったし
全てが思い付きだったなぁ。


当時は、家族の人数は今より多く
その2ヶ月後には少なくなってしまったけど
姉の家に行った日に
ちょっとだけパソコンを借りて
思いがけず始まった
ワクワクのブログでした。


我が家の庭は、まだ、モサモサではなくて

菜園には野菜が植わっていて


10年、ひと昔と言うけれど
来年には
10年経つのだなぁ。
ビックリです!


もうそんなに経ったのか…と
ふと、月日を思うけど
実のある月日だったのだろうか?
歳はとっても
頭の中身はあまり変わりないような気がします。f^_^;


詩が好きで
詩を書きたかったけど
いつものブログに書くのは恥ずかしかったので
詩のブログを作って
詩は、2007年からだったかな?


それがこのブログです。
今はでは
羞恥心もどこへやら…
9年前に姉の家で始めたブログと、詩のブログを
合体させてしまいました。
それで、こんな感じになりました。



今でも、やっぱり恥ずかしくなることがありますけど
続いています。
基本、書いているのは
楽しいです。^^


内容が面白くないのは…人間が面白くないですから
仕方んないな。(>_<)



詩を好きになったのは
多分
毎日(ほぼ)、グリーンのワンピースを来てくる先生の頃だから
やっぱり
1年生か2年生です。


学級文庫にあった詩集を借りて
読んで
気に入って
それから、詩が好きになった…
という自覚はないまま月日は経ち(鈍感にも程がある)


詩が好きだなと自覚したのは
大人になってからでした。
変な人だね。(僕)


自覚したのは
父がお医者さんに行った時
運転手で付いていったのだけど
駐車場の隣に蜜柑畑があってね


父を待ちながら
蜜柑畑を眺めていたら
突然、急に
詩を書きたくなって
書くようになったというわけです。


恥ずかしいから
誰にも内緒のことで
詩を書いてるなんて、とても人には言えない
僕なのでした。


拙い詩ばかりで…詩の神様には申し訳ないけど
でも、今では詩を書くことは
毎日の癒しです。



ブログ記念日、
あと、9分でブログ記念日でなくなります。
日付変更線がもうすぐです。
あ、あと8分になりました。


ブログと詩
いつも
ありがとう。












『瞬間の続き』

あの頃は
あの頃で

この頃は
この頃で

傘を差したり
陽射しが眩しすぎたり
かと思えば
雨の雫や
日向の柔らかさに
夢を見たり

色んなことがあった
今もある
多分、これからも

全部
覚えているよ
どの瞬間も
大事な大事な
大事な
瞬間なんだもん







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はじまり

2015-09-18 | Weblog
9月18日、金曜日。
午後12時03分。
曇りのお昼時。


雨は、いつやんだのだろう?
昨晩は、雨と雷。
雷鳴はじょじょに大きくなっていき
我が家は今まで
何故か、落雷がここ数年で3度もあるの家なので


雷様に嫌われているのか
又は、逆に気に入られているのか(これはきっとないな)
さっぱり分からないのだけど
そんなことがあるから


雷鳴が大きくなったところで
テレビのコンセントを抜いておきました。
(母の指示により…)


寝起きには
コンセントを抜いたことを忘れていて
テレビがつかない!…と
寝起きの寝ぼけ頭の僕は慌てたりもしたけど
無事、落雷はなく済みました。ほっ。



雨、雷、津波
そして、安保法案。
演説、もみあいの中の可決。
雨の中のデモの風景。
頭の中はそんなイメージ、風景が混ぜ混ぜに漂っていた
1日の始まりでした。


昨日(17日、木曜日は)休日だったのだけど
用事の合間、やっと手が空いたので
中継を拝見しました。


演説、もみあいの中、いつの間にかの可決。
強行って
ああいうのなのだね。(/_;),
胸がつぶれるかと思いました。
つぶれるわきゃないのだけど。


可決した時には
『あぁ、この瞬間を僕は、忘れることはないだろうな』
と、感じました。


柔軟に生きるとは、どんな生き方なのだろう?


柳の枝はやわらかく
滅多に折れることはなく
風に、そよそよと揺れる。


やわらかな、ふわふわしたものは
もふもふしたものは
人を幸せな気持ちにさせる。


小さな頃
母親の腕の中、又は、父親の膝の上で
安心していた時のような
花畑の日曜日のような。



目には目を、歯には歯を。
刃には刃を…だったか?


武士の『武』という字は
『戈を止める』
と、書く。
『刃』も同じようなものかな?


武士は現代はいない時代だけど
戈を止めることが
出来るか?


無力なのかも知れないけど
無知なのかも知れないけど
とにかく、残念です。


聞く耳を持つ気は
はなっからない
…なんて、そうなふうに見えました。


『絶望は愚か者の結論である』


我が家の
子供の頃から入り浸っていた
大好きな
祖父母の部屋の柱に掛かっている
日めくりカレンダーに書いてある言葉です。


日によって言葉はちがうのだけど
月にいっぺん見ることが出来る言葉です。
この言葉、好きなのです。


絶望とは…
希望が全くなくなること、
希望をいっさいなくすこと
だって。


ということは
絶望の反対語は

『希望』



希望を、持ち続けることは
難しいことだろうか
容易いことだろうか、
そんなの
いちいち
意識するものではないのだろうか。


難しいと思ったら、難しい。
容易いと思ったら、容易い。
気持ち次第だね?


怒らないこと。
怒りのエネルギーを
もっと、有効なものや、ことに向かわせて
少しでも
希望に変換すること。


『絶望は愚か者の結論である』
この好きな言葉に
この言葉を生んでくれた人に
応えること。
墓石の文字から離れない心に
手を差し伸べること。


この世界は
まだまだ、まだまだ、まだまだ
なのです。


僕ら私達の
みんなの
大事な、大切な


大和、うるわし
『ふるさと』
なのですから。












『ストリート』

愛という言葉は
あまり、使いたくないのは
それだけ
大切なものだから



会議場に
あるのかな

霞ヶ関のストリートでは
沢山の人が叫んでいる

雨の中でも
真っ赤に燃えて
未来へと
飛ぼうとしている

それだけ大切だから

誰を?
何を?
愛を







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大和うるわし

2015-09-17 | Weblog
9月17日、木曜日。
午前6時12分。
小雨。


雨がポツポツと降っています。
窓からの景色は、白く煙っています。
遠くにいつも見えるアパートや木々が今朝は見えません。


ニュースで見ました。
安保法案、政府と民との
くっきりとラインが引かれたような
意識の差を示すかのような
東京の風景。
雨の中のデモ、見ていたら
胸に込み上げてくるものがありました。


デモに参加していない人も
同じ思い、似た思いで
ニュースを見聞きして
遠い地に思いを馳せていたのではないかな?


賛成の人の気持ち
反対の人の気持ち
どっちかわからないなの人の気持ち
強行採決
強行…。


世界の中で日本は
ある種、特別な存在なのだって。
唯一の被爆国であって
しかも二度も、被爆経験があります。


平和を望むのは
遥か昔から、ずっと同じで
それでも人は
戦争を手離せずにいて


長い間
痛み
苦しみ
寂しさ
虚しさ
辛さ
悔しさ

飢え
後悔
矛盾

地獄
他に何がもたらされる?
野蛮な戦争から
得るものなんて。


口にするのは
文字にするのは簡単だけれど
実際の風景は
想像つかないくらい
むごたらしいのだろう。


人は、時間が経つと忘れてしまう
誓いも
地獄を作り出すのは人
楽園を作り出せるのも人
鍵を握っているのは人


戦争なんかには二度と手を出すまいと
どんな状況でも
殺し合うことは絶対に
あってはならないと誓ったのに。


平和を望んでいながら
態々、飛び込んでいってしまう
呼び込んでしまう。
気がするのだけどな。


相手に理由を与えてしまうのではないか。
丸腰を攻撃することは
世界中に批判されるから
武器を持つようにシナリオ通りに
まんまと動かされていたりして

…なんて
思ったりしてね。
これはただの、僕の妄想です。(>_<)


平和なためにではなく
戦争をわざわざ、
呼び込んでしまうように思えてしまう。


憲法第九条は
『世界の宝』
だと、聞いたけど。
宝物は、大丈夫なのだろうか?


この70年
たったの70年。
鍵だけ外して
鍵の主はいずれ、誰に変わるかも
ワカナラナイ。


宝物、手離さないようにしてほしい。
手離したら
もしかしたら
何かがポキッと
折れてしまうのかも。


310万人の生まれ変わりを
また死なせるなんてこと
しないでほしい。


ニュースを見ていて
心がフルフルと
震えたのは何でだろう?
50年後、
100年後
日本はどんな国になっているのだろうな?


涼しくなりました。
カゼなど体調には
気を付けて下さいね!













『大和うるわし』

麗しの国の面影を
何処に見出だせと言うの

強気
弱気
平和を謳うのに
血が流れる

届かない声

ふるふると
震える胸に
もっと、やわらかく
もっと、寄り添って

君は、何処?

大和、麗し
なつかしや
あの唄







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雨は降る

2015-09-16 | Weblog
9月16日、水曜日。
午後15時23分。
雨。


お昼頃から降り出しました。
雨の午後は
ペンタス、撫子、玉すだれ、
キャットテールにランタナ
咲き始めたばかりの
ピンク色の秋桜が咲いています。


どれも綺麗だし可愛いのだけど
秋桜の後ろ姿が可愛いです。
秋桜、今年はどうかな、
また今年も、沢山、咲いてくれると良いな。


母は、今日は慌ただしく
何人かの人達と連絡を取り合っています。
お世話になった親しい方が亡くなったそうなのです。


母がよくお世話になっていたので
きっと、哀しい気持ちだと思います。
僕もお会いしたことがある方だけど
とても良い方でした。


その方は、子育ても終わって久しい頃
年をとられてから大学に入られたりなど
向上心を忘れない
尊敬してしまうような女性でした。
(母がそんな話をしていました)


やっぱり、こういうことは
しゅんとしてしまいますね。
今日の雨、秋雨のような気持ちになります。


ピアノを弾きたかったけど
今日はやめておきます。
弾きたくて仕方ないところだけど
自分1人がホッとはできないな。
楽しむことは、できないな。


人の生死は
花が咲いて散るように
季節は永遠に
春夏秋冬を繰り返すように
当たり前のことなのだろうけど


いつまでたっても
平常心ではいられないものです。
母はきっと、辛いだろう。
でも
それでいいのだ、多分。


だって、しばらく会えないんだもんね、
寂しいもんね、哀しいのだものね。
お世話になったのだもんな。



多分、我が母は僕の知らないうちに
泣くのではないかな?
若い頃は、お父さん好みの
目が三日月みたくなって
フワフワした、やわらかい笑顔の
母だったけど


今は、すっかり強くなって
笑顔はそのままだけど
負けず嫌いのしっかり者。
人前でめそめそするような女性ではないけど
きっと、1人になった時にでも
ひっそりこっそり、涙するのだろう。


長年、母といるからね
そう思います。
だから、母よ。
今は仕方ないけど、いつか元気になるのだよ!
…です。


元気になってくれるのなら
今は、いっぱいに、哀しめばいいと思う。
大切なのは、いつか必ず元気になることで


亡くなった方は
残してきた方達が元気でいてくれることが
一番、嬉しい
心から安心できることだろうからね。


そんなことを
何年か前に、友人から教わりました。
最近読ませて頂いた本にも
書いてあしましたよ。


亡くなった方の幸せを願いながら
あたたかな気持ちを送りながら(届くそうです)
安心してもらえるように
元気でいること。


そんなことが大事みたいです。
魂から魂への
思いのプレゼントですね。












『雨は降る』

哀しい時が来て
雨は降る

楽しかったから
好きだったから
奇跡だったから
雨は降る

私は哀しみですと
名乗りながら
雨は降る

哀しむことも心のしごと
生まれ変わる度に
雨は降るのです

そばにいる
いられなかったら
心はいつも、共にいる







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