JAZZ PIANO で行こう

ヤノテルの音楽ブログです。ジャズピアノの研究・指導・作曲・ライブをしています。音楽が人生の喜びです。

ジャズはもうオワコンなのか?

2016年10月09日 | 音楽雑感

ここ数年、音楽にどっぷりつかっています。

長い人生の中に辺境に押しやられていた音楽を中心に据えてくると、

見えてくるものがあります。やはり音楽に関われることで

はっきりと見えてきたことは音楽はとても純粋がゆえに

音楽が与えてくれるものは無限大ということです。 


自分の仕事(学習塾の経営者&指導者)と音楽の指導とのバランス。

長年携わってきた仕事は順調で、切れ目なく生徒さんが私の周りに

集まり仕事はつきません。独身時代は祭日も日曜日もなく、

仕事をしていましたが、今は仕事offの時は、音楽や読書、ブログを書いたり、

ひたすら長時間ピアノを練習したり、創作したりしています。

また、ちょっと変わった小説を書いたりしています。いくら時間があってもたりないので、

今日も朝3時ごろもぞもぞ起きだして、ジャズメンのブログを読んだり、読書をしたり、

楽譜を書いたり、調べ物をしたり。

実は、18才前後も同じことをしていたのです。音楽・創作、読書、思索。

どちらかと言うと、勉学よりそちらの方を大切にしてきました。

しかし、今は仕事と音楽のバランスが拮抗していて、

その間に雑用を済ませている感じ。

音楽から収入を得ることは、これはこれで、プロと言われている人でも難しい。

ましてやジャズとなると、これは1960年代のジャズメンもそうだったのですが、

ニューヨークにいても、日頃はタクシー運転手をして、お声がかかると、

スタジオに録音に行くという生活。

そんな境遇のジャズメンが多かったそうだ。

ビジネス的に成功したミュージシャンは

ほんの一握り。

ジャズはもう死んでしまったのか?

そういうタイトルの文章を読むと、ついつい

「おいおい・・、またかよ。」とツッコミを入れたくなる。

ジャズはゾンビとしてこの喧騒の世の中に

放たれ、ジャズメンを地中に引きずり込む。

いやはや、大変な時代になったものです。

「ジャズピアノやってんですか。おしゃれですね」

ジャズピアノをやっているのを知ると

だいたい皆さんそう反応してくれます。

おしゃれですねというセリフがおしゃれですね。と返したい。

たしかに、ジャズはアメリカの進駐軍がもたらした音楽。

外来のなんとなくわけわかんね音楽という意味では、

あるいはカフェでかかっているなにげにmajor7thの

ジャズボサノヴァっぽいのを連想するのか、

ようするにおしゃれな帽子、おしゃれなスーツ、

おしゃれなスカーフ程度でしょうか。

またジャズを演奏するにはバークリーなんちゃらが

何気にすごいらしい。だから、おされ。

あるいみ納得。

まさにバークリ理論とは、そういうたぐいのものです。

スタン・ゲッツのアドリブをバークリ理論で解釈しても

それは、単なる解析・分析に過ぎず

どんなに、分析して、コピー譜をなぞったとしても

彼のような天才的な奏者になることは所詮無理なのです。

彼の生い立ちから、音楽理論を学習した形跡がありません。

それでもあれだけのアドリブが吹けるのは現場での叩き上げの

何物でもないのです。

ジャズとはそういう音楽です。

現在ジャズはショービジネスにおいては最も辺境に押しやられています。

さらに音楽の真価はあれども、進化はもうとまっています。

完全なガラパゴス化した音楽形式。

ピアノ演奏においても、クラシックファンは意外と多いですが、

ジャズピアノを純粋に愛する人はどれほどいるでしょうか。

実際にジャズピアノを弾いてみたいと思う人は

次々立ちはだかる課題に、ジャズピアノを究めることの難しさを体感するでしょう。

しかし、実は、ジャズという音楽の中には無限に広がる自由があります。

その開放感をピアノライブを始めるようになって知りました。

それをぼくはあえてジャズピアニズムと呼びたいです。

クラシックは楽譜通り弾かなければ成り立ちません。

楽譜の中に作曲者の真の意図を見出して、それを音にします。

私も今はバッハをよく弾きますが、バッハを弾くということは

バッハが作り上げた緊密な音の建築物の中で遊ぶということです。

そこには数式で計算尽くされた建築物のような

頑然とした世界があります。

しかし、どうでしょうか。そのバッハを

ジャズ化させると、彼の世界を自分の世界に引きずり込むことができます。

もちろん、和声の知識が必要です。またリズム感も必要です。

さらに、アドリブ力も必要です。

そういう練習も楽しく、有意義です。そしてバッハの世界が

ぱっと明るく自由な世界にひろがっていきます。

ピアノという楽器は面白いもので、まだピアノのおけいこのように

ただ楽譜をなぞっている間はまったく面白くともなんともありません。

しかし、音楽が自分の思い通りに弾けて自分の世界を出せるようになると、

これは実に楽しいのです。ピアノ人口の殆どの人がその楽しさを知りません。

それはあらゆる音楽を自分の世界に引きこむことが出来る

ジャズメソッドを教える先生が周りにいないからです。

できない人からすれば、それはマジックのようですが、

ちゃんと理論とトレーニングをマスターすれば、

だれでも演奏できます。

ジャズピアノというのBlue Noteを使えるとか、モーダルな演奏をするとか

単にジャズ・スタンダードを弾けるというだけではないのです。

たとえそれが、民謡だろうが、ポップスだろうが、

その素材を自分の世界に変えてしまう魔法の杖のようなものです。

自分の世界で勝負をすればいいのです。

もし、なかなかうまく弾けなくても

一つの曲をとにかく何百回となく弾いていけばいいのです。

注意深く自分の音を聞きます。音の流れ、コードの流れ

リズムを体で感じ取るのです。

そういうことを繰り返していくうちに

思ってもみないフレージングができるようになります。

そうなると、集中力は人生の中でもちょっと経験しない集中力となります。

打鍵によって物理的に音の粒が一定の情報(音の高さ、長さ、強さ)

が押し出されますが、むしろその音が出てくる連続性の音のスープの中に脳が埋没している感じ

というか、なかなか表現するのが難しいのですが、

その音と一体になっている感じですね。そういう世界が見えることがあります。

この感じが、ライブをしているときに出る時があります。

これはまさに至福の時であり、音楽という海に脳が浸っている感じです。

こういう瞬間を味わってしまうと、(こんなことを言うのは不謹慎ですが、)

もうお金とか金銭的損得とかどうでも良くなってしまいます。

そんなものは自家中毒者の戯言だと言われるかもしれませんが、どう思われても

いいのです。

その瞬間は、アマチュアも、プロもないのです。

それだけの集中力を出してくれる楽器も楽器ですが、

もうそこに聴衆者がいてもいなくても、自分の中で折り合えば、

それは自分の中で成り立っています。(ただやはり観客がいてこその

ライブです。観客が一人もいなければ、それは単なるリハーサルでしょう)

まだ無名の私のライブに来てくれる人は少ないですが、

毎回数人から20人位でしょうか。

有難いことに、そういう境地で演奏できた時は、後でメッセージを頂けます。

「感動した」という言葉をいただき、何度もあしげく通っていただけます。

こうなると、まんざらそのセリフはお世辞でもないのだと思います。

有難いことです。

若い頃はプロとして音楽に従事しかけましたが、

自分のなかでしっくりこない部分があり、

(このしっくりこなかった理由はまたお話する機会が

あるとおもいますが・・・)

音楽ではないビジネスを始めることにしました。

それはある程度ワークライフバランスとしては成功しています。

その状態をキープしつつ、金銭的な成功よりは

自分の中の音楽の可能性を広げたいというのが

現在の心境です。

では、音楽を道楽としてやっていくのですか?

と問われれば、道楽というよりは道苦のあとの道楽にしたいと思っています。

苦あれば楽あり、厳しい登山の後の青天井を見上げるアノ爽快感を

感じたいと思っています。

では、私のやっている音楽がジャズの範疇に属するのかと問われれば、

ちょっと違うかもしれません。カテゴリーなんてなんでもいいのです。

自分の創作の発露を自由に解き放つ。時にはジャズメソッドをお借りする

という程度でいいのです。JAZZと心中したいわけではありません。

自分が作った曲をひたすらライブで演奏し、

誰かが気に入ってくれて、ちょっと聞いて元気になってくれればいいのです。

以前ボクの音楽を聞いたあと、ある女性が

「あなたの音楽を聞いていて、自分にのしかかっていたベールが一枚一枚はがれていくような

気がして、楽になりました。」そんなことを伝えてくれました。

「だから、弾き続けてね・・・」というメッセージを頂きました。

それだけでいいのです。   ♪       ♪       ♪

クラシックピアノを弾くにしても、ただ楽譜通り弾いてもおもしろくありません。

楽譜通り弾けたからといって、プロの演奏を聞けば、自分の演奏が情けなく

聞こえてしまいます。その距離は数光年・・・。

しかし、ジャズは何も同じ音符を弾く必要はないのです。

自分の音を出せばいいのです。自分の音を出せるように

理論をしっかりと勉強して、ひたすらピアノに向かえばいいのです。

 

 

ジャズの黄金時代ははるか昔に終わりました。

これからジャズを愛する私達は、

茶道のように、はたまた花道のように型はあっても、中身は自由。

すなわちジャズ道の我が道を進めばいいのです。

 

 

 

 

 

 

 


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