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デッサンの怖さ。

2008年09月07日 11時51分44秒 | 学問
小泉メールマガジンを創刊の時から読み政治は変わったと期待して何年になりますか?小泉さんが辞めて安倍メールマガジン・アット言うまに一年持たず。
そして今回の福田メールマガジン・コレマタ一年。

メルマガも小泉さんのときは当初は読んでいたのですが後半はまったく読まなくなりました。

そして最後になった福田メールマガジンが配信されてきたので二年半ぶりに福田さん最後の言葉(福田内閣メールマガジン(第46号 2008/09/04)を聞こうとクリック。

[ありがとうございました。福田康夫です。]
ありがとうございました。福田康夫です。  

日本の古人の好んだ言葉に、「永遠の今」という表現があります。  
「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新しさが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい。」  

 1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。  
太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違いはありますが、永遠の今です。  

 私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想うことがありました。  
万人にあたたかい政策を途切れさせてはならない。万人のために常に新しい政策を提供しなければならない。政策が決して古くならないよう、いつも新しくあるよう、手入れを怠ってはならない。  
政策としてのアンサンブルが「永遠の今」を奏でている、このことを決して忘れてはならない、と思ったからです。  
立場上、政治とは何かとよく聞かれますが、「当たり前のことを当たり前に誠実に積み重ねていく」、常にこう答えています。  
国民の皆さんに提示し、そして実行する政策は、今だからこそ必要な即効性に富んだもの。近い将来に有益なもの。10年未来、100年未来の日本と日本国民に寄与するもの。そして、日本だけではなく、諸外国との関係をよく考慮したもの。

 政策にはアンサンブルが求められる、これが必須の条件だと考えています。  私は、月曜日、総理大臣の職を辞する決意をいたしました。それは、国民の皆さんのための政策をより力強く進めていくためには、新しい体制を整えるべきであると考えたからにほかなりません。
 この1年間、メルマガを通じて、読者の皆さんからたくさんの率直な声をいただきました。今振り返れば、厳しいご批判も、温かい励ましも、毎週寄せられるご意見は、私が政策を進めるための大きな原動力でありました。
 今はただ、読者の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。1年間のご愛読、本当にありがとうございました。

以上が現役最後のメールなのだろう。

何故このような政治の話題をデッサンの書庫に「この国はどうなるのか!!」というテーマで書いたと申しますとデッサンとは見る事なのです。
頂き物の書庫にN0.3 『石膏デッサンの目的』 と言うタイトルをお読みください。
そして先週の新日曜美術館の高島野十郎 さんの生き方「絵を描くとは見る事」と言う一言。

まさしく政治も人が行う行為デッサンが間違っていれば、おのずと仕上がりも変わってしまう。
よく政治家の人間は10年先100年先を見据えてとよく使う。

昔の人はよく言ったものだ10年先の事を言ったら鬼が笑うと!!

私共のHPのデッサンの見方にページに石膏のビーナスが載せてあります。

私が美大受験の為にと高校時代に購入した物ですが眺め続けて40年以上がたちます。

10代だったあの頃の私に40数年後の今が見えたでしょうか?

もうお分かりになってきたと思いますが今日・今をどう見るかが一年後を変えます。

生徒さんも10年前後の人が半分を占めている教室です。プロの画家が育ってきても当然の結果です。

今回の福田さんの辞任・大方のブログの評価は誰が総理になっても同じと言う意見がやはり多いですね。

誰が総理になっても同じと言う言葉はもう30年ぐらい聞いています。

この言葉が日本に定着してしまった事が現代の日本を作ってしまっているのです。

私は医学部で15年教壇に立っていたので門前の小僧でかなり医学を勉強させていただきましたが医学とは絵画とまったく同じ道を歩いてきた過去が500ほど前から次序に医学とアートを分けて現代に至った居ます(養老孟司先生の説引用)

一年おきにその国のトップが入れ替わる国自体にその国が栄えるはずがありませんね。

大学を出て勤め先を一年ごとに変える人を皆さんはなんと言うでしょうか(石の上にも三年)・笑

しかしそう言った総理大臣を決めているのは有権者である私達のはずなのですね。

10年先の事は鬼が笑います。今をしっかり・其処にあるものをありとあらゆる角度から見る・触れて見る・嗅いで見る・触って見る・聞いて見る、と五官を使い感じて見ると六感まで使って見る事がデッサンを会得して行くことだと思います。

私の恩師の言葉に「結果は求める物でなく付いてくるものだよ」と・・。

10年後100年後に日本列島に今の日本人が居ることなど誰も断定できないのですから。

今年の異常気象・地震の多発人災と天災とで今をしっかり見る事が出来るかがこの国の未来にかかっているのでしょう。
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