逝く者は斯の如きか
子、川の上に在りて 日わく、
シ、カワノホトリニアリテ ノタマワク
逝く者は 斯の如きか。
ユクモノハ カクノゴトキカ
晝夜を 舎かず。
チュウヤヲ オカズ
現代語訳
孔子が川のほとりに立って、
水の流れを見つめながら嘆息して言うことには、
「この水の流れのように 移りゆくものは、
昼夜を問わず 過ぎ去ってゆく。
人生とは このように移ろっていくものだろうか」
参照
川の流れに時の流れを重ねた無常感が
文学的に 美しく表現されています。
強い精神力で自らの思想を説いて歩いた孔子でも
心挫ける時が あったのでしょうか。
この章句には、前向きな力強い解釈もあります。
流れて止むことのない川の水。
自然は皆、変化をしつづけています。
人間も同じように発展、変化していかなくてはならない、
と いう捉え方です。
どちらの解釈でも 構いません。
その時の ご自身の心情に合うものを選んでください。
季路、鬼神に事えんことを問う。
キロ、キシンニツカエンコトヲ トウ
子 日わく、
シ ノタマワク
未だ 人に事うること能わず、
イマダ ヒトニツカウルコト アタワズ
焉んぞ 能く鬼に事えん。
イズクンゾ ヨク キニツカエン
日わく、敢て 死を問う。
イワク、アエテ シヲトウ
日わく、
ノタマワク
未だ 生を知らず、焉んぞ 死を知らん。
イマダ セイヲシラズ、イズクンゾ シヲシラン
現代語訳
子路が神霊の祭祀について 質問した。
それに答えて 先生がおっしゃった。
「まだ私は 人に仕えることができないのに、
どうして神霊に 仕えることができようか」と。
すると 子路は、
「それでは 死についてお尋ねします」と。
先生は、「まだ私は生きるということも よくわからないのに、
どうして 死について知っていようか」と おっしゃった。
参照
孔子は 現実主義を貫いています。
いかに生くべきかが 人生のテーマです。
神や目に見えない力を 否定はしませんが、
現実の世界で生きていくことを 最優先しています。
どのように 生きたらいいのか、
よりよい人物になるためには どうしたらいいのか。
日々 格闘しています。
だからこその言葉なのでしょう。
自然は皆、変化をしつづけています。
人間も同じように発展、変化していかなくてはならない、
人生は・・・諸行無常 ですよね。
平家物語の冒頭{ 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり~
~猛き者も つひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ }を
思い出しました。この一節だけは テンポが好きで 今も覚えているのです。
「まだ私は生きるということも よくわからないのに、
どうして 死について知っていようか」
孔子先生は、さすがです!!(失礼 (;^ω^))
㊳ 文・行・忠・信 を、大切にされてます!。
知らないことは いいかげんに答えられませんよね・・・。
正直に答えられるって、やはり 仁と礼の心なのでしょうか。
尚・・・孔子が大切にしてる 仁と礼・・・改めて 調べました。
「仁」・・・他者を慈しみ愛する 思いやりの心
「礼」・・・思いやりを態度としてあらわす礼儀作法
※ 季路(子路)は、④⑩⑮㉑㉛にも 登場しています。
前にも書きましたが・・・、子路は、
一番早く 弟子になった、勇敢で単純で一本気な性格。
貧しい家に生まれ、若い時は暴れん坊だったそうです・・・。
そして、孔子に 最も可愛がられたとも言われています。