祈祷会 士師記14章「サムソンとその働きは」 2024.10.23
士師サムソンについては、士師記13章~16章にあります。前回の士師記13章では、士師サムソンの誕生の様子が書かれてありました。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行ったので、主はイスラエルの人々を40年間、ペリシテ人の手に渡されたのでした。そこで、ダン族のマノアとその妻との間に、サムソンは生まれるのですが、主のみ使いによって、生まれてくる子は生まれた時からナジル人として神にささげられたものとして歩むことになっていました。ナジル人とは神に仕えて歩む人生を送ることを意味しています。ナジル人としてしてはならないことがあります。ぶどう酒や強い飲み物を飲まない、汚れた物を一切食べないこと、髪の毛を切らないこと、死んだものに近づかないことなどです。
そして、士師サムソンの誕生です。サムソンは成長し、主はサムソンを祝福されました。サムソンはティムナに行って、ペリシテ人の娘に目をひかれます。サムソンは両親のところに行って、「ティムナに行って1人の女性、ペリシテ人の娘に目をひかれました。どうか、彼女をわたしの妻に迎えてください」と願います。両親は「お前の兄弟の娘や同族の中に、女性がいないとでもいうのか。無割礼のペリシテ人の中から妻を迎えようとは」といって、反対します。イスラエルの人々は同族との結婚だけが許されていました。まして、異邦人との結婚は許されていませんでした。それを知っているサムソンは好きになったからといって、簡単に破ってしまうのです。両親の反対があっても、サムソンは父に「彼女をわたしの妻として迎えてください。わたした、彼女が好きです」と願います。イスラエルの人として許されないことです。このサムソンの行動を、4節「父母にはこれが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。当時、ペリシテ人がイスラエルを支配していた」と書いています。サムソンがペリシテ人の女性と結婚することは、イスラエルの人々にとってはしてはいけないことですが、あえて、主はそれを許し、ペリシテ人の脅威をイスラエルから排除するための計画だといいます。
サムソンは両親と共にティムナに向かって行きました。それはペリシテ人の女性と結婚するためでした。道の途中で、両親と離れます。サムソンはティムナのぶどう畑まで来たところ、一頭の若い獅子がほえながら向かって来ました。その時に主の霊が激しくサムソンに降り、手に何も持たなくても、子ヤギを裂くように獅子を裂きました。しかし、サムソンはこのことを両親には何もいわなかったのです。サムソンは女性のところに行って、言葉をかけました。サムソンは女性が好きでした。しばらくしてサムソンは彼女を迎えに戻って行ったが、あの獅子の屍を見ようと脇道にそれたところ、獅子の死骸には蜜蜂の群れがいて、蜜がありました。サムソンは手で蜜を集め、歩きながら食べました。また両親のところに行き、蜜を差し出したので、両親も食べました。しかし、その蜜が獅子の死骸からかき集めたものだとはいいませんでした。それは、ナジル人として死んだものに近づいてはならないことを破っているからです。
結婚の披露宴でしょうか。サムソンはペリシテ人の30人と共に宴会を開きます。サムソンは30人の客に「あなたたちになぞをかけたい。宴会が続く7日間にその意味を解き明かし、いい当てるなら、わたしはあなたたちに麻の衣30着と、着替えの衣30着を差し上げる。もし解き明かせなかったら、その反対になる」といいました。彼らはそのなぞかけに応じました。サムソンは「食べる者から食べ物が出た。強いものから甘いものが出た」となぞかけをいいました。彼らは3日間経っても、このなぞが解けませんでした。7日目になって、彼らはサムソンの妻に「夫をうまくいいくるめて、あのなぞも意味を我々に明かすようにしてほしい。さもないと、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺してやる。まさか、我々からはぎ取るために招待したわけではないだろう」といって、脅します。サムソンの妻は、夫に泣きすがって「あなたはわたしを嫌うだけで、少しも愛してはくださらず、わたしの同族にかけたなぞの意味を、このわたしにも明かそうとなさいません」といいます。サムソンは「両親にも明かしていないのに、お前に明かすわけがないだろう」と答えます。宴会が行われた7日間、妻はサムソンに泣きすがったのです。妻がしつこくせがんだので、7日目には明かしてしまいました。妻は同族の者にそのなぞを明かしました。
7日目のこと、日が沈む前に30人はサムソンに「蜂蜜より甘いものは何か。獅子より強いものは何か」と答えます。するとサムソンは「わたしの雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかっただろう」と答えて、自分の妻が知らせたことをいっています。サムソンはアシケロンまで行き、そこで30人を打ち殺し、彼らの衣をはぎ取って、着替えの衣としてなぞを解いた者たちに与えました。サムソンは怒りに燃えて自分の父の家に帰ってしまったのです。サムソンの妻は、サムソンに付き添っていた友のものとなったのです。元はといえば、サムソンが宴会の時に、なぞかけを持ちかけたから、このような悲劇になってしまったのです。ここまでサムソンはして来たこと、異邦人との結婚、死体に近づいたこと、ぶどう畑に行ったことなどです。ナジル人として許されないことを犯しています。どうして、士師としてサムソンが選ばれたのでしょうか。それもナジル人としてです。サムソンがペリシテ人の女性と結婚すること、最初、両親は反対していました。そのことを、これは主の御計画であると(士師記14:4)答えています。これは、どのような意味があるのでしょうか。これは創世記のヨセフ物語に通じることがあると考えます。
創世記45:4~5
ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」
ヨセフは兄弟たちから憎まれて殺されそうになりました。エジプトに奴隷として売られてしまったのです。その後、世界中に大飢饉が起るということで、エジプトで宰相になることになり、エジプトで兄弟たちと再会した時にいったヨセフの言葉です。人の憎しみを越えて、神は救いを行うことができるという意味です。サムソンの場合もそのように受け止めることができるのでしょうか。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。士師サムソンのことを見てきました。サムソンの行為をどのように受け止めることができるでしょうか。でも、そのようなサムソンを用いて、神のご計画としてくださること、ペリシテ人の脅威からイスラエルの人々を守るために行ってくださることです。あなたのご意志を少しでも理解することができる知恵を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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