古代史の事を調べると色んな疑問
が湧き起こり、自分自身の馬鹿さ
加減がよく分かります。特に縄文
人が弥生人に変化する時代に日本
列島で何があったのかは興味が尽
きません。
縄文人は文字がなかったので漢字
を知ってそれを自分達の言葉に置
き換えたそうですが、どんな言葉
を当時は話していたのか、或いは
なかったのか想像するしかありま
せん。上代日本語と呼ばれる言葉
は奈良時代以降ですから、その更
に1,000年以上も前にいた縄文人
は同じ言葉を喋っていたのか。
渡来人はどんな言葉を話していた
と考えればいいのか。古朝鮮語な
のか、古中国語なのか、或いは
日本・朝鮮祖語という言語なのか。
当時の最強の文明国は中国ですから、
東アジアの共通語と云うべき存在で
あったでしょう。或いは古中国語を
理解していた縄文人がいたのかもし
れません。
武田恒泰先生が言うには弥生時代
に九州地方で喋られていた言葉が
東へと広まったと云う事で、沖縄
には今でも古い日本語が本土より
残っているそうです。私が中学の
頃に教わった「係り結び」の法則が
沖縄には未だ残っているそうで、
古い日本語の言葉を研究している
地域が残っているそうです。沖縄
の人達に縄文人の遺伝子が本土人
より強く残っているので古代日本
語の名残りのある場所として考え
ても不思議ではありません。
古文は学生時代は難しくて、勉強
で劣等感を抱いたきっかけの学科
でした。それで文系を諦めてしま
った面があり、理系コースを選ん
で、今は一般常識に欠ける人間にな
ってしまいました。中高校生の頃は
英語は苦手でしたが、大学で英文法
をしっかり教わって苦手意識は減り
ました。古文もちゃんと先生が文法
を教えてくれていればと思いますが、
理系科目が重点教科だったせいで、
そもそもいい先生が端からいなかっ
たのかもしれません。徐福が連れて
来た人達がタミル語にルーツを持つ
言葉を喋っていたとすれば江南地方
で水田稲作を主体としてにいた人達
の言葉が縄文語に影響を与えたのか
もしれません。
福岡には徐福伝来の伝承があるそう
で、それは今から2,200年以上前の
事だそうです。その頃に水田稲作が
飛躍的に拡がっていったそうです。
偶然としても何かしら関係がある様
にも思えます。これ以降は中国の
史書にも日本の事が具体的に出てき
始めます。卑弥呼の事が魏志倭人伝
に書かれた頃から約400年前に中国
の徐福が日本に大勢の人達を連れて
日本へ上陸して、その後の日本列島
の文明の発展に寄与したと考えられ
ない事もありません。しかし現在の
天皇は韓国朝鮮の影響を受けている
と上皇様は理解されているので矛盾
します。天孫降臨した人達がどこか
ら来たのかは未だ解明されるだけの
証拠がないようです。ただ宮内庁が
云う神武天皇が紀元前660年に即位
したと明言しているのは間違いなの
は専門家達も意見が一致しているの
に訂正されていません。これは余り
科学的な態度とは言えません。陵墓
と云われる遺跡も宮内庁が管理して
考古学調査も不完全です。こういう
合理的とは言えない態度が古代史の
謎を深めています。せめて天皇家の
ルーツはしっかり国民として理解し
ないと国の発展はないのではないで
しょうか。
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