記紀を少し勉強すると専門家の
誰しもが指摘している古事記と
日本書紀との違いはなぜかとい
う点に疑問が生じます。出雲の
国に関する事が日本書紀には抜
け落ちた部分が多いそうで、何
らかの作為を感じてしまいます。
そんなに内容が違う史書がどうし
て記紀として後世まで残っている
のか不思議に思いました。国譲り
の話が天孫降臨の前になぜあるの
かなど、話として不自然な所もあ
り、出雲の国の重要性は古代史の
素人でも考えざるを得ません。
日本書紀の編纂に持統天皇と藤原
不比等が重要な役割を果たした事
は専門家に指摘されています。
これまでの遺跡発掘調査や最新の
分子生物学的手法等から判明して
来た事実を如何に理解して合理的
な結論を導き出すのかは専門家に
よって色々な説があります。
歴史家が重要視するのは文献に拠
る資料ですが、日本古代史の場合
は記紀以前の書物は全く残ってい
ないので、大陸にある資料に頼る
事になってしまいます。日本には
記紀以前の書物は存在しないのか
と云うと、そうではなくて蘇我氏
が滅ぼされた時に館にあった書庫
が燃やされて、それまでの貴重な
歴史書等も消失したと云う事実が
あります。ここでも藤原(中臣)
鎌足と中大兄皇子(天智天皇)による
歴史改竄を疑うような前歴があり、
藤原一族のその後の長い影響力は
誰しもが認める所です。
失われた出雲の国の記録とはどんな
ものなのかと興味をもってネットで
検索すると、沢山出てきました。
中でも大元出版から発行されている
「出雲王国とヤマト政権」と云う本
が驚くべき内容でした。その紹介文
によると縄文時代を繁栄させたのは
インダス文明を発祥させた人達であ
り遠くインドからアジア大陸を横断
し最終的に出雲へ定住したとの伝承
があると記されています。この人達
と先住民の縄文人が交配して日本語が
形成されたと云うのは、トンデモ話
と思われても不思議はないのですが、
出雲王国の子孫により代々継承され
た話と云うので信憑性は高いのかも
しれません。古事記に登場する神様
も全て実在する人物だそうです。
名前が覚え難いのもドラヴィダ語が
起源とすれば納得します。そして
弥生時代の紀元前3世紀終わりに中国
の江南から徐福一行が渡来してから
争いが持ち込まれ、平和な出雲の国が
混乱し始め、最終的にヤマト政権が
樹立されますが、魏志倭人伝に記さ
れた倭国大乱とあるのはヤマト政権
を巡る勢力争いであり、第10代崇仁
天皇の時に天皇の系譜が替わります。
いわゆる欠史八代と云われる歴代天皇
は実在しますが、9代目でその系譜は
途切れてしまうと云う事のようです。
神武天皇からの万世一系と云うのは
真実ではないそうです。
私はこの本を未だ入手していません
が、中国の史書にある倭国大乱の
実体とか、神武東征とか古事記に記
された不可思議な事件がどのように
出雲の伝承で説明されているのかは
興味深いです。
アマゾンに注文して一読してみたい
と思いました。
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