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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

2024年年初の記録【悲しみや不安の重なった1月編】

2024-04-15 15:54:05 | 日記

※何度もお伝えさせていただいておりますが

主に親しい、でもFBで友録していない友人・知人への近況連絡のブログのため

一般の方々には全く面白くもない内容だと思いますので

その点をご留意くださいますようお願い申し上げます。

 

2024年元日

年末に稚内で転んで痛めた尾骶骨と手首の痛みが取れず

コロナ前までは除夜の鐘の音を聴きながら赤米粥のふるまいにあずかろうと

毎年元旦に訪れる大安寺への初参りも先延ばしし

おせち料理と雑煮でお屠蘇代わりの冷酒に酔い

自宅でウダウダと過ごしていたところ

 

携帯が突然鳴り響き、小学校のスピーカーでも緊急地震速報が伝えられ

自身でも揺れを感じて家から身体一つで表に飛び出し

能登半島を震源とした大地震を知らされ

刻々と届く被災状況に心を痛め

 

松の内なのにやるせない気持ちのまま

翌日の昼になってようやく大安寺へ初参り

例年なら続けて村の鎮守の八幡神社へ初詣に行くところが

何故かその気になれず家でウダウダと過ごしていた時に飛び込んできたのが

羽田空港での海保機との衝突事故

 

不幸な出来事が続くなと思いつつ

翌3日は半年前から次男夫婦と小学生からの友人達を家に招いて猪鍋をご馳走すると宣言していたため

その約束を果たし

これまた例年は三が日に初詣する生駒の宝山寺も4日になってようやく実現

五千万円も一億円も寄進できるほどの商売繁盛はいりませんが

社員さんが不安に思わず、満足してもらえる賞与が払えますように

喜んで働いてもらえますようにお仕事が続きますようにとお願いし

いつものように前年のお礼の浴油祈祷をお渡しして

年始の恒例行事を終えられてホッと一息

 

5日は仕事始めだったので社員さんを含めて3人で焼肉屋で新年会の真似事をして

 

 

翌日から3連休となり8日に竹林に仕掛けた猪用の檻とトレイルカメラの手直しを済ませてから

自宅で映画三昧しながら過ごしていたところ

 

トンガ時代からの大恩人、桜井研次さんからの着信があり

『めったに電話してこないのにどうしたんだろ?』と電話に出たところ・・・

電話をしてきたのが奧さんで

実は年末の12月24日に研次さんが急逝したと伝えられ

突然の知らせにすっかり気が動転してしまい

お悔やみの言葉も出てこず

ショックを受けたまま電話を切ってしまったのですが

 

思い出してみると

12月24日の夜

極寒の礼文島、稚内から羽田・伊丹経由で帰宅する途中

疲れ切ってリムジンバスの中で寝入ってしまい

気づいたら何度か非通知の電話が何度か入っていたのに気づき

その後、事務所の電話にも非通知の着信通知が届き

 





 

 

いったい誰からの電話だったんだろ?と思いつつ

非通知でかけなおすこともできず

 

急ぎならまた電話してくるだろうし、と

そのままにしてしまった出来事を思い出し

 

完全に呆然自失状態に陥ってしまい

葬儀も済ませてしまい、お別れを言うこともできなかったと

悔しみ涙を流しながらも

前々から予定していた猟銃の更新手続き、猟友会のワクチン散布などを終えて

弔問に行かなければと思い立ち

SMSでメッセージを送ってみたところ どうやら既にSMSは解約してしまった様子

ならばと、仕事に差し支えないかなと思いつつ、携帯に電話して訪問の意向を伝えると

『お父さん(研次さん)も喜ぶと思います』と言っていただき

その週末の1月14日の日曜日に訪問することを決め

 

その日からトンガ時代のスライドや写真をひっぱりだし

奧さんや子供さん達にトンガでの桜井さんの様子を知らせようと

急いでスキャナーを注文したのですが、弔問日には間に合わないなと

仕方なく急いで壁に投影してスマホに画像で取り込み

翌早朝、始発のリムジンバスで伊丹空港に向かい

羽田に到着後 空港バスに乗り込み

冬の晴れた日らしく高速道路から富士山を眺め

新横浜駅に迎えに来てくれていた娘さん、息子さん家族に連れられて

自宅で亡くなった時の様子などをお聞きしながら

ようやく線香を手向けたのですが

トンガ時代は勿論、帰国してからも横浜駅近くのアパートに泊めてもらったり

いろんなところで飲んだり、遊びに連れていってもらったり

鳥羽での結婚式にも参列してもらい伊勢神宮を案内したり

何度も仕事を手伝ってもらい東京BIGSITEでの出展の手伝いや 

韓国、シンガポール、境港、因島、尾道と一緒に出張したり

奈良へ夫婦で遊びにきてもらったり

自宅近くの桜井さんの会社の事務所へはまるで自分のところのように

気楽に立ち寄っては雑談に興じ

他の誰よりも近しく兄弟のように思ってた人だったので

辛かった~

 

横浜から戻り、旅立ってしまった事実を現実として受け止め

もう悔やんでも仕方ないと自分自身に言い聞かせたのですが・・・

 

スライドの映像を不自然な恰好で長時間スマホに撮影してたからか

腰から右後ろの背中に痛みを感じるようになり

 

そのうち治るだろうと放置していたところ

軽い痛みからとうとう激痛となって身体を微動だにすることもできなくなり

夜中に救急車を呼びたくなるほど悪化

 

『この痛みは腎臓結石か尿管結石かも』と思い込み

超音波で石を砕くことができると聞いていた病院の泌尿器科に駆け込んだのが

1月20日

 

検尿とレントゲン撮影してところ尿潜血もなく結石とは違うだろうとの診断に

医者に頼み込んでCTまで撮影してもらったところ

胃と肝臓の間に大きなリンパ節の腫れが見つかり

「消化器内科に連絡しておきますから、すぐに内視鏡で検査した方がいいと思います」と告げられ

 

なんせ気の早い性格なので

『これはたぶん悪性の癌でたぶん膵臓か肝臓だろうな

『だとしたら、手術も抗癌剤治療も拒否してこれが天寿なんだと諦めよう』と勝手に悟り

でも、とりあえず入院は避けられないだろうなとパジャマと下着を買って家に帰り

翌週の1月25日、胃カメラでの検査を受けたところ

十二指腸(胆管と膵管まで)を調べてみたところ

逆流性食道炎(加齢でよく起こる症状らしい)があるものの

胃の内部はとてもキレイな色をしていて

見つかったのは”ハッピーポリープ”なる

ピロリ菌のない胃癌にならない胃にあるポリープで

リンパ節の原因はわからないけど、とりあえず心配はなさそうとのこと。

 

『それじゃあ、あの激痛はなんだったのかなぁ』と思いつつ

早合点して”これで我が人生もおわりかな”と悟りの境地になってたので

まだ余生が残されてると告げられて、嬉しいような悲しいような複雑な心境

 

この激痛とリンパ節の影がみつかった時に

トンガ時代の友人(オノちん)と

在京の学生時代の同級生・後輩達に連絡を取り

『もう先が短いかもしれないので、近々東京に行くから存命のうちに飲もう!』と伝え

 

この出来事がある前にその病院で睡眠時無呼吸症候群の検査を予約していたので

1月29日、一泊二日の検査入院をして

久しぶりに酒を抜いて、健康的な病院食で過ごし

休肝日で体調もすこぶる良くなり

 

1月28日

この辺りでは”とんど焼き”と呼ぶ火祭り(左義長)の日
昔は、この行事のあとに”ひまち”で
集落の集会と会食(飲み会)を夜を徹して行っていた時代もあったようですが

 

自分が自治会に出るようになったのが5年前で

コロナもあって昔からの行事もほとんど中止となり

なによりも、何の因果か自治会も水利組合も何故か役員や世話役になるのが婿養子ばっかり

 

この日も、とんどの火が枯草に類焼したら大火事になると事前の草刈りをしたのは養子のみ

土着で実際には仕切らなければならない副自治会長は

草刈りに顔を出すこともなく呆れ果ててツラも見たくない有様

 

なんとも悩ましい”睦月”とは遠い年の始まりとなりました。。。

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