書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

清原元輔

2010-08-11 09:11:12 | Weblog
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは  

あの時、喜びの涙で濡らした袖をしぼりながら固く約束しましたね。どんな大波もあの末の松原を越すことが絶対に無いように、私達の愛は永遠に変わることはないと・・・

清原元輔(908~990)
内蔵允・清原深養父の孫、下総守・清原春光の子。清少納言は娘。三十六歌仙の一人。官位は従五位上・肥後守。
梨壺の五人のひとりで、「万葉集」の訓読、「後撰和歌集」の編纂に携わる。
「拾遺和歌集」他の勅撰和歌集に約100首が入集。家集に「元輔集」がある。
枕草子に、清少納言が歌を詠むように強く迫られた時に、
「父の名を辱めたくないので歌は詠みません」と言って許されたという逸話が載っているが、
それ程に著名な歌人であった事を示す。

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