書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

平清盛・書状

2007-06-18 06:59:53 | Weblog

平清盛(1118-1181)
忠盛の長男。
忠盛の妻が白河法皇に寵愛された祇園女御であり、
清盛は白河法皇の子との説もある。
保元、平治の乱で勝者となり、後白河法皇の信頼を得て、
太政大臣にまで上り詰める。
終には、政治権力を一手に握り、
後白河法皇を幽閉するなど平家の権力を維持したが、
1181年、清盛は熱病にて世を去る。
壇ノ浦に於ける平家滅亡は清盛死後、僅か4年後である。

余談だが、
佐藤義清(後の西行)、遠藤盛遠(後の文覚)、源渡は、
それぞれ同年輩であり、清盛の青年時代、北面の武士として同僚であったらしい。
源平盛衰記によると、
遠藤盛遠は同僚の源渡の妻袈裟御前に懸想し、
渡を殺すつもりが身代わりとなった袈裟を殺してしまう。
盛遠はこれを恥じて出家して文覚を名乗る。

文覚が袈裟御前の菩提を弔うために建てたと言われる恋塚寺、
これが伏見の上伏見、下伏見の二箇所にあるのが不思議だが、
恋塚寺、名前がまたロマンをそそる。
下伏見の恋塚寺には、
文覚上人、袈裟御前、源渡の木像が並んで安置されいるそうだ。

進上之於件郷者

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