書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

百人一首を書く  権中納言敦忠

2010-08-12 08:46:04 | Weblog
あひみての後の心にくらぶればむかしは物を思はざりけり 

貴女と共に一夜を過ごした後のこの苦しい思いにくらべたら、
逢いたい逢いたいと思っていた逢う前の切ない気持ちなど取るに足らないものだったのだなぁ~。

権中納言敦忠(906~943)
左大臣藤原時平の三男。母は業平の血を引く在原棟梁の娘。
蔵人頭・参議をへて、従三位中納言、三十八歳の若さ夭折。
三十六歌仙のひとり、美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。
雅子内親王他多くの女流歌人との贈答歌が残る。
「後撰和歌集」他の勅撰和歌集に30首入集。家集に「敦忠集」。
右近や西四条斎宮雅子内親王との恋は歌物語に説話化されている。
この歌は右近との恋模様を詠んだ歌として伝わる。

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