蓬 窓 閑 話

「休みのない海」を改題。初心に帰れで、
10年ほど前、gooブログを始めたときのタイトル。
蓬屋をもじったもの。

皇后(婉容)の弟

2017年11月01日 | 満洲
 満州国軍のお話を聞かせていただいた、ある会の理事長さんから電話があった。
 郭布羅潤麒(かくふら・じゅんき/ゴボレイ・ジュンイー)さんが来日しており、その会に出席されるので来ませんかと招かれた。2000年だったと思う。
 とるものもとりあえず飛んでいった。
 郭溥羅潤麒さんとは、ラストエンペラー愛親覚羅溥儀の皇后婉容の弟である。
(写真はネットより)

 88歳だというのに背筋も真っすぐ、かくしゃくとした長身の貴公子であった。

 洋の東西を問わず、古来 王族や名門の子息は軍人の道を歩むことを余儀なくされた。
 戦前、中国諸侯の男子は、ほとんどが日本の陸軍士官学校に留学していた。侯爵家の嵯峨浩と結婚した溥儀の弟溥傑もそうであった。

 潤麒さんは、17歳から15年も日本にいたので
「第二の故郷であり、来るというより帰るという感じである」と流暢な日本語で挨拶された。
 モンゴル系ダホール族。
 溥儀の妹三格々(ゴーゴー)と結婚している。
(写真はネットより)

 1936年には禁衛隊(近衛隊)本部の騎兵連長(中隊長)となった。
 理事長さんも「潤麒(じゅんき)さんのいらしたころが、騎兵隊の一番華やかな時代だった」と。

(写真は『皇帝溥儀と関東軍』より)

 士官学校のころの寝台戦友たちの写真が回ってきて、みんな上半身裸、喧騒が聞こえるようであった。

 日本が敗け、溥儀の満洲脱出のメンバーに加えられた。溥儀らは日本に逃げる途中、奉天の飛行場でソ連軍に捕まっている。

 以後、収容所生活や文化大革命などを経て、ご苦労も多かったであろうに、ご立派でエレガントな紳士であった。
 当時の朝日新聞にも取り上げられていた。映画「ラスト・エンペラー」で溥儀が自転車で走りやすいように、宮殿の敷居をのこぎりで切ることを発案したのも自分であると。


 ミーハーの私は、ツーショットをおねだり。世が世であれば足下へも寄れないお方。民主主義が役に立った。
 ポラロイドだったらしく不鮮明であるが。


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