大方の人はそうだろうが、清張はほとんど読んでいて、あとは読み返すだけである。
以前は面白くてたまらなかったものが、意外につまらなかったりもするものもある。
しかし、これは何度読んでも胸を打たれる。
作家となるまでの半生で、自らの結婚でさえも一行ですまし、簡潔に淡々と述べていく。
読書も、私小説は性に合わないと言っているから、自分のことをだらだら書くのは、それこそ性に合わないのだろう。
削いで、削いで、削ぎ落としたことで、かえって浮かび上がってくるものがある。
貧しかった戦前の暮らしぶりや、学歴のない者が職を得るのが、どんなに難しいかということなど。
戦後も逆境のなか大家族を守るため、いかに誠実に頑張り通したかが、行間に滲み出ている。
ひたすら家族のためにのみ働き続けるが、一方、そのことの空しさが胸を打つ。
ーー濁った暗い半生であった。
ーー私の心には星は一つも見えなかった。
作者の後半生を知っているから、こんな言葉がよけい心に残るのだろうか。
(函入り上製本、帯裏の惹句より)
最後の部分は自分のことではなく、今でも続く米軍キャンプについて詳しく書かれ、社会派と言われた筆致を感じた。
2012.12.13 より再掲
内田康夫氏を悼んでのおまけ写真。
20年くらい前かしら、本は読んだことないけれど、素敵な方だった。
両手に姥桜(含私)は、貼り付けになるのでカット!
松本清張さんの削がれた文章、読んでいて空想の余地があり良いですね。
読んでみたい本です。
ご紹介有難うございます。
内田さんの隣の、つゆさんを拝見したかったけれど、、、、(*^^)v
初期の短編集などは、純文に近いです。
これも読みやすく、つい読みふけってしまいました。
断捨離できない〜
内田さん、素敵でしょう。
禿げてても気にならない人ですね。
それまでは多くの方の小説を読んでいましたが いわゆる乱読でした
それが松本清張さんの本に巡り合い 初めて何度か行ったり来たり行間をも感じさせるものでした
重厚な文学と私は捉えていましたね
内田康夫さんシリーズも殆ど読破したと思います
こちらは旅が好きな私 その地方の歴史 伝習その他 興味が大きかったです
テレビドラマも殆ど観たでしょう
自分で行った地方など重ねて楽しむことが出来ましたね
浅見光彦シリーズで登場する北区の平塚神社 お団子の平塚亭なども訪ねて見ました
実際に作家と会って写真まで取られたのが羨ましいくらいです 貴重なショットですね
1963年刊行の「神と野獣の日」
アメリカの友好国から5メガトンの水爆が誤射され日本へ。
彼は55年前に荒唐無稽な小説を書いていますが、
今、それが現実味を帯びています。
確か高校生のとき読みました。
この本は長い間、絶版でしたが2008年角川文庫から再販。
井上靖や石川達三などは、
高校生でも分かったような気分になれましたが、
松本清張は、ある程度の年齢になってから、
その良さに気づくのかもしれませんね。
貴重な一冊です。
内田康夫さんのことをのびたさんのブログで触れていらしたので、写真を載せました。
ミーハー気分の抜けきらない私、
つい、お写真をおねだりしてしまいました。
おはようございます。
あまり本を読まない、特に推理小説を読まない私が唯一松本清張さんの本で読んだのは砂の器でした。
一気にほとんど一日で読んだ記憶があります。
その後島根県の亀嵩駅まで行きました。
だからと言って読書が続かないのがいけませんね。
当時は、近未来小説だったことでしょう。
おっしゃるとおり、今や現実味を帯びてきました。
どこから飛んでくるか分からない。
歴史にも負い目のある小国日本は、
あっちにもこっちにも低姿勢で、
危険な時期をかいくぐっていくしかないように
思われるのですが、、、。
いろんな意見の方がいますから。
「砂の器」は、面白かったですね。
映画の出来がまたよくて、
主役の加藤剛の幼い頃、
父親と放浪するところは、
原作にはないけれど、
心に染み入る場面でした。
fukurouさんは、ほかにすることが
いっぱいおありのようですね。
引用してくださったくだりだけでも、感動して泣きそう。
母が清張の小説をよく読んでいたらしく話題にしていましたが、
世代的に少しずれていて、
(特に親が読むものは読まない、というのはありがち?^^)
読んでいないのですが、読みたくなってきました。
「砂の器」は「方言の飛び地」に興味がわいて、映画を観ました。
時代性にも興味のわく内容でした。
つい読みふけってしまいます。
世代的には、かなり違うかもしれません。
とM吉さんは、お若いから。
「砂の器」は方言の飛び地ね、
そう言えば、実家は名古屋ですが、
広島弁とそっくりなことを知って、驚きました。