満州国軍のお話を聞かせていただいた、ある会の理事長さんから電話があった。
郭布羅潤麒(かくふら・じゅんき/ゴボレイ・ジュンイー)さんが来日しており、その会に出席されるので来ませんかと招かれた。2000年だったと思う。
とるものもとりあえず飛んでいった。
郭溥羅潤麒さんとは、ラストエンペラー愛親覚羅溥儀の皇后婉容の弟である。
(写真はネットより)
88歳だというのに背筋も真っすぐ、かくしゃくとした長身の貴公子であった。
洋の東西を問わず、古来 王族や名門の子息は軍人の道を歩むことを余儀なくされた。
戦前、中国諸侯の男子は、ほとんどが日本の陸軍士官学校に留学していた。侯爵家の嵯峨浩と結婚した溥儀の弟溥傑もそうであった。
潤麒さんは、17歳から15年も日本にいたので
「第二の故郷であり、来るというより帰るという感じである」と流暢な日本語で挨拶された。
モンゴル系ダホール族。
溥儀の妹三格々(ゴーゴー)と結婚している。
(写真はネットより)
1936年には禁衛隊(近衛隊)本部の騎兵連長(中隊長)となった。
理事長さんも「潤麒(じゅんき)さんのいらしたころが、騎兵隊の一番華やかな時代だった」と。
(写真は『皇帝溥儀と関東軍』より)
士官学校のころの寝台戦友たちの写真が回ってきて、みんな上半身裸、喧騒が聞こえるようであった。
日本が敗け、溥儀の満洲脱出のメンバーに加えられた。溥儀らは日本に逃げる途中、奉天の飛行場でソ連軍に捕まっている。
以後、収容所生活や文化大革命などを経て、ご苦労も多かったであろうに、ご立派でエレガントな紳士であった。
当時の朝日新聞にも取り上げられていた。映画「ラスト・エンペラー」で溥儀が自転車で走りやすいように、宮殿の敷居をのこぎりで切ることを発案したのも自分であると。
ミーハーの私は、ツーショットをおねだり。世が世であれば足下へも寄れないお方。民主主義が役に立った。
ポラロイドだったらしく不鮮明であるが。
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郭布羅潤麒(かくふら・じゅんき/ゴボレイ・ジュンイー)さんが来日しており、その会に出席されるので来ませんかと招かれた。2000年だったと思う。
とるものもとりあえず飛んでいった。
郭溥羅潤麒さんとは、ラストエンペラー愛親覚羅溥儀の皇后婉容の弟である。
(写真はネットより)
88歳だというのに背筋も真っすぐ、かくしゃくとした長身の貴公子であった。
洋の東西を問わず、古来 王族や名門の子息は軍人の道を歩むことを余儀なくされた。
戦前、中国諸侯の男子は、ほとんどが日本の陸軍士官学校に留学していた。侯爵家の嵯峨浩と結婚した溥儀の弟溥傑もそうであった。
潤麒さんは、17歳から15年も日本にいたので
「第二の故郷であり、来るというより帰るという感じである」と流暢な日本語で挨拶された。
モンゴル系ダホール族。
溥儀の妹三格々(ゴーゴー)と結婚している。
(写真はネットより)
1936年には禁衛隊(近衛隊)本部の騎兵連長(中隊長)となった。
理事長さんも「潤麒(じゅんき)さんのいらしたころが、騎兵隊の一番華やかな時代だった」と。
(写真は『皇帝溥儀と関東軍』より)
士官学校のころの寝台戦友たちの写真が回ってきて、みんな上半身裸、喧騒が聞こえるようであった。
日本が敗け、溥儀の満洲脱出のメンバーに加えられた。溥儀らは日本に逃げる途中、奉天の飛行場でソ連軍に捕まっている。
以後、収容所生活や文化大革命などを経て、ご苦労も多かったであろうに、ご立派でエレガントな紳士であった。
当時の朝日新聞にも取り上げられていた。映画「ラスト・エンペラー」で溥儀が自転車で走りやすいように、宮殿の敷居をのこぎりで切ることを発案したのも自分であると。
ミーハーの私は、ツーショットをおねだり。世が世であれば足下へも寄れないお方。民主主義が役に立った。
ポラロイドだったらしく不鮮明であるが。
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これはお子様方に託して、後世に残しておいた方が良いでしょうね。
戦争を挟んで、こんな時代もあったという変遷が、なんとも感慨深いですね。
品の良いプリンスですね。
潤麒氏も、溥儀たちの写真が多くあるので、日本で写真展を開き歴史を知ってもらいたい、とおっしゃってましたが、実現しませんでした。
お歳でしたしね。
記念写真ですね。
こんな思い出が・・・いいなア~と思いました。
ブログを始めてから、いろいろなことが思い出され、整理もしていない写真箱から、あれやらこれやら‥‥。
運がよかったのですね。
理事長さんも、思い立って電話してくださったので。
テンプレートも変更になり、センスの良さを感じます。
映画「ラストエンペラー」を思い出します。
当時の関東軍は何だったのかと。
幼いころの記憶をたどり、
ジグゾー パズルのピースが少しずつ埋まっていくのではないでしょうか。
自分がなぜそこで生れ、なぜ満州がなくなったのか、考えたこともありませんでした。
50を過ぎて、ある共同作業で、つゆさんは満州生れだから満州担当だよと、何冊かの本が送られてきました。
読み出したら面白くてたまらなくなりました。
そして神田を渉猟するようになりました。随分詰め込んだつもりですが、
今や忘れる一方です。
ブログを通して人生を振り返っていらっしゃいますが、ご本でも出せますね!
交際範囲もお広くて、映画やドラマでしか知らない人の名前が出てきて凄いな~と感心しながら、次はどのようなことを教えていただけるかと興味深々です。
20年生まれなので、愛新覚羅溥儀・溥傑・嵯峨浩・川島芳子・・・名前はしっていても繋がりません。
川島芳子が最初に結婚していたカンジュルジャブの孫娘と結婚しているという留学生とも知り合いました。(ややこしい?)
東京外語大生で、ここにも遊びに来たりしてました。
帰国してから日本語教師になりましたが、周近平体制になってから遠のきました。これ、すごく怖いことです。
お昼寝の前奏曲としてチビチビと。
退屈で読みにくい作品でしたが、不思議に心に残る小説でした。長塚節の「土」のように。
つゆさんの言葉がなかったら、本棚の奥に積んだままだったでしょう。
ありがとう!
退屈でしたか。
高校時代に読んだきりで……。
当時は「大地」なども面白くて。
今とはテンポが違いますし。
もっとも最近は、連城、藤沢で止まっています。
わざわざお知らせ、ありがとうございました。