1年ぶりの一人旅に出た。
松本の友人と年1回会うのが恒例なのだが、今回は穂高にある「碌山美術館」も目的の一つだ。
彫刻家の荻原守衛(碌山)作の「女」という像を観るためである。
頬を刺すような朝の張り詰めた空気の中「東照宮」駅から仙山線に乗り込むと仙台までは1駅、4分で着く。 南改札方面に出てしまったため最近大改装になった駅構内で一瞬戸惑いかけたが、正面にある「NewDays」でコーヒーを調達する。
階段を上り列の後ろに立つと間もなく「はやぶさ4号」東京行きが14番線発ホームに入って来た。
「それにしても久しぶりだ・・」滑るように発車した新幹線の2号車の席で私はひとりごちた。
松本に行くには大宮から北陸長野新幹線で長野へ出て、篠ノ井線に乗り換えるというルートが1番早いのだが、今回は途中で甲府に寄るつもりなので中央本線の「スーパーあずさ」を選択した。
はやぶさ4号が大宮を発車して少し行った時 「おや、今のは・・・」 右側の車窓に富士山を見たような気がしたのだが・・・
「まさかな、こんなところから富士山は見えないだろう」 私は一瞬目をこすって座席に座り直した。
東京から新宿までは中央線の快速電車だ、私は慣れた足取りで1番線ホームへ向かった。やはり東京駅構内の移動は人を交わす技術が必要だ。
新宿での中央本線への乗り換えも電車の出口位置によって様子が変わってくるのだが今回はスムーズにいった。
「まだまだ都内もいけるな・・」 東京を離れて6年になるが変な自信を取り戻した。
「スーパーあずさ11号」に乗り込みしばらく車窓を眺めていた。 「待てよ、ハーモ美術館・・があるな」
ハーモ美術館は下諏訪にあってアンリ・ルソーの作品を置いていることで知られている。昨年上諏訪でパンフレットを見て「いつか行ってみよう」と思っていたところだ。
甲府は次にしよう・・そう思ったが 「あっ 月曜日かあ」 美術館の休みは月曜日が多いのだ、こんな時にスマホだったら簡単なのだが頑張ってガラケーで調べた。
(年中無休)・・とある 「やった! ついてる」 俄然今日はいい日に思えてきた。
甲府付近は霧がすごくて寒々しく見えた。やっぱり予定を変更して正解か、あとは下諏訪が晴れているといいのだが・・・。
下諏訪へ行くには上諏訪で乗り換えなくてはならない、スーパーが付くあずさは下諏訪には停まらない。
数分遅れて上諏訪についたが、接続列車はあずさを待っていてくれた、反対側のホームにいた列車に飛び乗った。
初めて降りる下諏訪駅、よくあるローカル線の駅の雰囲気だ。駅員さんにフリー切符を見せて改札を出る。
「これは・・・」去年久しぶりに上諏訪に降り立った時、昔に比べて寂しくなったように感じたのだが、ここ下諏訪もまた・・いや都会を知らなかった昔と印象が変わるのは当然かも知れない。
気を取り直して正面を見るとハーモ美術館の案内看板が目に入った。「Uターンして諏訪湖方向へ、約1.2kmか」 それにしてもざっくりした案内図だ。
まあ道もそんなに複雑では無さそうだしすぐ分かるだろう、と思って右方向へ歩き出した。
途中の駐車場を右に見ながら大きめの通りをさらに右折して進んでいくと、案内標識に上諏訪方面とある。間違ったかも・・・さらに少し行くと線路沿いに小さな道があり自転車でこちらに向かう中年の男の人が見えた。
付近に人影もないし、呼び止めて道を聞いてみた 「すいませんハーモ美術館はこの道でいいんですか?」 すると思いがけない返事が帰ってきた。
「分かんない」 えっ・・・表現にも驚いたがこの小さな町で駅からわずか1.2kmにある有名な美術館を、どう見てもジモティーにしか見えない人が知らないとは!
唖然としてしばし言葉が出なかったが仕方ない、すいませんでしたと言ってその男の人から遠ざかった。
なんということだ、いやあの男の人に聞いたのがいけなかった、ここは気持ちを切り替えて自分の勘だけを頼りに線路沿いの道を歩くことにした。
さっきの駐車場を裏側から見る形で進んでいくと階段が見えた、「あ 道路がある」 そうかここで線路をくぐって行くんだったのか、駅前の看板がちょっと腹立たしかった。
線路をくぐった後はひたすらまっすぐ歩いていく。
「それにしても人がいないな」 諏訪湖までの道で会ったのは自転車男を含めて3人と犬1匹、しかしさすがに諏訪湖畔に来ると人影が有って少しはほっとする。
左を見るとハーモ美術館が見えた。
朝からあまり食べていなかったのでまずは美術館の喫茶室で食事にしよう、諏訪湖を眺めながらのランチに期待は膨らんだ。
道路から左に折れる感じで円形のエントランスを入るとホールがあり、右が受付 左手が喫茶室だ。 受付の人に 「先に喫茶を使いたいので」 と伝えて喫茶室へ入った。
やれやれ色々あったがたどり着いたな・・思った通りの貸切状態、ちょっと恥ずかしいようだがゆっくりできそうだ。
「いらっしゃいませ、今日は富士山がきれいですね」 喫茶担当の女性が水を運んできた。 なに 富士山・・・ハメ殺し窓の先を見ると 「おおっ富士山が!」
手前の山がちょうど低くなっているその真ん中にしっかりと見えているではないか。 やはり新幹線はやぶさの車窓に見たのは富士山だったのだ、今日はついている。
「いいですね、絶好のロケーションですね」 「そうなんです、ちょっとあの水門が邪魔なんですけど」 たしかに無粋な水門が視界にしっかりと入ってしまう。
もう少し喫茶室の位置をずらせなかったものか、しばし設計屋の頭になってしまった。
「食事したいんですが」 左の椅子にコートを掛けながら言うと 「食事メニューはないんですが、ケーキとか・・・」 残念ここで つき は途切れた。
あの自転車男に会ってから下降気味だったのだ、残念さを人のせいにして紛らす 「じゃあパウンドケーキセットを」 仕方ない1食ぐらい抜いたところでどうということもない。
しかしセットで550円、今時の値段ではない 「これで美味かったらまだつきは残っているな・・」 そんなことを思ってみたがやっぱりつきは残っていなかった。
あっさりと休憩タイムを終えてレジに行くとさっき受付にいたお兄さんがそこにいた。ローテーションを組んでいるのだ、みんなで活性化を図っているのだろうかアットホームな美術館だ。
どちらからと聞くので 仙台からです と言うと 私は山形出身ですと言う、どんな流れでこの美術館にいるのかは分からないが色々な人生があるものだ。
あらためて受付に行くとやはりさっきパウンドケーキセットを運んできた人がそこにいた。
「ホールにあるのがダリの有名な作品です、階段を上がって第1展示室そこから一旦外の通路に出て・・・」と順路を説明してくれた。
振り返るとダリの溶けた時計の作品(時のプロフィール)が有る、
面白い、ダリもあるんだ、さらにグランマ・モーゼスか、やっぱり珍しい美術館には違いない。
階段を上がって展示室に入る、アンリ・ルソーにグランマ・モーゼス、アンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボワ、正直知らない作家の絵もあるがどれもいい、好みの絵ばかりだ。
パントル・ナイーフ(素朴派)というらしい、ひとつ勉強になった。
展示室のつながりも面白い、空間を面白く演出している。喫茶室はちょっと惜しかったがなかなかの設計者だと思った。後で調べたら設計:舟橋秀勝とある、知らない人だった。
いいなあ~とつぶやきながら展示を見て屋外の通路に出る、そこからは水門をかわして富士山がさらによく見えた。 「なんだここがベストアングルか」 やっぱりなかなかやる。
一番奥のティーセントホールと言う空間に入った。吹き抜けの通路の展示を観てから階段を降りていくとなんと今度はアンリ・マティスの集大成とも言われる「ジャズ」だ。
アンリつながりか・・私にとっては実にいい美術館だ、ここを地元の人が知らないとはな・・・また自転車男を思い出してしまった。
屋外通路を引き返し、途中の「靴を脱いで見る展示」を楽しんでエントランスホールに戻った。
「アットホームな美術館だが展示は侮れないな・・・」 惜しみつつアールの自動ドアから外に出ると諏訪湖の湖面に太陽光が反射してまぶしい、一瞬目がくらんだ。
ふーっとため息をつきゆっくりと歩き出した、先日痛めた腰をかばいながら下諏訪駅へ ゆっくりと。
続く