ミンクス室内オーケストラ

1986年に結成されました。常任指揮者に、松岡究氏を迎えモーツアルト、ベートーベンなどの古典を中心に演奏しています。

ミンクスと宗教音楽

2004-06-24 16:56:33 | ミンクスと米子第九合唱団、宗教音楽
ミンクスがはじめて合唱とともに、宗教音楽を演奏したのは、1992年のことです。
鳥取県の音楽家の方々が結成されていた、音の会、という集まりがあり、その声楽関係の方々。鳥取大学の新倉健先生、西岡千秋先生、などから、モーツアルトのレクイエムをやってくれないか、との要望があったのです。
県内3ヶ所公演。
まだまだ、演奏団体として活動を始めた早期。 他団体との初共演。初めての宗教曲。しかも鳥取県初演。常任指揮者の松岡さんはヨーロッパ留学中。
他に歴史あるオーケストラが多数存在する中、出来たばかりの小さな団体に声をかけていただいたのはありがたいものの、不安でいっぱいながら、引き受けました。
幸い、牧村邦彦氏という天才的な指揮者を迎えることが出来、またセカンドのトップには嶋田孝一氏や個人的に親交があり、長年N響のトップを勤められた竹内久文氏を迎え、好評のうちに終えることが出来ました。

ついで1994年、境港ハーフエンコールの方々と、モーツアルトのミサブレビスを共演。境港市初公演となりました。

米子第九合唱団は、米子市で第九を演奏するために結成された合唱団ですが、宗教曲の演奏にも熱心にとりくんでおられます。 ミンクスの演奏を認めてくださり、共演の機会を与え続けてくださいます。
これまで松岡究氏のもと優れたソリストを迎え、


モーツアルト、レクイエム 2回 
フォーレ    レクイエム
バッハ     ロ短調ミサ
ビバルディー グロリア

を共演しました。
2005年3月には メサイアを演奏します。


米子市民音楽祭

2004-06-24 14:04:54 | ミンクスと米子市民音楽祭
アザレアの町音楽祭についで、1993年より、米子市民音楽祭でも招待公演をさせていただくようになりました。
歴代の館長さん、市民音楽祭実行委員の方々、文化ホール湯嶋さんのご努力で、メインのホールを使わせていただき、またオペラのガラコンサートのときなど、特別の舞台を組んでもらうなど、舞台関係の方にも、さまざまな便宜をはかっていただきました。
これは2003年までの長きにわたり続き、春の演奏会は、5月、倉吉、米子のそれぞれの音楽祭出演という形が定着してきました。
残念ながら、2004年より招待公演はなくなり、米子では自主公演を再開しています。


アザレア室内オーケストラ

2004-06-24 13:38:02 | ミンクスとアザレアの町音楽祭
ミンクスがアザレアの町音楽祭に出演するときは、感謝をこめて、アザレア室内オーケストラと、ネーミングを変えています。
実際アザレアの町音楽祭がなければミンクス室内オーケストラ、鳥取県のオペラ活動、世米子第九合唱団との宗教曲の共演など、もありえなかったと、思います。
物心両面で支えられてきたのです。

アザレアとの出会いは、1989年の松江プラバホールでの演奏会にさかのぼります。アザレアの芸術監督、計羽先生がこの演奏会を聞いて感動され、ぜひアザレアの町音楽祭のオープニングコンサートをやってほしいと依頼されたのです。そのときこのような批評記事を書かれたのを記憶しています。 ”ミンクスの演奏を聴き、私は驚愕した。音楽が、そして演奏者が活き活きと、躍動しているのだ。鳥取県の音楽の成長を願ってきた、長年の夢が実現したと感じた、、、、”

その後企画委員の方々のご努力により、演奏会の費用、チケットの売りさばきすべてをやってもらえ、音楽祭の最高の舞台、オープニングコンサート飾らせてもらうという、破格の条件で迎えていただきました。
1990年の5月のことです。以後今日に至るまで、ご援助は続けられています。

当初ミンクスは,普通の市民オケのように大編成でもなく、何の補助もなく、団員の住んでいるところはてんでんばらばら。演奏会のチケットがさばけるわけもなく、それでも指揮者はプロを呼ぶ。 これで演奏会が続けられるわけはなかったのです。
それまで、細々と、でも自分たちが楽しめれば、そして自分たちの演奏を認めてくださる方に来ていただければ、小さなホールでも満足、、 と思っていた活動は、これ以後次第に変化し、思っても見なかったさまざまな活動の場を与えていただけるようになりました。