シベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲二短調。
聴けば聴くほど奇妙な曲である。決して親しみやすい曲ではないし、万人受けする華やかさもない。しかし、何度も聴いているうちに、人々はこの曲の中に独自の世界を発見する。その独自性は、古今のヴァイオリン協奏曲の中でもひときわ際立つものである。
というわけで、ここでひとつ実験をしてみよう。
自室のCDプレイヤーに、手持ちのキョンファ盤をセットする。このCDには、シベリウスと一緒にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が収録されている。合計6トラック入りで、1~3がチャイコン、4~6がシベコンという順番である。このうちの1と4、つまり、それぞれの協奏曲の第1楽章にあたる部分であるが、これを順番に聴きながら、伴奏の弦楽パートに合わせて手拍子を打ってみる。手拍子は冒頭の2分間だけとする。

では始めよう。まずチャイコンから。
第1楽章は4分の4拍子。伴奏の弦楽パートは時間とともに次のように展開する。
00:00~00:20
冒頭は弦楽パートの奏でるイントロ。
00:20~00:50
弦楽パートに管楽器が重なって盛り上がり、最初のヤマを作る。
00:50~01:10
キョンファが登場してあいさつ。その間、伴奏は休み。
01:10~02:00
キョンファが第1主題を歌い始め、節回しを変えながら曲を展開する。
その後ろで弦楽パートは常にキョンファをサポートし、スムーズで安定した流れを作り出す。
弦楽パートは2分間ほぼ出ずっぱり。一定のリズムを保ち、聴きやすいので、それに合わせて手拍子するのは簡単である。立ち上がりの10秒を除けば、おおむね無理なくついていける。これは私が天性のリズム感に恵まれているから、ではなく、1拍目に(リズムの根底となる意識の上での)強拍があることによるもので、それを念頭に手拍子すれば、誰でもできる。小節の最初にアクセントを置くのは西洋音楽の基本であり、現代のロックやポップスにも通底する原則である。この曲はその原則に忠実に作られている。
この結果を踏まえた上で、
チャイコンの第1楽章をホールで聴いた時の自分の反応を想像してみる。
(私はまだこの曲を生で聴いたことはない。)
客席で2分間、同じ要領で、小節の最初にアクセントを置いて拍子をとる。そのうちなんの抵抗もなく、自動的に音楽世界に入っていけそうな気がする。手拍子を(もちろん、心の中で)繰り返すことで体の中に一定のリズムが生まれ、いったんそのリズムに乗ってしまえば、次に来る流れも容易に予測できそうだ。うまくいけば、楽章が終わるころには、ソリストの明朗快活な歌とともに、さえぎる物が何一つないロシアの大地をスキップで行進していく、といった錯覚を覚えているかもしれない。
これは、お笑いで言うところの「つかみはOK」という状態に相当する。(・・・と思う。)
続いてシベコン。
この曲でも同じことを試みる。しかし、こちらはちょっと難しい。
「んん?」
私はのっけからつまずいてしまった。 ( 第4回へ続く )
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聴けば聴くほど奇妙な曲である。決して親しみやすい曲ではないし、万人受けする華やかさもない。しかし、何度も聴いているうちに、人々はこの曲の中に独自の世界を発見する。その独自性は、古今のヴァイオリン協奏曲の中でもひときわ際立つものである。
というわけで、ここでひとつ実験をしてみよう。
自室のCDプレイヤーに、手持ちのキョンファ盤をセットする。このCDには、シベリウスと一緒にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が収録されている。合計6トラック入りで、1~3がチャイコン、4~6がシベコンという順番である。このうちの1と4、つまり、それぞれの協奏曲の第1楽章にあたる部分であるが、これを順番に聴きながら、伴奏の弦楽パートに合わせて手拍子を打ってみる。手拍子は冒頭の2分間だけとする。

では始めよう。まずチャイコンから。
第1楽章は4分の4拍子。伴奏の弦楽パートは時間とともに次のように展開する。
00:00~00:20
冒頭は弦楽パートの奏でるイントロ。
00:20~00:50
弦楽パートに管楽器が重なって盛り上がり、最初のヤマを作る。
00:50~01:10
キョンファが登場してあいさつ。その間、伴奏は休み。
01:10~02:00
キョンファが第1主題を歌い始め、節回しを変えながら曲を展開する。
その後ろで弦楽パートは常にキョンファをサポートし、スムーズで安定した流れを作り出す。
弦楽パートは2分間ほぼ出ずっぱり。一定のリズムを保ち、聴きやすいので、それに合わせて手拍子するのは簡単である。立ち上がりの10秒を除けば、おおむね無理なくついていける。これは私が天性のリズム感に恵まれているから、ではなく、1拍目に(リズムの根底となる意識の上での)強拍があることによるもので、それを念頭に手拍子すれば、誰でもできる。小節の最初にアクセントを置くのは西洋音楽の基本であり、現代のロックやポップスにも通底する原則である。この曲はその原則に忠実に作られている。
この結果を踏まえた上で、
チャイコンの第1楽章をホールで聴いた時の自分の反応を想像してみる。
(私はまだこの曲を生で聴いたことはない。)
客席で2分間、同じ要領で、小節の最初にアクセントを置いて拍子をとる。そのうちなんの抵抗もなく、自動的に音楽世界に入っていけそうな気がする。手拍子を(もちろん、心の中で)繰り返すことで体の中に一定のリズムが生まれ、いったんそのリズムに乗ってしまえば、次に来る流れも容易に予測できそうだ。うまくいけば、楽章が終わるころには、ソリストの明朗快活な歌とともに、さえぎる物が何一つないロシアの大地をスキップで行進していく、といった錯覚を覚えているかもしれない。
これは、お笑いで言うところの「つかみはOK」という状態に相当する。(・・・と思う。)
続いてシベコン。
この曲でも同じことを試みる。しかし、こちらはちょっと難しい。
「んん?」

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