やまがた好日抄ーⅡ

低く暮らし、高く想ふ! 
山形の魅力を、日々の関心事を、気ままに…。

マタイ受難曲

2021-12-12 | 音楽
在京のころ、バッハの『マタイ受難曲』に出逢ひました。

首都圏でバブル経済が最盛の時-。建築業界にゐました。
高額な案件が次々に飛び込み、仕事は退きも切らず続き、朝の 6 時 過ぎに家 を出て、最終急行で夜の 12 時近くに帰宅の日々-。
食事をし、風呂へ入って寝るまでは30分ー。
それが毎日続き、休日も月に一度か二度-。
ひと月の残業時間が平均で100数十時間。酷い時は、ゆうに150時間を超える。
1/3ほどは残業代として支給されるが、残りはすべてサービス残業。
いまなら、完全にアウトですが、業績を上げれば、確実に給料と賞与も上がる。
そんな時代です。

事務方の女子は、定時に終はるとロッカー室へ急ぎ、出てきた姿はピチピチの短いスカートにワンレングスの髪型に変はりー。
これからジュリアナへ踊りに行くといふー。
そんな時代です。

新宿での打ち上げの後(確か、師走ー)、酔ひつぶれて帰った夜、何故か目が覚めて眠れない。
確か翌日は久しぶりの休日ー。ままよー、と自分の部屋でFMを聞き出すと、重く引きずるやうな曲が流れてゐた。

それまで、ロックやジャズを聴き、クラシックは有名な作品くらゐだった小生は、始まってゐたその合唱に金縛りにあったやうに聴き続けました。
何の曲かもわからない。何の物語かもわからない。勿論、ドイツ語なぞわからない。

けれど聴き続けるごとに酔ひは醒め、曲のなかで、何かが何処かへ向かって収斂されてゆくただならぬ気配を感じてゐました。
そして、最後のコラールが終はり、1分ほどの静寂ののちに称える拍手がひとつ、ふたつと沸き起こり、やがて堰をきったやうな拍手に変はりました。
3時間余の演奏を聴きながら、不覚にも、なぜか幾度も涙を流してゐました。

急いで手元にあったFMファンといふ雑誌で詳細をみると、バッハのマタイ受難曲だったことがわかり、記憶が定かではありませんが、クルト・マズアがライプツィヒ・ゲヴァントハウスを指揮しての演奏だったと思ひます。

それからこのかたまで、ほとんどのマタイ受難曲のCDを買ひ集め、YouTubeが世に出てくると数限りない演奏に出逢ひ、書棚の一角はそれらで溢れてゐます。

有名な演奏家や、ヨーロッパの市民オーケストラやら、いろいろなものを聴き、感動をしてきました。
(個人的には、余りにもこけおどし的なアルノンクールの演奏と、旋律をただただ美しく奏でるカラヤンの演奏を除いてー)

おそらくは、当時の教会の上層部に云はれて、信者を集め、信者を陶酔させられる曲をと(当時は、畳一枚ほどもある大きな挿絵のやうなものをめくりながら演奏が進行したといふ)バッハが渾身の能力を注ぎ込んだものでせう。
確かに、小生、パリのノートルダム大聖堂へ行ったときに、圧倒的な大空間の中で、圧倒的な暗さの中で、注ぎ込む色鮮やかな光を浴びてこの曲を聴いたら、”ハイ、信者になります!”、”ハイ、イエス様を信じます!”と即答する錯覚に陥った経験があります。

とまれ、以前のブログにも書いたことですが、小生にとってこの曲は、決してイエスの受難の物語にとどまらず、”お前は、どう生きてきたのか?、”お前は、これから、どう生きてゆくのか?”を常に対峙させる唯一無二の音楽です。

最近では、このフェルトホーフェンの演奏が最愛です。

Bach - St Matthew Passion BWV 244 - Van Veldhoven | Netherlands Bach Society

The St Matthew Passion performed by the Netherlands Bach Society for A...

youtube#video

 

派手さはありませんが、ピリオドスタイルで時代考察も踏まへ、誠実に音楽を紡いでゆく姿に感銘します。



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