脳のミステリー

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77.銀ブラ現代版

2006-09-10 13:56:07 | Weblog
 大正末期から昭和の初めの頃まで、一日に一回は銀座をふらつかないと眠れないなんて風習があった。銀ブラは文字通り、東京の銀座通りをブラブラ散歩する事である。
 銀座は、1612年から1800年までという長い間、江戸幕府の銀貨鋳造所があった場所の地名だが、あまりにも有名な日本を代表する繁華街である。近世、東京といえば、原宿、六本木、表参道といった具合に好みの繁華街は色々だろうが、銀座は格別な雰囲気が漂う通りである。
 9月9日は救急の日だとかケンタの日だという。違う違う、サンタの日じゃない、ケンタの日!ケンタッキー・フライドチキンの創業者誕生の日なのだ。では、どれ程の現代日本人が9月9日は重陽の節句だと知っているだろう。陽の数である奇数の極である9が重なる事から重陽と呼ばれて大変めでたいとされている。
 余分な話はこれくらいにしておこう。とにかく、この週末は残暑お見舞い復活みたいな土曜日だった。前々から予定していた銀ブラに私は娘と出かけた。現在の私は車椅子で移動の身だから、あえて言うなら、銀ブラならぬ銀スーイスーイかも知れない。今や世界の宝飾店が建ち並び「私はどこに居るの?」と問いかけてしまいそうだ。でも、昭和の敗戦っ子の私は高級店と言えば、和光、ミキモトといった老舗で、特に旧服部時計店は昭和の臭いが嬉しい事に残っていた。ミキモトの店員は風貌こそ現代人だが、接客態度が美しい日本語に出ていて私を喜ばせた。
 子供の頃、麹町に住んでいたせいで、銀座は私の遊び場だった。デパートの屋上も然る事ながら、吹き抜けの建物を上下するエスカレーターは正に売り場がスケルトン状態で子供は興奮したものである。土日出勤もよくあった航空会社時代は昼食時間を利用しては、銀座の日本中央競馬会場外馬券売場に足を運んだものだ。そして、夕暮れ時には仕事仲間と夜の銀座に繰り出して、配当金以上のお金を使って愉しんだものである。
 あの頃から、始まった歩行者天国にはこの日も現代の日本人が溢れていた。以前は多くの子供が目に付いたが、今は大勢のお爺さんにお婆さんが視野いっぱいに入ってくる。これまでは、人混みの中に自分も入り込んでいたようだが、車椅子だと妙に客観的に人混みが私の目に映るものだ。時折、車椅子の銀ブラを愉しんで、現代日本のオーラに触れてみるのもいいだろう。
 日本が一気に一億総中流社会に飛び込んでいった時代は、私もその渦中にいて無我夢中だったが、今、徐々に格差社会に移行していく姿は時折、車椅子を場外に出して、しっかり観察したいと思っている。