今日はちょっと箸休めの話を! 9月は私にとって特別な月である。敬老の日?まさか! 還暦祝いの赤い漆の杖は手元にあるけど未だ未だ・・・! そう、9月には私の誕生日がある。思い起こせば、第二の故郷、メルボルンに旅立ったのが海外渡航自由化実施年の9月末だった。そして50代半ばで迎えた第二の誕生日がある。私は5年前の9月23日秋分の日の昼下がり、双子で甦ったっけ! 結構難産だった! 第一の誕生の時は出迎えが私の家族だったが、第二の時に私を迎えたのは自らの脳だった。第一では脳で五官の機能が働いて五感の鋭鈍がものをいう事実を私に用意してくれたのだが、第二ではご丁寧にも右片麻痺という余計なお土産を付けてくれた。それまで自由気侭に毎日を送ってきた私は「不自由」も一緒に受け取ってしまったのだ。元来、遠慮はしないし、贈答品に「つまらないものですが・・・」という言葉を付けるのが嫌だ、と言っていたのが幸か不幸か、余計なものまで受け取ってしまったという訳だ。それならば、と私らしく、不自由気侭な生活を自ら手に入れてみよう、と心が勇み立ったのである。
あれから5年の月日が経った。そして昨日の午後、例年の事だが、1年ぶりでMRI室の前に私は立った。撮影が終わって脳外科医を待つ私は面接試験に臨むような緊張感を覚えていた。暫くすると、名前を呼ばれ私は脳外科医の前にそそと進んだ。医師の前には、脳の写真がズラッと並んでいた。久しぶりのご対面である。「元気?」と話しかけたい気分である。
「別に変わりはありませんね!」
あれっ? そうか今日は金曜日か! 聞いた事のあるよう無いような声は・・・目の前に座る医師はいつもの医師ではなかった。去年定年退職した谷川医師の後は3人の医師に診て貰ってきている。座っていたのは今回、MRIの予約をしてくれた若い岡見先生だった。彼が指す先に黒い物が見えた。正しく私を襲った被殻出血の痕跡である。戦後の焼け野原は黒く焦げるようだが、私の脳の被害跡ははっきり黒く残っていた。病魔があの日あの時、私の脳の中の被殻で突然立ち止まって、血流を塞き止めようと頑張った場所か! 交通だって、渋滞ならいざ知らず、スムースに走る高速道路なんかで突然一台が止まろうものなら、堪ったものではない。忽ち、何台もが追突事故を起こしてしまう。そうか、私の体の中の高速道路みたいなブラッド・サーキュレーションで順調に流れていた筈の真っ赤な血がちょっとひとつ進行の不具合が出たら、血流は一車線なんだから、溢れてしまって玉突き事故を起こすのは必至だという事である。幸い、一瀉千里とまでいかなかったのが、九死に一生を得たと言える。
ほうほうの体で甦り、二度目の誕生日を双子で受け入れた私は、不幸中の幸いで人間にしか与えられない「言葉」を残して貰った事に心から感謝した。二つある手は半身不随の悪影響をガッチリ受けてしまったが、一つしかない口と心は奪われなかった。脳の中にも捨てる神と拾う神がいるのかな? 口と心と左手は脳を絶えず刺激して、しかも英語脳を大事に扱ってくれるので私は逸早く社会復帰が出来たと思っている。
数ヶ月ぶりに障害者センターの「ブラッシュアップ・イングリッシュ」の講習会が再開した。この講習会は私がリーダーになって英語脳を刺激する会とでも言おうか、隔週二時間ほど、英語で喋ろうと集まって出来たサークル活動である。センターと合体した区営住宅は例のシンドラー製のエレベーター事故で話題になった建物で区の職員や警察やマスコミの人達で混み合うから、と言う事で長ーい夏季休暇を頂戴していたのだ。久しぶりの会合には新メンバーが加わって、談話は延々と繰り広げられた。
話題は「お金」の事、イエイエ投資の話ではありません。
金は今から約6000年前、古代エジプト文明やメソポタミア文明において既に作られていた事が確認されているのは周知の事である。一般的に、金には絶対的或いは普遍的な価値があると言われ、歴史も又その事を証明している。金の価値はその永遠性が評価されているところにある。
ところで、金の通貨としての役目は金本位制の廃止により終わっているが、世界の金の約半分は各国政府や中央銀行により外貨と同じように準備資産として保有されている。金には何ら裏付けは不要で、金は金だから価値があるという訳だ。どんな状況においても、誰によっても受け入られる金は究極の決済手段と言える。
日本人は何故か、好きなくせにお金を汚いもの扱いする事が間々ある。私が留学していた豪州では、確か、みーんーなお金大好き人間だったような気がする!!!
日常生活に於いて絶対に必要だという事で、初めの数週間は「買物とお金」を教材にして私は色々教えられた。留学当時、豪州は未だ英国同様にポンドを貨幣として使用していた。ポンドはかつてはLibra(天秤)であった事から、英国のスターリング・ポンドは頭文字のLの筆記体£をその記号にしている。因みにスターリングは純粋の意味がある。この音を耳にして「独裁者スターリン」を思い出すあなたはまさしく昭和の子、「スターリン・シルバー」を頭に浮かべるあなたは平成のお洒落さん! 最後のgは無声音になるから・・・
お金の話に戻ろう。Lはアルファベットの12番目の文字なので、ポンドという貨幣は、そうか、だから十進法でなく十二進法なのか。十二進法のお金のしくみを覚えるのに少なくとも1週間は優に費やした記憶がある。お蔭で様々な事を学んだ事も思い出される。
そして、この十二進法勉強会が豪州の今は亡き父母(ちちはは)の元で毎晩実施された事が私の脳の尾状核を夢中になって活動に導いた原点だと思っている。
あれから5年の月日が経った。そして昨日の午後、例年の事だが、1年ぶりでMRI室の前に私は立った。撮影が終わって脳外科医を待つ私は面接試験に臨むような緊張感を覚えていた。暫くすると、名前を呼ばれ私は脳外科医の前にそそと進んだ。医師の前には、脳の写真がズラッと並んでいた。久しぶりのご対面である。「元気?」と話しかけたい気分である。
「別に変わりはありませんね!」
あれっ? そうか今日は金曜日か! 聞いた事のあるよう無いような声は・・・目の前に座る医師はいつもの医師ではなかった。去年定年退職した谷川医師の後は3人の医師に診て貰ってきている。座っていたのは今回、MRIの予約をしてくれた若い岡見先生だった。彼が指す先に黒い物が見えた。正しく私を襲った被殻出血の痕跡である。戦後の焼け野原は黒く焦げるようだが、私の脳の被害跡ははっきり黒く残っていた。病魔があの日あの時、私の脳の中の被殻で突然立ち止まって、血流を塞き止めようと頑張った場所か! 交通だって、渋滞ならいざ知らず、スムースに走る高速道路なんかで突然一台が止まろうものなら、堪ったものではない。忽ち、何台もが追突事故を起こしてしまう。そうか、私の体の中の高速道路みたいなブラッド・サーキュレーションで順調に流れていた筈の真っ赤な血がちょっとひとつ進行の不具合が出たら、血流は一車線なんだから、溢れてしまって玉突き事故を起こすのは必至だという事である。幸い、一瀉千里とまでいかなかったのが、九死に一生を得たと言える。
ほうほうの体で甦り、二度目の誕生日を双子で受け入れた私は、不幸中の幸いで人間にしか与えられない「言葉」を残して貰った事に心から感謝した。二つある手は半身不随の悪影響をガッチリ受けてしまったが、一つしかない口と心は奪われなかった。脳の中にも捨てる神と拾う神がいるのかな? 口と心と左手は脳を絶えず刺激して、しかも英語脳を大事に扱ってくれるので私は逸早く社会復帰が出来たと思っている。
数ヶ月ぶりに障害者センターの「ブラッシュアップ・イングリッシュ」の講習会が再開した。この講習会は私がリーダーになって英語脳を刺激する会とでも言おうか、隔週二時間ほど、英語で喋ろうと集まって出来たサークル活動である。センターと合体した区営住宅は例のシンドラー製のエレベーター事故で話題になった建物で区の職員や警察やマスコミの人達で混み合うから、と言う事で長ーい夏季休暇を頂戴していたのだ。久しぶりの会合には新メンバーが加わって、談話は延々と繰り広げられた。
話題は「お金」の事、イエイエ投資の話ではありません。
金は今から約6000年前、古代エジプト文明やメソポタミア文明において既に作られていた事が確認されているのは周知の事である。一般的に、金には絶対的或いは普遍的な価値があると言われ、歴史も又その事を証明している。金の価値はその永遠性が評価されているところにある。
ところで、金の通貨としての役目は金本位制の廃止により終わっているが、世界の金の約半分は各国政府や中央銀行により外貨と同じように準備資産として保有されている。金には何ら裏付けは不要で、金は金だから価値があるという訳だ。どんな状況においても、誰によっても受け入られる金は究極の決済手段と言える。
日本人は何故か、好きなくせにお金を汚いもの扱いする事が間々ある。私が留学していた豪州では、確か、みーんーなお金大好き人間だったような気がする!!!
日常生活に於いて絶対に必要だという事で、初めの数週間は「買物とお金」を教材にして私は色々教えられた。留学当時、豪州は未だ英国同様にポンドを貨幣として使用していた。ポンドはかつてはLibra(天秤)であった事から、英国のスターリング・ポンドは頭文字のLの筆記体£をその記号にしている。因みにスターリングは純粋の意味がある。この音を耳にして「独裁者スターリン」を思い出すあなたはまさしく昭和の子、「スターリン・シルバー」を頭に浮かべるあなたは平成のお洒落さん! 最後のgは無声音になるから・・・
お金の話に戻ろう。Lはアルファベットの12番目の文字なので、ポンドという貨幣は、そうか、だから十進法でなく十二進法なのか。十二進法のお金のしくみを覚えるのに少なくとも1週間は優に費やした記憶がある。お蔭で様々な事を学んだ事も思い出される。
そして、この十二進法勉強会が豪州の今は亡き父母(ちちはは)の元で毎晩実施された事が私の脳の尾状核を夢中になって活動に導いた原点だと思っている。