脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

芸術家の皮質

2014-02-27 09:51:10 | Weblog
音楽家にとっては・・・皮質領域にヘシュル回という音情報処理に不可欠なところがあります。
一次聴覚であるヘシュル回に関して考えると、音楽家のそれは普通の人の二倍も大きいそうです
高齢者の仲間入りをした私達姉妹にとっては嬉しいことに、海馬やヘシュル回の大きさは特定の認知作業を長年やり続けた人ほど大きくなるということなのです
生まれつき音楽の才能に恵まれた人とか、子供の頃から第二言語を習得した早期バイリンガルという考えもあるでしょうが、その後如何に練習したり使ったりするかにかかっているという事実は否めません。
音楽演奏に関する限り、私のピアノはバイエル止まりだったし、姉のバイオリンは「きらきら星」止まりだった、と記憶しています

そこでアート分野の脳ということで、私の姉の漆塗歴について考えてみることにします。
失礼だけど、姉は古希を迎えた頃から周囲にも分かるほど物忘れが酷くなってきています。
忘れるのはつい最近のことで昔の記憶はしっかり残っているのです。
残念ながら、これは自分や姉だけでなく誰もが通る老化の道だと思います。
でも・・・でも遠くて長い工芸の道を信じられないほど長期に亘って歩いてきている姉にとってこの道は救いの道?であるとも言えるのです。
人生の後半期に入った現在も姉は工房にこもってひたすら漆を塗り続けてそこでの前進を止めません。

姉が使っている最近の漆の刷毛はこれまでと違い、かなり細いので理由を聞くと「細い方が塗りの速度は遅くなるけど丁寧な塗り方になるので満足な出来栄えになる」という答が返ってきたのです。
姉の創作活動は単なる塗り方の変化ではなく、これまでの姉自身の経験に対しての深い意味を知らず知らずに理解することかもしれません。
明らかに後退ではなく前進で、最近の姉の漆塗生活では、新しい洞察と理解の境地を切り開いていると、私は思うのです。
これまでもいつも自然を遠ざけることのなかった姉ですが、老いて、更なる自然に近付いているのです。
そして私は、姉が自らの才能を発揮して、大きな仕事を成し遂げる姿に拍手を送りたいといつも思っている妹なのです

芸術は科学と違って、常に前進するというものではありません
19世紀の科学より21世紀の科学の方が進んでいますよね。
これには誰も異論はないでしょう。
でも現代美術がルネッサンス美術より進んでいるとか優れているとは断言できません
現代漆塗りが鎌倉時代の漆器より素晴らしいとは明言できません
平安時代の漆はどうでしょう
夫々、一長一短、好き嫌い・・・前進後退ではなくて無論立ち止まってもいないのです。
芸術は科学と違って、感情を伝えるもので芸術の役割はそこにあるのです

伝統工芸のひとつである漆芸も他の芸術同様に普遍的で、年齢に関係なく精神や感覚、更に脳そのものを刺激することが出来ると思うのです

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。