時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

拓郎&かぐや姫の「つま恋」に居た人たち (加筆しました)

2006年09月26日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)
吉田拓郎&かぐや姫の「つま恋コンサート」にレイチさんと一緒に行ってきた。

朝7時台の新幹線「こだま」に乗って。
入場の混雑を考慮して、予定よりも1本早い新幹線に乗ったのだが、いざ着いてみるとその混雑は予想以上。
まあ、何万人もの人が集まるのだし、しかたない・・・とは思ってのだが、列の幅を薄くして、延々と列が伸びる状態になっており、いやあ、参った。
オジサンには辛い・・。
でも、これはそんじょそこらのライブではない。
特別なコンサートなのだ。

なんてったって、「拓郎とかぐや姫」のつま恋コンサート。
30年以上たっての再集結。


70年代の「拓郎&かぐや姫のつま恋」には、私は当初行くつもりだった。
だが・・諸事情で行けなかった。

これが私の心の中に大きな「悔い」となって残っていた。

その後、色々な所でことあるごとに、「拓郎&かぐや姫のつま恋コンサート」は話題に登った。
そのたび私は、どこか疎外感を味わってきた。
仲間はずれにされたような気分・・とでも言おうか。

行けた人同士が持つ「連帯感」に、ちょっとした嫉妬も感じていた。
いつも「つま恋」の名前が出るたびに、寂しさ、うしろめたさ、ちょっとした嫉妬、口惜しさ、うらやましさ、疎外感、など色んな感情がからみあい、一種複雑な思いがあった。
でも、それを口にはあまり出さないでいた。
それは口惜しさのせいだった。

十代の私が手に入れ損ねた「つま恋・共有体験」。
このままこの感情は永遠に自分の中で入手できないままで終わるのだろうと思っていた。

ところが、あれから30年を経て、あの体験を共有するチャンスがやってこようとは。
2006年、9月。
再び「拓郎&かぐや姫のつま恋」が開催されるというではないか。
これはもう・・・この機会を逃したら、またあの複雑な思いにかられることになる。それだけは嫌だ。
そう、これは私にとって、リベンジなのだ。


だから、今回のつま恋コンサートは、私にとって特別なのだ。
普通のコンサートではないのだ。


そういう思い入れがなかったら、私の年代のオジサンにとって、今回の「つま恋」は、きつすぎたかもしれない。

なにせ、場所は静岡、開演は13時、終演は21時過ぎ。
開場は10時。
混雑を考えると、前日から掛川に入るか、当日そうとう早く起きて(私は4時半に起きた)行かねばならない。

ライブの終了時間を考えれば、東京まで戻ってくるのは無理なので、宿も確保せねばならない。ところが、この日は、掛川(つま恋の最寄り駅)近辺の宿は、全部埋まってる。見事に、埋まってる。この日だけ。宿泊設備もパンク状態なのだ。

会場に入るまでの炎天下の中の長蛇の列。いつまでたっても会場に入れない。
入ったら入ったで、ライブスペースにたどり着くには、相当の大回りをさせられる。
喫煙場所は少ない上に、遠い。
飲食物の持ち込みは禁止・・とされてる割には、会場内の自販の飲み物はとうに売り切れてる。
会場内のドリンク売り場には長蛇の列ができ、なかなか先に進まない。
ドリンクを買うのには、決断と相当の根気が求められる。

体調管理のために水分補給をしてください・・と何度も呼びかけられる割には、その水分を入手するのは容易ではなかった。

客席はブロック分けされてはいるものの、ブロック内は自由席。
日陰はない。
一人一人のスペースは狭い。

途中、腹が減っても、食べ物売り場までは遠い。自分の席を離れて、そこまで行くのは大変な作業だ。

アンコールを見てたら、終電が危ない。
掛川に宿をとっていない限り、アンコールまでは見れない。


などなど。ツッコミ所はいっぱいあるだろう。
いやはや、私のようなオジサン世代にはハードだった。
オジサン&オバサンにとっては、「拓郎&かぐや姫のつま恋コンサート」に「特別の意味合い」を感じていなかったら、体力的にもスケジュール的にも、中々行けるものではない。
私もレイチさんも、そのへんは十分に感じていた。


だから今、つま恋体験をして帰ってきて思うのは、
無理してでも行ってよかった!
という実感だ。

前回の「つま恋・拓郎」に比べたら、演奏曲数は少ないし、意外な選曲も少なかった。
でも、この体験をできたということが大きい。

なんといっても、大サプライズは中島みゆきの登場だった。
鳥肌モノだった。
拓郎とみゆきが2ショットでデュエットをするシーンは、ハイライトシーンだった。



正直、しょっぱなの拓郎のステージは、淡々としており、70年代つま恋の時のような高揚感・爆発感はなかった。
あれほど楽しみにしてた「イメージの詩」にも、あまりテンションの高まりはなかった。
炎天下の下、拓郎自身もバテている感があった。
私もバテてたし、隣のレイチさんもかなりバテていた(笑)。
他のお客さんもそうだったのではないだろうか。


むしろ第2部でかぐや姫が登場して1曲目に「妹よ」を演奏した時の方が感動があったかもしれない。暑さにバテてた私だったが、これで目がさめた感があった。

ところが、テレビ放映がなくなった時間帯での拓郎の2度めのステージでは,さすが拓郎、段々調子がでてきた。
そうこなくっちゃ!

日が沈み、夜になると、気候の方は非常に過ごしやすくなり、客も出演者のテンションも、どんどん上がっていった。
やっぱ、夜のほうが燃えるよ!


最後の方で、「皆の好きな曲をやるからね」と拓郎がいたずら小僧のような可愛い表情で言い、「春だったね」「落陽」の連発。
特に「落陽」では、会場の後ろの方で、何発も何発も大仕掛けな花火が夜空を飾った。

客は後ろを向き打ち上げ花火を見てる。ステージでは拓郎も穏やかな表情で花火を見守っている。

拓郎のこの「おだやかで優しそうな表情」は、実にいい。
男の私が言うのもナンだが、実にチャーミング。
激動の人生を送ってきた男の顔とは思えない、暖かさに溢れていた。


私は、ライブの間、ちょくちょくあたりの観客の表情を観察していた。
皆、幸せそうな顔。
オジサン、オバサンが実に多い。
これくらいの年代になれば、皆それぞれの人生で辛いことを抱えているはず。
普段の生活では疲れて、ついキツイ表情や怒った顔をしていることも多いはず。
その疲れは、それぞれの顔にシワとなって刻印されている。

だが、皆、表情が穏やか。
30年以上も前の、若かった頃の姿に戻っていた。
見た目は歳をとってるが、どの人にも若い頃のその人の姿が宿っていた。

普段は怒ってばかりの嫌なオヤジたちかもしれないが(爆)、いいヤツそうに見える人は多かった。
普段は文句ばかり言ってる怖いオバサンたちかもしれないが(爆)、どんなオバサンも、私には可愛く見えてしかたなかった。
そう、どのオバサンも可愛かった・・・。


拓郎&かぐや姫のつま恋。
そこはやはり「特別な場所」として心にとどめておこう。
心残りは「人間なんて」が聴けなかったことかなあ。その気でいたのに(笑)。
だから代わりに心の中で歌ってしまおう。

「♪人間なんて ララ~ラ~ラララ ラ~ラ~」

いや!私の心境を歌にするなら、こう歌った方がいいかもしれない。
   ↓
「♪ つまごいだから ララ~ラ~ラララ ラ~ラ~」


オジサンたち、そして可愛いオバサンたち。
皆、長生きしようぜ!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        付録

あのサプライズを、行けなかった人にお届けします。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ulhbctptdrM

これを見ればあなたも、つま恋仲間です。

行きたかったけど、行けなかった、そういう悲哀は誰にもあること。
何より私自身が、最近までそうでした。
だから行けなかった人の寂しさは、私は誰よりも分かるつもり。
だから、心の中で「行きたかった」という気持ちがあれば、もうそれだけで心は繋がってると思います。

行けなかった悲哀、行けた幸運、両方知ってる私が そう確信してるのだから間違いないと思います!







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