昨夜、大森の「風に吹かれて」という店に行った。
きっかけはレイチさんのライブがあるからだった。
色んなタイプのミュージシャンが登場して、それぞれ持ち歌を披露していた。
個性の強い面々の中でも、レイチさんの楽曲は埋没していなかった、と思う。
昨日のライブで全ての出演者を見て、ふと思ったことがあるのだが、それは自分の中で少しふくらんできた。
この世には、埋もれた才能がなんて多いんだろう・・ということだ。
そんな才能の持ち主の曲に出会うたびに、「この人の、こういう曲みたいな曲を自分でも作りたい」と思ったりする。
だが。
好きだし、そういう系統の曲を作って歌いたいんだけど、あいにく自分の声には合わない・・そんな曲は本当に多い。
例えば、自作曲では「今夜はおやすみ」「精霊の街」「ダーリンダーリン」「不思議に素敵」などがそうである。
そんな時、自分以外のボーカリストが身近にいて、一緒にユニット活動をしていると、実に頼もしい。
私は音域がせまく、声も高い方ではない。
でも、例えばビーチ・ボーイズや山下達郎の曲のようなハイトーンの曲は好き。
好きな傾向の曲と、自分の声の傾向、これって悲しいことに必ずしも一致しない。
だから、曲作りをする時は、いつもジレンマを感じている。
好きな傾向の曲というのは、曲作りする時に無意識のうちにそういう曲を作ってしまうことがある。
でも、出来上がってみれば自分には向かない曲になっている。
音程、曲のムード、歌詞、メロディライン。どれも自分には合わない。
だから、せっかく作っても、その曲はそのまま埋もれていったり、放置されたりする運命にある。
バンドをずっとやってた20代、そして30代前半。そして今、アコギユニット。
その間、人前で発表したりすることなく埋もれて行った曲、今埋もれていこうとしてる曲は、実に多い。
作ったばかりの時は、人前で発表しようと思ってても、時間がたつとそのままになってしまう。
もちろん、あまりに曲の出来が自分で納得いかなくて、ボツにする場合も多々ある。
こうしたボツになった曲は、ある意味、気の毒ではある。
だが、ボツになったらなったで、別の生命を与えられることもある。
それは、新しい曲を書いてる途中で、そういう機会がある。
新しい曲を書いてる時、途中で行き詰まることがある。
どうにも展開できなくなることがある。
そんな時。
ボツになった曲の断片を、新しい曲に取り入れる。すると、思いがけず、その後の展開がうまくいく場合もある。
この場合、ボツになった曲の有効利用だ。
こうすれば、ボツになった曲も浮かばれる。
だが・・・まったくなにもかも使い物にならない曲もある。
有効利用ができない曲もある。
埋もれたままで今後も発表する機会は確実に無さそうな曲、別の曲に有効利用すらできそうもない曲に対しては、曲の供養塔(?)もしくは塚でも作ってやりたくなる。(笑)。
世の中には曲を作る人はたくさんいる。
プロもアマも。
でも、世に出るのはその中のほんの一握り。
昨日のライブを見て思ったのは、世に出ない曲の中に、なんてたくさんの名曲がひしめきあってることだろう・・ということだ。
現状は、悲しいことに、ほとんどの曲は埋もれていってるのだろう。
特に、アマの作ったボツ曲は無数にあるに違いない。
考えてみれば、ボツ曲ってのは可愛そうな存在である。
なんのために生まれてきたのか、作られたのか・・。
やっぱり、ここはひとつ「歌塚」でも欲しい(笑)。
じゃないと、浮かばれないかも。
どんな曲にも、作者の何がしかの「思い」は込められているはずなのだから。
それがどんな曲であれ、「思い」であれ。
・・・とまあ、「歌塚」は冗談だったとしても(笑)。
昨日のライブでは、世に出て もっともっと知られて欲しい曲が何曲もあった。
どの出演者にも。
野に埋もれている名曲には、チャートインしてくるヒットソングには無い「凄み」のある曲も多いのだ。
いや、チャートインしなければいけない・・という商売意識がないだけ、余計にその凄みに感動してしまうこともある。
最近色んなライブを見るたびに、つくづくそう思う。
きっかけはレイチさんのライブがあるからだった。
色んなタイプのミュージシャンが登場して、それぞれ持ち歌を披露していた。
個性の強い面々の中でも、レイチさんの楽曲は埋没していなかった、と思う。
昨日のライブで全ての出演者を見て、ふと思ったことがあるのだが、それは自分の中で少しふくらんできた。
この世には、埋もれた才能がなんて多いんだろう・・ということだ。
そんな才能の持ち主の曲に出会うたびに、「この人の、こういう曲みたいな曲を自分でも作りたい」と思ったりする。
だが。
好きだし、そういう系統の曲を作って歌いたいんだけど、あいにく自分の声には合わない・・そんな曲は本当に多い。
例えば、自作曲では「今夜はおやすみ」「精霊の街」「ダーリンダーリン」「不思議に素敵」などがそうである。
そんな時、自分以外のボーカリストが身近にいて、一緒にユニット活動をしていると、実に頼もしい。
私は音域がせまく、声も高い方ではない。
でも、例えばビーチ・ボーイズや山下達郎の曲のようなハイトーンの曲は好き。
好きな傾向の曲と、自分の声の傾向、これって悲しいことに必ずしも一致しない。
だから、曲作りをする時は、いつもジレンマを感じている。
好きな傾向の曲というのは、曲作りする時に無意識のうちにそういう曲を作ってしまうことがある。
でも、出来上がってみれば自分には向かない曲になっている。
音程、曲のムード、歌詞、メロディライン。どれも自分には合わない。
だから、せっかく作っても、その曲はそのまま埋もれていったり、放置されたりする運命にある。
バンドをずっとやってた20代、そして30代前半。そして今、アコギユニット。
その間、人前で発表したりすることなく埋もれて行った曲、今埋もれていこうとしてる曲は、実に多い。
作ったばかりの時は、人前で発表しようと思ってても、時間がたつとそのままになってしまう。
もちろん、あまりに曲の出来が自分で納得いかなくて、ボツにする場合も多々ある。
こうしたボツになった曲は、ある意味、気の毒ではある。
だが、ボツになったらなったで、別の生命を与えられることもある。
それは、新しい曲を書いてる途中で、そういう機会がある。
新しい曲を書いてる時、途中で行き詰まることがある。
どうにも展開できなくなることがある。
そんな時。
ボツになった曲の断片を、新しい曲に取り入れる。すると、思いがけず、その後の展開がうまくいく場合もある。
この場合、ボツになった曲の有効利用だ。
こうすれば、ボツになった曲も浮かばれる。
だが・・・まったくなにもかも使い物にならない曲もある。
有効利用ができない曲もある。
埋もれたままで今後も発表する機会は確実に無さそうな曲、別の曲に有効利用すらできそうもない曲に対しては、曲の供養塔(?)もしくは塚でも作ってやりたくなる。(笑)。
世の中には曲を作る人はたくさんいる。
プロもアマも。
でも、世に出るのはその中のほんの一握り。
昨日のライブを見て思ったのは、世に出ない曲の中に、なんてたくさんの名曲がひしめきあってることだろう・・ということだ。
現状は、悲しいことに、ほとんどの曲は埋もれていってるのだろう。
特に、アマの作ったボツ曲は無数にあるに違いない。
考えてみれば、ボツ曲ってのは可愛そうな存在である。
なんのために生まれてきたのか、作られたのか・・。
やっぱり、ここはひとつ「歌塚」でも欲しい(笑)。
じゃないと、浮かばれないかも。
どんな曲にも、作者の何がしかの「思い」は込められているはずなのだから。
それがどんな曲であれ、「思い」であれ。
・・・とまあ、「歌塚」は冗談だったとしても(笑)。
昨日のライブでは、世に出て もっともっと知られて欲しい曲が何曲もあった。
どの出演者にも。
野に埋もれている名曲には、チャートインしてくるヒットソングには無い「凄み」のある曲も多いのだ。
いや、チャートインしなければいけない・・という商売意識がないだけ、余計にその凄みに感動してしまうこともある。
最近色んなライブを見るたびに、つくづくそう思う。