時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

金魚鉢の中の金魚

2010年07月22日 | 日々の、あれこれ

今でこそ家の構造的に金魚を飼えなくなっている我が家。
・・と書くと少しオーバーだが、要するに水槽を置く場所がない・・というだけのことだ。

だが 実家で暮らした子供時代には 金魚を飼ってた。
金魚鉢で飼おうとしたこともあるが、結局は水槽で飼うことにしたのだった。

それは・・金魚鉢で飼おうとした時にふと思ったことがあったからだ。

金魚鉢っていうのは、見ても分かるように、サイズが小さい。

金魚鉢の中で泳いでる金魚を見て、私は妙なことを考えてしまった。

もし自分が金魚だったら、こんな狭い金魚鉢の中に入れられたらフラストレーションたまりまくりだろうと思った。

人間で例えれば狭い独房に入れられるようなものに思えた。

歩きで例えれば、数歩歩いたらすぐに方向転換しないといけない狭さ。

自分がこんな狭い容器の中に入れられたらたまったもんではない。
なので、少しでも金魚鉢よりは広い水槽の中で飼おうと思ったのだった。


思うに・・・金魚って、自分のいるスペースの狭さにストレスを感じることってないのだろうか。

私はたまたま人間として生まれたので、金魚鉢で生活したことがない。
だから、金魚鉢で飼われる気持ちはきっと分からない。

でも、人間の感情で想像することはできる。

人間の感情で想像すると、金魚鉢のあの狭さは、シンドイ。

だが、金魚はどうなんだろう。

本当は池みたいなスペースの中で飼えばいいのかもしれないが、池などというしゃれたものは我が家には無かったし、それを作るようなスペースも無かった。

池でもない、金魚鉢でもない・・ってなわけで、水槽で飼うことに。


もっとも、その水槽にしても、金魚鉢よりはマシってだけで、狭いことは狭かった。
あまり大きな水槽を置いていけるスペースは家にはなかったから。

水槽の中で泳ぐ金魚にとっては、彼らの宇宙は水槽の中だけ。

やはり、なんて狭い世界なんだろう。

それとも、世界はあれしかスペースがない・・と思ってしまえば、狭さなど感じないのだろうか。

なまじ、水槽よりも広い世界の存在を知らなければ、水槽の中だけのスペースに不満は感じないのかもしれない。

そういう意味では、「知らない」ということは、案外幸せなことなのかもしれない。

とりあえず言えることは…、私が金魚と同じサイズだったとして、金魚鉢の中に入れられたら、きっとフラストレーションが溜まりまくりで、きっと耐えられないだろうということだ。

金魚に生まれなくて、よかった(笑)。


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