今でこそ家の構造的に金魚を飼えなくなっている我が家。
・・と書くと少しオーバーだが、要するに水槽を置く場所がない・・というだけのことだ。
だが 実家で暮らした子供時代には 金魚を飼ってた。
金魚鉢で飼おうとしたこともあるが、結局は水槽で飼うことにしたのだった。
それは・・金魚鉢で飼おうとした時にふと思ったことがあったからだ。
金魚鉢っていうのは、見ても分かるように、サイズが小さい。
金魚鉢の中で泳いでる金魚を見て、私は妙なことを考えてしまった。
もし自分が金魚だったら、こんな狭い金魚鉢の中に入れられたらフラストレーションたまりまくりだろうと思った。
人間で例えれば狭い独房に入れられるようなものに思えた。
歩きで例えれば、数歩歩いたらすぐに方向転換しないといけない狭さ。
自分がこんな狭い容器の中に入れられたらたまったもんではない。
なので、少しでも金魚鉢よりは広い水槽の中で飼おうと思ったのだった。
思うに・・・金魚って、自分のいるスペースの狭さにストレスを感じることってないのだろうか。
私はたまたま人間として生まれたので、金魚鉢で生活したことがない。
だから、金魚鉢で飼われる気持ちはきっと分からない。
でも、人間の感情で想像することはできる。
人間の感情で想像すると、金魚鉢のあの狭さは、シンドイ。
だが、金魚はどうなんだろう。
本当は池みたいなスペースの中で飼えばいいのかもしれないが、池などというしゃれたものは我が家には無かったし、それを作るようなスペースも無かった。
池でもない、金魚鉢でもない・・ってなわけで、水槽で飼うことに。
もっとも、その水槽にしても、金魚鉢よりはマシってだけで、狭いことは狭かった。
あまり大きな水槽を置いていけるスペースは家にはなかったから。
水槽の中で泳ぐ金魚にとっては、彼らの宇宙は水槽の中だけ。
やはり、なんて狭い世界なんだろう。
それとも、世界はあれしかスペースがない・・と思ってしまえば、狭さなど感じないのだろうか。
なまじ、水槽よりも広い世界の存在を知らなければ、水槽の中だけのスペースに不満は感じないのかもしれない。
そういう意味では、「知らない」ということは、案外幸せなことなのかもしれない。
とりあえず言えることは…、私が金魚と同じサイズだったとして、金魚鉢の中に入れられたら、きっとフラストレーションが溜まりまくりで、きっと耐えられないだろうということだ。
金魚に生まれなくて、よかった(笑)。
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