時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「今の自分」対「過去の自分」

2010年07月20日 | 音楽活動
09年の2月に高円寺でライブやった時、私は初めて、ヤングだんぞう作の曲を人前で披露した。
「失恋」という、中学2年の頃に作った歌だった。
リスナーが優しかったからなのか、その曲は案外好評だった。

それ以来。

私が十代の頃に作った曲を「ヤングだんぞう作品」として、たまに人前で取り上げるようになった。

この年代になって、十代の頃の自分の作った歌を見返してみる機会が多くなった。

ヤングだんぞう名義の曲は、だいたい「つたない」。
でも、そこには若かりし頃の自分の素直な感情や思いがこめられている。
十代の頃の自分は、こんなこと考えていたんだ・・とか、こんなことを思っていたのか・・と思うと、まるで過去の日記を読んでるようである。

つたなくても、今の自分にはとても書けないような歌詞、今の自分では思いつかないような発想が、たまにそこにあったりすることがある。

メロディ作りは、さすがに当時と今では今の自分のほうが上だと思いたいが、歌詞の発想や題材選びは、当時の自分のほうが勝ってるように思えることはけっこうある。
もちろん、言葉選びなどは幼かったりするのだが、そこを今の自分が添削して、歌詞をところごころ訂正し、その歌詞に今の自分がメロディを作ったらどうなるかなあ・・なんて思うことがある。


だが・・ここで、自分の中で「待った」がかかることもある。
発想や着眼点が面白かったとしても、その時に書いた歌詞を今の自分が直しすぎると、それはもう別物の曲のような気もする。

その歌を作った当時の自分が、今の私に添削されるのを知ったら、何て思うだろう。どう感じるだろう。

そればかりは、経験してみないと分からないが、「そっちの言葉のほうが幼くないかもしれないけど、ちょっと違うんだよね・・」なんて思ったりするかもしれない。

でも、今の自分がその歌を取り上げる以上、今の自分にもある程度あてはまっていないといけない。

こうなると、過去の自分と今の自分の接点で発表するしかない。

・・でも、やはり、作った当時の姿は、なるべくなら手を加えたくない・・という葛藤もあって。
なので、今の自分が過去の自分に妥協するしかなかったりする。


いやはや、このへんの兼ね合いはムズカシイ。


ちなみに写真は、十代の頃私が作っていた「自作曲ばかりを録音したカセット」。
これはその13作目のテープ。
ジャケットなんかも自分で描いていた。
作った自作曲がたまると、1本のカセットに録音して「アルバム代わり」にしていたのだった。




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