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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

土星探査機カッシーニの最後

2018年03月26日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

先日、何気にテレビを見てたら、土星探査機カッシーニのことを取りあげたサイエンス番組が放送されてた。

「お!」と思い、見始めたら、これが面白かった。

カッシーニは土星に近付き、様々なデータを送ってきていた。

土星の輪に関すること、土星に関することなど。

私が特に印象的だったのは、土星の衛星のひとつ(名前は失念・・タイタンだったかもしれない)にカメラが着陸し、その衛星の地表や空の写真を送ってきたこと。

なにやら全体的な色合いや、地表の様子が火星の地表にも似た感じに見えた。

 

そして、かなりインパクトがあったのは、カッシーニが任務を終えて、土星の大気の中に突入して、その過程で燃えつきて消滅していく姿。

その映像はCGだったと思うが、そういう展開で消滅していったのは事実。

カッシーニについていたであろう地球の微生物が、土星の環境に影響を与えないように、土星に着陸するのではなく、下降していく途中で消滅させる・・という意図だったようだ。

理論的にはすごく納得できる。

もしもこの先、再び探査機が土星に行った時に、土星になんらかの生物が発見されたとして、その生物が地球から運び込まれた微生物が環境に適応した姿だったとしたら・・それは真の意味での土星の生物ではないということになってしまう。

 

ただ、役目を終えて燃え尽きて消滅していく過程では、私は数年前の「はやぶさ」を思い出してしまった。

まあ、はやぶさは故郷である地球に帰ってきたわけだから、カッシーニとは違う。

 

だが、重要で困難な任務を完了して、強制的に燃え尽きて消滅する姿は、はやぶさを思いおこさせられて、少し切なくなった。

おそらくカッシーニが日本製だったとしたら、はやぶさの時のように擬人化されて、涙をさそう演出になったかもしれない。

そう、日本人なら、そんな感じをもったかもしれない。

 

はやぶさが地球に帰還して、大気中で燃えつきて行く姿を、日本人が擬人化したイメージでとらえ、涙の感想を漏らした様子を、当時アメリカ人科学者は、「日本でははやぶさを擬人化して、かわいいメッセージが次々と寄せられていたようです。日本独自の盛り上がりですね」と紹介したらしい。

まあ、科学者としてはそれが当たり前の反応なのだろう。

 

確かに日本では、当時のはやぶさを、少女に見立ててアニメ化したりして、まるではやぶさが意思を持ったアンドロイドであったかのように捉えていた人もいた。

 

なので、カッシーニがもし日本製なら、今回もきっと擬人化されたイメージで日本人は捉えたような気がする。

少女型アンドロイドか、もしくはアトムみたいなアンドロイドのイメージで。

実際は機械そのものの外観であっても。

 

カッシーニの最後を見て、切ない気持ちになった私は、やはり日本人特有の感性なのかもしてないね。

そういえば昔、ハレー彗星が地球に近づいた時、それに近付いていって、ハレー彗星の核の撮影に成功し、その後のミッションを終えて、やがて通信が途絶えた探査機「ジオット」にも当時私は少し切ない気持ちを持った覚えがあった。

ちなみにジオットはヨーロッパが打ち上げた探査機だった。

 

探査機が任務を終えて消滅したり、行方不明になるたびに、いちいち切ない思いを持ってたら、きりがないとは思う(笑)。

 

でも、・・たとえ擬人化しなくても、困難なミッションを果たした「機械」には、「よくやった、凄いそ。偉いぞ。ありがとう。お疲れ様・・。」の気持ちは私は多かれ少なかれ持たずにはいられない。「科学者への称賛」と共に(本当に称賛されるべきは科学者だものね)。

「ミッション完了」の一言では済ませられない思いが・・・私の中にどうしてもわきあがってしまう。

 

外観がいかにも機械だからまだいいが、これがもしヒューマノイド型の探査機だったら、ちょっとたまらないかもね。

だから、この先も、こういう探査機には、ヒューマノイド型にはなってほしくない(笑)。

 

なんてったって、日本人は、アトムをはじめとするヒューマノイド型のロボット(というか、機械)のアニメや漫画で育ってきた人が多いから。

その点は、ある意味「弱点」でもあるのかもしれない。

 というか・・いずれ日本は、自国の宇宙開発が発展していくと、ヒューマノイド型か、それに近い宇宙探査機を作ってしまいそうな気もしている。

で、名前も人命っぽい名前をつけそうではある(笑)。

 

 

 


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2 コメント

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科学の涙 (鮎川愛)
2018-03-29 02:18:12
日本人が衛星探査機「はやぶさ」の最期に涙を流したエピソードは、まことに日本人らしいことですね。


愚劣な、殺伐としているニュースばかり放送される最中、唯一感動できるニュースでした。


だんぞうさんがおっしゃる通り、日本アニメーションには、『鉄腕アトム』始め、可愛らしい容貌を持つロボット・アニメーションが数多くあります。


そして、主人公である彼らは、最終回にて悲しい最期を迎えてエンディングが多いですね。


もし、衛星探査機「はやぶさ」「カッシーニ」が可愛らしい人型だったら、アメリカでも、その最期には違う反応を示したでしょうね。

しかし、アメリカ人には、「科学の涙」よりも、笑いが起こりそうです。


それは文化的価値観の違いですから、日本人と比較して、どちらが優秀ということでは全くありません(^^;)
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Unknown (だんぞう)
2018-03-29 13:22:04
日本のロボットアニメがヒューマノイド型のアトムから始まり、それを子供の時に見ていた人が大人になってロボットを作る時、理想はやはりヒューマノイド型にいきつくのだと思います。
極言すると、日本人はロボットを作るならアトムみたいなロボットを作りたいのだと思います。

ヒューマノイド型ロボットアニメでは「エイトマン」というのもありました。
ハリウッド制作の映画「ロボコップ」などは、ほぼエイトマンの設定を引き継いだものでした。


今現在、世界で色々なロボットが作られていますが、同じ「機械」でも、ルックスがヒューマノイド型か、あるいは機械そのもの型か・・では、それを見ている人の感じ方も違いますよね。

ある意味、人形もそうだと思います。
材質がなんであれ、それが人間型のルックスだからこそ、愛されるのでしょう。


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