ユニット「時代屋」を組んでから、もうそこそこの年月が経過している。
元々相方とは、学生時代と30代の頃に一緒にロックバンドを私は組んでいた。
30代の頃に組んでたロックバンドが、練習に中々メンバーが揃うことが難しくなっていき、いつの間にか自然消滅。
メンバーは皆仕事を持ってたし、仕事の休日のシフトはバラバラだったしね。土日が休みの人もいれば、土日が稼ぎ時で平日が休みな人もいたし。これはもう、社会人バンドゆえ、仕方なかったと思う。
その後しばらくは私は音楽活動はやっていなかった。
バンドを組んでも練習にメンバーが揃わないんじゃ維持は難しいと思ったし、仕事も忙しくなっていたし、住んでる場所の交通アクセス問題もあったし(まあ、それは重要な理由ではなかったが)、もろもろの理由で。
とはいえ、自宅でギターは弾いていたし、曲も作ってはいた。
だが、発表の機会はなかった。
発表の機会を求めて動く・・ということもなかった。
それが、私がネットをやるようになってから、まずは弾き語りで人前でやる機会があり、その後、相方に声をかけて、互いにエレキからアコギに持ち替え、アコギデュオというユニットとして活動することになり、ライブの頻度はバンド時代よりも増えていった。
もともと練習にメンバー全員揃うのが難しくなっていったから、バンドは消滅したわけで、メンバーとケンカ別れしたわけではなかった。
デュオなら2人だけだから、練習の機会はバンド時代よりも持てるようになった。
つまり、「身軽」になったわけだ。
ライブの回数が増えたのは、それも大きかったと思う。
身軽になったことで、自作曲をバンド時代よりも気軽にユニットに持ち込めるようになった。
バンド時代は、自作曲を持ちこんでも、その曲が複数のメンバーに「イマイチ」と判断されたら、ひっこめたりしていた。
なぜか、ひっこめても私はさほど機嫌が悪くはならなかった。多少「残念」とは思ったが、それ以上に「次はもっといい曲を持ちこんでやる!」という気持ちの方が大きく、むしろ逆にファイトがわいたぐらいだった。いい発奮材料になったぐらいだった。
で、今のアコギユニット。
バンド時代よりも気軽に曲を持ちこめるようになったので、ユニットにはそこそこの数の自作曲をこれまで持ち込んできている。
先日、これまでに「時代屋」に私が持ち込んだ曲がどれぐらいあるのか、検証してみた。
すると、カバー曲を含めれば30曲以上あった。もっと少ないかと思ってたので、そのへん我ながら意外。
もちろん持ち込もうと思えば、もっともっと持ちこめた。
自作曲のストックだけは無駄にたくさんあるから(笑)。
だが、中にはバンドじゃないとできそうもない曲もあったし、弾き語りのほうが良さそうな曲もあったし、また、構成が複雑ゆえに相方が中々覚えられないのではないかと思える曲もあったので。
それと、「時代屋」ユニットには似合わないような曲もあったし。
なので、ある程度「絞って」持ち込んでいた。
また、持ち込んで練習は何度かしたものの、ライブで発表するには至らなかった曲もあった。案外、その数は多かった。
それは、持ちこんではみたものの、迫るライブには間に合いそうもなかったからだったり、「もっとやりたい曲」が新たに出来て、それを優先するあまり、練習途中の曲の練習が後回しになり、そのまま消えていった曲もあった。
で・・
これまでユニットに持ち込んだことのある曲30曲ちょいを振り返ってみた。
すると、ライブではたった1回しか披露していない曲もそこそこあるのを実感。
また、以前はよくライブで披露してたのに、だんだん取り上げなくなっていった曲もある。
代わりに、たとえ前回の披露から少し時間があいても、再び取り上げることがある曲もある。
1回しか披露していない曲に関しては、1回しか披露してない理由もあったりする場合が多い。
例えば、新しい曲を優先したいから、1回披露した曲はその後の演奏メニューから外したりしたこともあった。
また、1回披露してもお客さんからの反応がなくて、その後の披露をやめた曲もあった。
かと思えば、以前ロックバンド時代にやっていた曲をアコギデュオでやってみたら、やはりアコギデュオでは自分の中で納得がいかなくて、その後取り上げなくなった曲も。
その他、それなりに理由はあった。
また、初期の頃に何度も人前で披露してたのに、だんだんその後取り上げなくなった曲があるのは、新しい曲の方を優先したかったから・・・というのが大きいかもしれない。
その一方で、特に理由はないのだが、なんとなくその後のライブでは取り上げなくなっていった曲もある。
特に理由がないまま、なんとなくライブから外れるようになっている曲は、そのうちまた取り上げることはあると思う。
これまでのライブでは、たまにカバーも取り上げてきている。
カバーで取り上げることが多かったのは、やはりケメの曲だったと思う。
ケメに関しては、ケメのトリビュートライブに備えて、何曲もケメの曲を練習したからで、それを無駄にしたくなかったというのが大きかった。
それ以外のカバー曲は、1~2回の披露で終わってきている。
ひところ、それなりのペースでライブを行っていた時期があって、その頃はライブの回数も今より多かったので、バリエーションとしてカバーもそれなりに手掛けていた。
だが、近年はめったにライブをやらないので、たまに出るライブでは、自作曲を優先するようになった。
先日、これまで時代屋でライブで披露したことのある自作曲のリストを書いてみたのだが、そのリストを見て「あ、そういや、こんな曲もやったなあ」なんて改めて思うこともあった。
やったことがあるのを忘れていた曲もあった(笑)。
なので、いつかそういう曲を再び取り上げてみたい気はしている。
その一方で、新たに披露したい曲ができたら、そちらのほうを優先してしまいそうではある。
ってことは・・・
な~んだ、これまでと変わらないじゃないか~
ってなことに??(笑)
この曲をやらないとお客さんが納得しない・・・幸か不幸か、そんな曲は時代屋にはないと思うので、その辺、いいんだか悪いんだか・・・。
ところで。
何の気兼ねもなくライブをやれていた、コロナ前の時代が、なにやらちょっと懐かしく感じられてきているのは私だけ?
アコギ・ユニットとは全く何もかも違う要素・魅力がありますからね。
弾き語りでは演出出来ない音楽を、バンドでは出来るという点が本当に最重要です。
ロックンロール、ロックなど、その典型ですよね。
だんぞうさんが組んでおられたバンドは、モデルと言いますか、理想としていた有名バンドはあったのですか?
ただ、古い音源のせいか、音質がイマイチで。
また、サイトの晩年はほとんど更新もなく、放置状態でした。その分、こちらのブログの更新が頻繁になってました。
なので、サイトを閉じて、こちらのブログに専念することにしました。
サイト閉鎖と共に、音源もしまいました。
私の組んでたバンドには、特にモデルとなったバンドはなかったです。
すくなくとも私は、そうでした。