時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

高円寺という街

2023年05月07日 | 日々の、あれこれ

 

中央線に高円寺という駅がある。

高円寺という駅や街が、日本全国的にどれほど知られているかは私にはわからない。

新宿や原宿や銀座、秋葉原、池袋や渋谷なら、東京に来たことがない人でも、地名ぐらいは知っているだろう。

だが高円寺はどうだろう。無名ではないはず。でも、例えば東京に来たことがなくて、田舎の山奥などに暮らしているご老人などの間では、新宿や渋谷ほどの知名度ではないような気はする。

 

私は一応東京生まれで東京育ちなので、高円寺の名前は子供の頃から知っていた。

さすがに幼少の頃はともかく、少なくても小学校高学年くらいの頃には、街名だけは知っていたと思う。当時行ったことがなかったとしても。

 

高円寺の駅のある中央線の沿線は、私が物心ついた頃には、音楽の盛んなエリアというイメージがあった。

ライブハウスが中央線沿線にはいくつもあったからだ。

 

中央線の駅をいくつかあげてみよう。

 

例えば中野駅。中野駅の駅前には中野サンプラザがあった。私はそこで、例えばパブロ・クルーズのライブなどを見た。もちろん、パブロ以外のライブも見た。

 

例えば阿佐ヶ谷駅。阿佐ヶ谷は、友部正人さんの「一本道」という歌にも出てきていた。

 

吉祥寺には、フォークの大物たちのたまり場みたいな店もあったし、有名なライブハウスもあった。

 

そして、吉田拓郎さんの歌には「高円寺」という歌があった。

 

ライブハウスは、高円寺や吉祥寺をはじめ、中央線沿線には多数あったし、今もあるはず。

 

 

私にとって高円寺は、昔は仕事上の取引先の会社があったので、仕事上でも行く機会は多かったし、ついでにお気に入りの飲食店も何店もあった。

また、高円寺では、私が若いころロックバンドを組んでた時に、ロック系のライブハウスでライブをやったし、おじさんになって時代屋ユニットを組んでから何度も出たお店も別にある。

友人とブルース系の音楽を聴きに行ったライブハウスもあった。

また、単なる「買い物」でも、高円寺にはよく行った。

なので、私にとって高円寺は、かなりなじみ深い街である。

 

アーケード街もあるし、路地のような商店街もある。店は多数。

若者向けの洋服を売る店もあるし、飲食店も多いし、音楽系の店も多いし、生活用品を扱う店も多い。

全体的に活気を感じる街だ。

 

新宿にも出やすいし、吉祥寺にも行きやすい。

こうして街の印象を書いていたら、一度くらい住んでみたかった気になってくる。

 

あなたは高円寺という町の名前を聞いて、どんなイメージを持つだろうか。

高円寺をどんな町だと思っているだろうか。

 

70年代に若い人たちに高円寺の町名を一気に広めたのは、やはり前述の吉田拓郎さんの「高円寺」というタイトルの歌だったと思う。

その歌は、拓郎さんが「旅の宿」というシングルでヒットチャートをにぎわしていたころに発表されたアルバム「元気です。」に収録されていた。

アルバム「元気です。」は、数ある拓郎さんのアルバムの中でも最高傑作の呼び声が高い傑作アルバムだった。

今でもその評価は変わっていないと思う。

売れ行きも上々だった。

そんなアルバムの中に入っていて、他の名曲たちにひけをとらない存在感のある歌、それが拓郎さんの「高円寺」という歌だった。

メロディがきれい・・・とか、そういうタイプの曲ではなく、ギターストロークの弾き方、拓郎さんのダブルボーカルの乗せ方、歌詞、など、ひと癖ある曲だった。

その曲を聞いて、初めて高円寺という町を知った人もきっといただろうと思う。

特に東京から遠いエリアに住んでる人にとっては。

 

拓郎さんのその歌を聞いて高円寺に行ってみたくなった人や、住んでみたくなった人もいたことだろう。

私など、拓郎さんのアルバム「元気です」に収録されている曲の歌詞のいくつかで「町」や「日常」を連想させられる個所が出てくると、つい私の知ってる高円寺の町の1場面や1光景を思い浮かべたものだった。そう、「高円寺」という曲以外でも。

 

 

個人的には、高円寺は音楽が好きな人が生活するのに良い町だと思う。まあ、一般的なイメージとあまり変わらないけどね、これだと。

 

夕方頃の買い物客が多い時は活気があるし、狭い路地にいろんな店がひしめいているので生活するにも困らないだろう。

あとは・・家賃次第かもね。

 

そういえば・・これは未確認だが、高円寺には楽器屋さんはあるのだろうか。

音楽が盛んな町のイメージがあるので、楽器屋さんがあってもおかしくない気はするのだが。

ライブハウスなどでライブをやる人にとっては、例えばギターの弦が切れてスペアを持っていない時などに、町に楽器屋さんがあると助かると思うのだが。

 

もちろん、ミュージシャンでギター弾きなら、スペアの弦は絶えず持ち歩いていたほうがいいのではあるが。

 

 

ちなみに、私は夕方頃の高円寺の町の雰囲気が特に好きだ。

独特のムードを感じるから。

なんというか、これから何かがどこかで始まりそうな雰囲気を感じる。

もっとも、それは私が高円寺でライブをやったり、ライブを見に行ったことがあるから感じることなのかもしれない。

 

夕方からのライブが終わり、終電近くの時間に店から駅に向かう時の高円寺は、ちょっとした「祭りの後」みたいな雰囲気がある。

 

私は高円寺の町に「泊った」ことはない。

学生時代から今に至るまで、私の友人で高円寺に住んでる人がいなかったから。

もし、高円寺の町に住んでる友人がいたら、その人と終電がなくなった後の高円寺で飲んで、その夜はその友人宅に泊めてもらいたかった(笑)。。

あ、一回だけ、ライブが終わり、終電がなくなった後に、深夜の高円寺の店をはしごしたことは・・・あったっけ。でも、それは「泊った」というわけではなく、単に店をはしごしただけだ。

できればそんな時、高円寺に住んでる友人がいたら、泊めてほしかった(笑)。

 

なお、写真はイメージです。本文とは直接的な関係はありません。

 

 


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2 コメント

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高円寺 (四代目桶屋金之助)
2023-05-08 09:53:58
「高円寺」を知ったのは、私も吉田拓郎さんの歌からです。
ちなみに「吉祥寺」を知ったのは、斉藤哲夫さんの歌からです。

高円寺や吉祥寺は一度訪ねてみたいです。
返信する
Unknown (だんぞう)
2023-05-08 12:07:23
いつもそちらのブログも拝見させてもらっています。
ありがとうございます。

拓郎さんの曲で高円寺という町を知った人はきっと多かったと思います。高円寺という曲が入っていたアルバム「元気です」は、拓郎さんが大ブレークしてた頃の作品でしたものね。

吉祥寺に関しても、いずれこのブログで取り上げるつもりです。
私にとって吉祥寺は、ドラマ「俺たちの旅」のイメージが大きかったです。

高円寺や吉祥寺のある電車「中央線」には、他にも音楽がさかんな町が多いので、ついでにまわってみるのもいいと思いますよ。
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