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輪島の宿に着いた時、宿のスタッフから、ちょっと残念な情報を私は聞かされることになった。
輪島といえば、なんといっても朝市が有名。
なので、翌日の朝、私はせっかくなので朝市も見てみようと思っていた。めったにない機会ではあるし。
だが・・あいにく翌日は朝市はお休みだという。
なんでも、月に2回ほど、朝市はお休みの日があるらしいのだが、運悪く私が訪れようとした翌日が、よりによってお休みの日であったとは・・。
かといって、宿に着いたその日はもうとっくに朝市は終わっている時間だったし。
意気消沈・・・。
輪島に朝市目当てで行かれる方は、朝市にはお休みの日もあるので、よく調べて行かれることをお勧めする。
この時は日本に台風が来ており、聞けば太平洋側は記録的な大雨だという。
しかもその台風は、進路が能登半島方面だという。
これはまずい・・。
もしかしたら、翌日・・・私の奥能登旅行の最終日は、能登半島は大荒れになるかもしれない。
そうなると・・仮に朝市が行われる日だったとしても、中止になってしまいそうではある。
それどころか、台風によって大雨が降ったら、宿をチェックアウトした後何もできないかもしれない。
私の乗る飛行機は夕方発なので、なんとか夕方まで時間をつぶさなければいけない。
場合によっては、飛行機の欠航・・・という最悪の可能性も頭をよぎった。
どうしよう。
とはいえ、天候ばかりはどうにもできない。
とりあえず翌日の天気を見て考えることにした。
さて、翌日。いよいよ奥能登半島の旅行の最終日の朝がきた。
目が覚めて窓の外を見れば、しっかり雨が降っていた。
台風が来ている割には豪雨というほどではなかったが、傘は必要な状態だった。
晴れていれば、近くの灯台までの散策路を歩いたり、レンタルサイクルを借りて町を見て周ったりできるのに・・。そうすればいくらでも時間などつぶせるのだが。というか、それはそれで魅力あるのだが・・。
途方にくれた私は、とりあえず輪島の駅まで行ってみた。
↑ かつて輪島駅であった場所。
↑ かつて輪島駅だった建物は、今は「ふらっと訪夢」という名前になっていた。壁には、かつて「輪島駅」だったとを証明するような「駅名」が、そのまま残されていた。
ここは正確には、輪島の駅の跡地。
というのは、昔は輪島まで鉄道が来ていたらしいのだが、利用者の数の問題なのかどうか分からないが、今では鉄道は廃止されており、存在しない。
かろうじて、かつて鉄道の駅であった名残だけは、とどめている個所はあった。おそらく、観光用であろう。
↑ かつて鉄道の駅だった名残が、記念写真用に残されていた。
ちなみに、鉄道のない今は、例えば金沢まで出ようとすると、輪島からは高速バスで移動することになる。
この日さすがに金沢まで行く余裕はなかった私は、補欠案として考えていた場所に行ってみることにした。
それは「大沢」という場所で、「間垣の里」とも呼ばれている集落。
ドラマ「まれ」の能登でのメインのロケ地である。
元治さんの宿もあれば、まれが登った「海辺のやぐら」もあるし、道沿いの家に設置された「間垣」が印象的な集落だ。
私は今回奥能登に来たが、以前にも書いたが、そのきっかけは決して「まれ」ではなかった。
元々、能登半島の奥地の突端までは行ってみたいと思っていたのを、今回思いきって実現させただけだ。
だが、せっかく「まれ」も放送されたことだし、輪島の朝市はこの日はお休みだし、時間つぶしに「間垣の里・大沢」に行ってみることにしたわけだ。
なにせ、飛行機の離陸は夕方。時間は余っている。
大沢方面行きのバスに乗り込んだ私。バスは奥能登の海沿いのくねくねとした山道を進んでいく。
眼下には、切り立った崖の下に荒れた日本海が広がっていた。
しかも、高さがかなりあり、怖い。なにやら、バスが通るには、道幅が少し心もとない気もしたぐらい、スリリングに思えた。
道がくずれたり、バスの運転手がハンドルを切りそこなったら・・・崖のはるか下の海に落ちて行き、一巻の終わりであろう。
もっとも、スリリングな割には、私は睡魔に襲われていた(笑)。
うつらうつらしながらしばらくバスに乗っていたら、大沢に着いた。
戻るバスは1時間後。ここで1時間過ごして、再び輪島に戻る頃は、ちょうど昼飯時のはず。
↑ バス停を降りて、さっそく1枚。
↑ 空はどんよりしていた。
大沢の集落に着いてみると、「まれ」で見覚えのある光景が、そこかしこに。
間垣とよばれる「風よけ」が、海沿いの家の壁に続いていた。それは「まれ」でも何度も見た光景であった。
↑ 御覧の通り「間垣」と呼ばれる風よけが、海岸にそって続いていた。家屋を守るように。
集落自体は、静まり返っていた。
ただ、バス停近くの海辺には、「まれ」で出てきた「やぐら」があり、何人か観光客がいた。やぐらは目立っていた。一目見ただけで、それだとわかるやぐら。
実際、やぐらの脇には、そのやぐらが「まれ」で使われたやぐらであることを書かれた看板があった。
見れば、やぐらの近くにはタクシーが何台も停まっていた。やぐらは、「まれ」が放送されてた時期の大沢という集落の、一番の観光ポイントだったのだろう。
↑ どれもが観光タクシーであろう。この一帯だけは賑っていた。
↑ 「まれ」で何度も出てきた「やぐら」。
↑ やぐらの横には、こんな看板が。
その後、集落の中の道を少し散策したのだが、多少なりとも屋外に人が集まっていたのは、さきほどの「やぐら」付近のみ。
集落の中は、ひっそりしており、人の気配はない。
ただ、集落の奥に公民館があり、その建物の奥では、おばあちゃんたちの話し声がしていた。
そのおばあちゃんたちが、地元の人なのか、それとも観光客だったのかは、分からない。
公民館の中には、ささやかな「まれ」展があり、中には出演者のサインもあったりした。
↑ 向かって右側、間垣の向こうにある白い建物、それが公民館。
↑ 公民館の前には、こんなのぼりが。
↑ 海辺方面に戻る道の途中には、廃屋らしき家もあった(この写真には写っていないが)。
大沢はおそらくは「まれ」のロケでもなければ、ひっそりとした集落に違いなく、観光スポットになっていたかどうかも私には分からない。
でも、「まれ」のおかげで、多少なりとも、あのひっそりとした集落に活気が出たのだとしたら、集落にとっては嬉しいことであったろうし、ロケ中はちょっとしたお祭りみたいな気分だったのではないだろうか。
再び海辺に戻り、少し海岸線を歩いていくと・・・。
なんと「民宿おけさく」と書かれた看板を発見。
表札まであった。
まんま「まれ」やん(笑)。
その看板があった屋敷の門を入ってみると、入り口の扉にも「おけさく」と書かれていた。
だが、どうみても民宿として実際に営業されてる雰囲気はなく、きっとドラマ用、そしてその延長線上で観光用に「民宿おけさく」と書かれたのではないだろうか・・と思った。
↑ なんでも、ここは実際には宿ではなく、普通の民家であり、建物の中には入れない。ただ、観光で訪れる人のため、家屋のこの扉の前までは見学が許されていたようだった。
↑ 能登では、まれ一家は、ここで暮らしていたという設定。
その後、いったんバス停に戻ってみた。バス停の向かいには待合室みたいな小さな小屋(?)があり、そこにも「まれ」関連のチラシが。
ほんと、この時期、この集落は「まれ」に集中していた感じ。まあ、「まれ」のおかげで来る観光客は多かったはずだから、それもむべなるかな。
「まれ」で、集落おこしにもなったのではないか。
待合室を手持無沙汰に出て、再び集落の中を歩くと、2階建ての建物の、2階部分の壁に、うすぼんやりとイラストが描かれていた。
ただ、ところどころ絵の具が禿げている個所があるので、地元の人が絵を修復していた。
地元人らしき人の気配を感じた瞬間だった。
公民館にいたおばあちゃんたちが、この集落の人たちだったとしたら、この集落で住人の気配を感じたのは、公民館と、このイラストのある建物だけ・・・だった。
↑ 御覧の通り、イラストの絵の具がところどころ禿げている。海風や、湿気のせいか。
あとは、道を歩いていても、家家の様子も、人の気配を感じなかった。
住人たちは何をしているんだろう。
台風が来るということで、家に閉じこもって休んでいたのだろうか。
集落で見かけた「お店」。だが、この日は営業している気配がなかった。小さな集落の住人にとっては、貴重な「お店」であろう。
↑ こんな神社も。
当初「補欠」みたいな感じで考えてた、ここ大沢の集落だったが、行ってみたら、なんのなんの。かなり「余韻」のように私の中に残る場所となった。
来てみてよかった。
「まれ」はもう終わってしまった。だんだんこの集落も、元の静かな集落に戻っていくのであろう。
ちなみに、「まれ」に出てきた、元治さんの塩田、禄剛崎の灯台、輪島、そして大沢は、それぞれ決して隣り合ってるわけではなく、特に大沢から禄剛崎まではけっこう距離がある。ドラマを見てると、それぞれの場所は近い位置にあったような気分になったが、実際には決してそうでもない。
「まれ」は、奥能登を広範囲に渡って、ロケ地として使っていた・・ということになる。
そういう意味では、「まれ」は奥能登には貢献したことであろう。
現地の人と「まれ」について話した時(こちらが「まれ」の話を持ち出さなくても、現地の人の方で「まれ」の話題をこちらに振ってきていた)、現地の人は「まれ」の視聴率のことを気にかけていた。
現地の人は、国民的ドラマとまで言われるほどブレイクした「ゲゲゲの女房」「あまちゃん」「マッサン」に勝るとも劣らないくらい「まれ」にもスーパーブレイクしてほしかったはず。だから、思ったほどには視聴率が伸びなかったと言われていた現状に、寂しい気持ちや残念な気持ちを持っていたようだった。
私自身、現地の人に聞かれた。「あんなに役者さんたちが素晴らしいのに、なんで思ったほどには視聴率は伸びなかったんでしょう?」と。
東京人の意見を知りたかったのかもしれない。
それについて専門的な答えを返せる立場にはない私としては、そういう質問には答えられなかったし、地元人のピュアな思いに、うかつな言葉ははけないとも思った。
ただ、「まれ」のおかげで、奥能登の風景はより多くの人に紹介され、能登という地域や地名が「まれ」以前よりも確実に世の中にクローズアップされたことは、まぎれもない事実ではあると、私は思う。
それにしても、大沢という集落に住んでる方は、何かまとまった買い物をする時は、海沿いの断崖絶壁ぞいに続くクネクネ道を車で輪島に出なくてはいけないはず。そういう意味では大変だろうな・・。
もし「まれ」のお店がここ大沢にあるのだとしたら、集客は容易ではないのではないか。また、「まれ」に出てきたような男女の若者たちは、ここにはどれぐらいいるのだろうか。実際には、ここはかなり高齢化が進んでいるらしいし・・。
そんなとりとめのないことを考えていたら、そうこうしているうちに、輪島に戻るバスがやってくる時間帯。
私は再びバス停に戻り、ほぼ時間通りにやってきた輪島行きのバスに乗った。
で、輪島に・・・戻った。
輪島に戻ると、雨があがっているどころか、青空が見えてきていた。
しかも、その晴れまはどんどん広がっている感じ。太陽が顔を出し、なにやら暑くなってきていた。
↑ 晴れてきた輪島の街。高層ビルが見当たらないせいか、空が広い。
朝市通りまで歩いて散策し、営業している店で昼飯をとり、再び駅(跡)に戻り、駅近くの公園を少し散策すれば、やっと空港に向かうバスが来る時間。
空港に着く頃には、「能登さとやま空港」の空は、ほぼ快晴に近い天気。
前日や、この日の朝方の私は、この日の欠航の可能性も考えていたが、昼には少なくても「のと里山空港」を飛び立つには何の問題もない天気になっていた。
↑ この時、太平洋側では台風の大雨被害が深刻だったようだし、同じ石川県でも小松空港は全便欠航になったにもかかわらず、ここ里山空港では、御覧の通りの快晴になっていた。
↑ 空港の建物の外側にあった「の」の文字のモニュメント(?)。
だが、問題は、私の乗る飛行機、離陸はいいとしても、着陸する場所が問題。
着陸するのは東京の羽田なのだ。
奥能登の天気がよくても、羽田の天気が悪かったら、やはり欠航は・・ありえる。
そんな心配はあった。
観光タクシーのドライバーが言っていた言葉を私は思い出した。
能登半島には台風はここ数年来ていない・・・と。
立山連峰にさえぎられ、奥能登半島に向かってくる台風はたいがい立山連峰に遮られて進路を変えるらしい。
どうやら今回の台風も、そうだったようだ。
奥能登半島方面に向かってきていたはずの台風は、能登半島の根元あたりで急に左に曲がった。
そのおかげで、同じ石川県でも、小松空港は全便欠航になったらしかったが、奥能登の「能登さとやま空港」は欠航なし。それどころか、実によい天気。
そういう意味では、立山連峰は、能登半島を台風などから守っている存在ではある。
おかげで、私もその恩恵を受けた・・ということになる。
そういう意味では、立山連峰には感謝だった。
もし私が、小松空港から羽田に帰るルートを選んでいたら、この日は羽田には帰れなかったことになる。奥能登にある「能登さとやま空港」を選んだのは、今回の旅先を奥能登に絞ったから。
そういう意味じゃ、今回の旅先を奥能登に絞ったのは、私にとっては大正解だったことになる。
きっと、奥能登の神様が私を救ってくれたのであろう。
そう思うことにして、私は「のと里山空港」で、テイクオフを待つことにした。
空港では「まれ」関連の展示があったので、それを見ながら時間をつぶして。
↑ 「まれ」のセットを再現したコーナー。
↑ これは番組のロゴを再現したもの。
その後、定刻より30分遅れで離陸する飛行機に無事に乗り込み、奥能登を後にした。
飛行機は羽田付近で旋回を繰り返した。さすがに羽田は、台風の影響を受けていたみたいで、すぐには着陸できなかった。
だが、やがて、なんとか無事に羽田空港に着陸。
こういうわけで、台風の影響をまだ生々しく引きずっていた東京に、私はなんとか無事に帰ってくることができた。
ありがとう、奥能登。そして、能登半島を台風から守ってくれた立山連峰。
奥能登は、見どころが細かく点在する、良い場所だった。
基本的に、海沿いの道を走っていけば、その途中で様々なスポットにめぐり合える。
それは、何より能登半島そのものの自然景観がいいからであろう。
能登半島の立地のせいもあるのかもしれない。
今回の旅行記には書いていない場所で、他にも巡った場所はある。資料館、七輪関連のスポット、ほか。
また、今回の旅では行きそびれた場所もある。
なので、これで奥能登を制覇したとは、とても言えない。
でも、これはこれで満足度は高い。
特に能登半島の奥の突端である禄剛崎に辿り着くことができた時の感慨や達成感、それと、能登半島のもう一つの突端にある宿で入った露天風呂は、忘れられない。
あと、浜辺のすぐ近くにそびえる見附島・・・もうひとつの「軍艦島」も。
私にとって、能登半島の奥の奥の突端は、荒波がうちつけたり、目の前を流れてゆく場所だった。
今もきっと奥能登では、海鳥が荒波の海の上を飛んでいることであろう。その鳴き声を、あたりに響かせながら。
私の奥能登紀行 「奥の能登道」 おわり
読んで下さり、ありがとうございました。
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