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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームス   by   ジャンゴ・ラインハルト

2024年10月13日 | 音楽全般

私が最もリスペクトし、大好きなギタリスト、それがジャンゴ・ラインハルト。


1950年代に亡くなってるギタリストだが、私の中で歴代NO.1であり続けている。


それは今後もかわらないと思う。


ジャズギターでは開祖とも言われてるギタリストで、レジェンド中のレジェンド。


その後の時代の名だたる名ギタリストやミュージシャンたちから変わらぬリスペクトを浴び続けている。


ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ジョージ・ハリスン、ボブ・ディランをはじめ、名前を上げ始めたらきりがないくらい、レジェンドミュージシャンの名前が次々とあがる。


 


私が初めてジャンゴの名前を知ったのは、10代の頃に読んでたギター雑誌でだった。


その中のある号で、プロのギタリストが崇拝するギタリストの特集があった。


ジャンゴはなんといっても、火傷で左手の小指と薬指が使えなくなり、事実上左手の指は人差し指と中指の2本しか使えないのに、信じられないくらいの運指とスピードで、きわめてメロディアスなフレーズを奏で、死後何十年たっても後続のミュージシャンに愛されリスペクトされ、影響を与え続けている事実が凄い。


ジャンゴの生み出したジプシージャズというスタイルは、今でも受け継がれ続けて、廃れることはない。


テレビを見てると、何かのバラエティ番組やCMで、今でもジャンゴスタイルの曲はBGMとして流されることがある。


どうだろう、この日記にリンクしてあるジャンゴの音楽を聴いて、「あ、こういうスタイルの曲、テレビなどでBGMで何度か聴いたことがある」と思う人もいるのでは?


そう、そのスタイルの音楽こそ、ジャンゴが生み出したものなのだ。大元はジャンゴなのだ。


今でも愛され続けているということなのだ。


 


ともあれ、そのギター雑誌でのジャンゴの紹介文を読み、試しにレコードを買って聴いてみたら、一発で心を鷲掴みされてしまった。


1950年代に亡くなってる人物だし、残されてる音源の音質は古く、ノイズは目立つ。でもそんなデメリットを吹き飛ばしてしまう、魅力的なギターワーク。ともかくジャンゴが生み出すメロディが実にメロディアス。


しかもそのフレーズは気品と哀感に溢れていた。


それ以来、私の中でジャンゴは永遠のNo.1ギタリストであり続けている。


 


今回取り上げるジャンゴの演奏曲は、ジャンゴのオリジナル曲ではない。


1924年に作られた曲で、作詞はガス・カーン、作曲はアイシャム・ジョーンズによるスタンダードナンバー。


日本では「夢で逢えたら」「夢で逢いましょう」などと邦題がつけられてることがある。


だが日本では「夢で逢えたら」というタイトルだと大瀧詠一作詞作曲で吉田美奈子や鈴木雅之がカバーした曲と間違われそうだし、「夢で逢いましょう」というタイトルだと、古いTVバラエティ番組のタイトルや主題歌と同じになってしまい、これまた勘違いされる可能性がある。


なので、日本では原題「アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリーム」と呼んだほうが混同しないかもしれない。


 


聴いていただけるとわかってもらえると思うが、ジャンゴのギターは本当に良く歌うギターだと思う。


まさにギターを歌わせている。

歌心がある・・そうとしか言えないギタリスト。

凄腕でありながらも、実にメロディアス。軽快なスピード感には、聴いてて高揚感を覚えさせられる。


奔放で唐突な部分はスリリングだし、ダイナミックな部分とおとなしい部分の対比も見事。


世界中のギタリストから憧れ続け、愛され続けているのはダテではないのだ。


 


ホント、いつ聴いても、やはりジャンゴはいいなあ! ギターも、この音楽性も、演奏スタイルも。


聴いてて幸せな気分にさせられる。


大好きとしか言えない。音楽的趣味という意味で、まさに私のベーシックのひとつ。


 


 


 


 



 


 



こうしてジャンゴの演奏を聴いてると、たまに思うことがある。それは、もしもジャンゴが左手の小指と薬指が不自由じゃなかったら、一体どんな演奏をしたのだろう・・ということ。
小指と薬指が使えない状態で、これほどの演奏をするのだから。

そして、火傷をする前の彼の演奏って、どんな演奏だったのだろう・・とも。

おそらく、左手の薬指と小指が不自由になってしまった時は、ギタリストとしては一瞬絶望的な気持ちになったことだろう。
でも、彼はそのハンディを克服し、かえって独自の演奏スタイルを確立した。
相当な努力もあったことだろうことは容易に想像できる。


またギタリストとして、指が不自由になってしまった後世の音楽家には、大いなる希望と勇気を与えたことは確かだ。
現にロックのギタリストの中でも指が不自由になってしまったギタリストはいたからだ。
そしてその人はジャンゴの演奏を聴いて感動し、努力をして有名なギタリストになった。ブラックサバスというロックバンドのトニー・アイオミがそうだ。
ジャンゴという偉大な先人がいなかったら、トニーはギタリストになる夢を諦めてしまったかもしれない。
そうなると、ハードロックのレジェンドバンドであるブラックサバスも、なかったのかもしれない。


なんにせよジャンゴがその後の音楽やギタリスト達に与えた影響は極めて多大であることは変わらない。

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