前回の続きです。
出入口が1つしかなかったと信じていた手術壕ですが、
2021年現在は2つであることが明らかになりました。
なぜそのようなことになったかという答えを、
自分なりに調べてみた結果、
そのヒントになるような新聞記事を見つけましたので、
以下に引用させていただきます。
八重瀬岳手術壕、ヌヌマチガマ 白梅植え戦禍継承
【八重瀬】八重瀬町風景ネットワーク(山内平三郎会長)は1月31日、沖縄戦で第24師団第一野戦病院壕として使用された八重瀬岳の手術壕、野戦病院分院として使用されたヌヌマチガマに、両壕へ動員された白梅学徒隊のシンボルである白梅の木を植樹した。戦後70年が経過した今、沖縄戦の記憶を風化させず、後世に伝えることが目的。
2015年度かいぎん環境貢献基金を活用し、リンショウバイを手術壕前とヌヌマチガマ駐車場に15本ずつ植樹した。同ネットワークは15年11月には、テッポウユリ千株近くを手術壕前に植え付けた。12月に手術壕入り口を覆っていた木々を切り払い、平和学習で壕を見学しやすいよう整備した。
植樹には、実際に手術壕に動員された元白梅学徒隊の武村豊さん(87)ら県立第二高等女学校の同窓生も立ち会った。16歳で沖縄戦に動員された武村さんは当時の手術壕の様子を振り返り、「壕の中は負傷兵の『早く手術してくれ』という声や血やうみの臭いであふれ、シラミやうじもいっぱいいた。地獄のようだった」と顔をしかめた。「あのむごい戦争を決して再び繰り返してはいけないと、(記憶を)次世代に残したい」と切々と語った。
白梅の植樹に、武村さんは「桜まつりなどで八重瀬岳を訪れる人に、白梅を目印に壕にも関心を持って見てもらえれば、ここで亡くなった人も喜んでくれるだろう」と感謝を述べた。
山内会長は「八重瀬町は戦争遺跡が多く残っている地域。(多くの人が)平和学習の現場として訪れてくれれば」と期待した。
琉球新報 2016年2月7日 12:42
「12月に手術壕入り口を覆っていた木々を切り払い、
平和学習で壕を見学しやすいよう整備した」
2015年に覆っていた樹木類を伐採したということですね。
分かりやすく画像で示すと以下になると思います。
つまり、元々は断崖に囲われていたというわけではなく、
樹木類に覆われていただけで、
行こうと思えば行ける場所だったのですね…
1990年代に訪れた時、
自分は前述のように四方を崖に囲われた、
本当に外界から寸断された広場だと思っていました。
例えばひめゆりの塔で有名な第三外科壕跡のように、
垂直に開けた壕だと思っていました。
隣接するひめゆり資料館に設置されている、
第三外科壕のジオラマをご覧になった方なら、
多分、お分かりになるかもしれませんが、
あのように見上げることしかできないような、
そんな鬱蒼とした薄暗い広場だと、
自分は勝手に信じておりましたから、
伐採した事実を初めて知った時は、
ちょっとショックでしたね…
いや、別に元へ戻してほしいとか、
そういったことを言うつもりは毛頭ございません。
戦跡を整備すること自体には賛成の立場でございます。
現に南風原の陸軍病院跡や糸数のアブチラガマのように、
整備されていく様子を訥々と眺めると、
それはそれでよい傾向だと思います。
ただ、自分がこの目で見てきたもの、
経験してきたもの、
その時感じてきたものが、
少しずつ無くなっていくことには、
時代が流れていくとはいえ、
やっぱり何というか…
少々寂しいものがあるというのも事実なんですよね…
もう少し画像に残しておけばよかったなぁ…
最後に八重瀬公園からの遠景を添付します。