元記者が捏造したかどうかはどうでもいいです。
ていうか、いつの間にか控訴審に進んでいたのですね。
1980年代後半からダラダラ続く「従軍慰安婦問題」。
なぜ、決着がつかないのでしょうか?
ま、原因はいろいろあると思いますが、
自分が思うその原因の一つとして、
「目的と手段の逆転」があるのではないか…
ということであります。
目的というのは「日本軍や日本の戦争責任」で、
手段というのが「従軍慰安婦問題」ということになります。
もっとわかりやすくいえば、
「日本や日本軍が悪いことをした」という目的を達成させるために、
「悪いことをした」内容を暴こうとします。
その内容を暴くことが手段ということになりますね。
「戦争責任を追及」することが目的なのですから、
当然、日本や日本軍は「追及される行為」をしていなければなりません。
この場合、日本や日本軍による「強制連行」ということになりますが、
「戦争責任を追及」することが目的な人たちからすれば、
実は困った現象が起きてしまっているのです。
要は「強制連行」という事実がなくて困っているのです。
なぜ困るかというと再三指摘している通り、
最終目的が「戦争責任を追及」することなのですから、
その目的を達成することができないのです。
別の言い方をすれば、
日本や日本軍は「悪いことをしていなければならない」のに、
困ったことに「悪いこと」をしていないのです。
そういうことでありますから、
「強制連行」の事実がないというような、
彼らにとって危機的な現状を打破するために、
「強制」という意味の範囲を自分勝手に広げてまでして、
「日本や日本軍は悪いことした」といった、
イメージだけを押し付けてくるのです。
事実云々というのはもう関係がありません。
「悪いことをした」という目的に合えばそれだけでいいのですから…
そこには歴史学といった学術的な要素は全くありません。
たとえ学者や大学教授が絡んでいようともね…
あるのは目的達成のために手段を無理やり合わせようというような、
是が非でも戦争責任を追及しようとする、
非常に厄介で頑なな態度しかありません。
ただし、ここで勘違いしてもらいたくないことがひとつございます。
それは「戦争責任の是非」や「従軍慰安婦問題の是非」ではなく、
「ない」のに「あった」と強弁する行為そのもの、
あるいはその逆への批判であるということです。
それだけはわかってくださいね…