カミさんが、日展に入選したためこの数週間は自動的に振り回されて、結構多忙な日々が続いたが、先週木曜はいよいよ入賞者への授与式が東京で行われた、一緒に行ってくれとも言われたが子供じゃあるまいし、おまけにアッシーとして使われるだけなのでやめておいた。
それに私は翌日の金曜には同じ東京でセミナーの講師を務めなければならなかったし、パワポ仕上げをしなければだったのだ。
カミさんは、授与式から謝恩会を経て東京宿泊、翌日は新東京美術館でなにやら行われたようだが、当方はといえば金曜の朝に松本を出て午後の90分講義を行い美術館近くの六本木ヒルズでカミさんと待ち合わせ、授与式の華やかな話を聞き気持ちの高揚も手伝ったのか一杯1000円もする紅茶をすすり、これまた滅多に食べることの無いだろうケーキを食べた、勿論支払いは俺じゃないが5000円札で釣りが殆んど無かった。
有楽町のデパートがオープンだから行きたいと言うので、仕方なくゴロゴロとバックを引きながら地下鉄で移動した。
六本木から有楽町はいったいどうやっていったら良いのかわからず、駅員に聞いたら親切に教えてくれたが、案外近いのだなぁと思った。
有楽町のデパートは長蛇の列、東京はいかにヒトが多いことか、田舎者は人の多さに酔ってしまう、結局デパート見物はやめブラブラすることとした、荷物はゴロゴロのついたスーツケースに自分のバッグを乗せて歩いたので、まぁ楽ではあったが、それでも結構重かった。
帰りの電車は7時と決め東京駅で指定席をとり、近くのすし屋にでもと東京駅の名店街とでもいうのだろうかあちこちと歩いた、駅は模様替えの工事中で場所が良く分からず、金曜の夕方ということも手伝い凄い人の数、もうどこでもいいからと小さなすし屋に入り夕飯とした。
日本酒で「ら」とかいうのを熱燗でやったが、鮨によく合うさけであった。
壁に鮨は魚にうまいと書くと、書いてあった。 初めて知ったきがした。
それに私は翌日の金曜には同じ東京でセミナーの講師を務めなければならなかったし、パワポ仕上げをしなければだったのだ。
カミさんは、授与式から謝恩会を経て東京宿泊、翌日は新東京美術館でなにやら行われたようだが、当方はといえば金曜の朝に松本を出て午後の90分講義を行い美術館近くの六本木ヒルズでカミさんと待ち合わせ、授与式の華やかな話を聞き気持ちの高揚も手伝ったのか一杯1000円もする紅茶をすすり、これまた滅多に食べることの無いだろうケーキを食べた、勿論支払いは俺じゃないが5000円札で釣りが殆んど無かった。
有楽町のデパートがオープンだから行きたいと言うので、仕方なくゴロゴロとバックを引きながら地下鉄で移動した。
六本木から有楽町はいったいどうやっていったら良いのかわからず、駅員に聞いたら親切に教えてくれたが、案外近いのだなぁと思った。
有楽町のデパートは長蛇の列、東京はいかにヒトが多いことか、田舎者は人の多さに酔ってしまう、結局デパート見物はやめブラブラすることとした、荷物はゴロゴロのついたスーツケースに自分のバッグを乗せて歩いたので、まぁ楽ではあったが、それでも結構重かった。
帰りの電車は7時と決め東京駅で指定席をとり、近くのすし屋にでもと東京駅の名店街とでもいうのだろうかあちこちと歩いた、駅は模様替えの工事中で場所が良く分からず、金曜の夕方ということも手伝い凄い人の数、もうどこでもいいからと小さなすし屋に入り夕飯とした。
日本酒で「ら」とかいうのを熱燗でやったが、鮨によく合うさけであった。
壁に鮨は魚にうまいと書くと、書いてあった。 初めて知ったきがした。