新聞・テレビを始めとしたマスコミ各社は、商売(ビジネス)として新聞を販売し、テレビ番組を作成している以上、必ず想定する主要顧客層があり、そこにターゲティングをして紙面編成・番組編成をしている。
このため、主要顧客層から外れているヒトからみると、バイアスがかかった報道をしているように見えるということは、致し方ないことであると思うし、先日のブログでも指摘したところである。
しかしながら、大手マスコミの中で、産経新聞は、この仕方のない範疇から大きく外れた、立場が違うからという理由ではない程度の低さが目立つ新聞であるので、ここで紹介しておきたい。
まず、産経新聞のターゲティング層であるが、想定されるのは【自分は保守的である】と思っており、かつ、【教養がない】層であろう。後者の「教養」については、種々定義があるだろうが、ここでは「自分の考えと違う考えも、成り立ちうると理解しうる知的能力全般」と定義しておく。
産経新聞の紙面及びネット配信の記事を見ればわかるが、産経新聞の報道スタイルの多くは、民主党、中国、韓国を否定し、揶揄するというものである。一例ではあるが、以下にリンクを貼る。但し、MSN産経ニュースは一定期間経過すると、リンクが切れるので、了承してもらいたい
民主党
中国
韓国
これはあくまでも一例である。しかし、産経新聞の場合、このように民主党、中国、韓国に関する報道は、否定的価値観を基準に、批判・揶揄する記事が大半だといってもよい。これは、産経新聞以外の新聞との併読をすれば、はっきりわかる。
このように書くと、「産経新聞は事実を伝えている」と反論する産経新聞社関係者及び熱心な読者もいよう。
しかし、本当に事実なのであろうか。 例えば、上記リンクのうち、民主党が反省会を開くのは事実であるが、菅氏が民主党政権の失敗云々は単なる記者の主観である。そもそも、民主党政権や菅政権が失敗したか成功したか、現段階で判断しようもあるまい。
四川地震の記事に至っては、記者にとり都合のよいネット上の書き込みを引用し、中国でも韓国的なものは嫌われているといった記事にしているが、凡そ日本でも極一部の程度の低い人間が行っている嫌韓なるものが、中国においてどの程度広がりがあるのかということは捨象し、あたかも嫌韓が中国の土壌としてあるという記事である。そこにはまともな検証もなく、よく言ってエッセイであり、端的にいって賢い中学生の感想文レベルの書き物である。
このように、産経新聞の紙面作りの特徴は、特定の対象を否定・揶揄するというものである。私としては、このような新聞で社会を知る気にはならないので、当該新聞は購読しない。また、産経新聞社はこのような記事に対して喜んでお金を出して購読している層に対して「新聞」という商品を売り物にしているのであるから、商売としての「新聞」を肯定する私にしてみれば、産経新聞を特に否定しようとも思わない。
私がここで明らかにしたいのは、産経新聞に書いている事項を「正論」として擁護している方々の内面であり、そのような人々を主要な商売相手にしている産経新聞の性質、さらにいうと質の悪さ・低さである。
産経新聞の場合、特定の対象とは、現在のところ民主党、中国、韓国である。これらがどうやら「保守」「日本」の敵となってるようである。
私個人として、民主党は旧経世会的価値観が強い、戦後の保守・革新の枠組みで言えば保守政党であり、外交は幣原喜重郎を持ち出すまでもなく、ゼロサムゲームではなく、ウィン・ウィンの関係を目指しうると考えるので、このような「敵」設定は理解に苦しむところである。
一方、産経新聞を「正論」と持ち上げている方々は、これらを敵と設定し、これらを否定・揶揄することで満足を得ている。さらに言うと、自分は保守であると満足しているわけである。
私に言わせれば、このような発想は、歴史的に見れば【革命勢力】の発想であり、保守とは全く相容れないものであろう。産経新聞を「正論」として持ち上げている方々は目をむいて反発するかも知れないが、産経新聞を「正論」と持ち上げている方々と、革命の熱気に煽られている方々のメンタリティーは同じだという結論に達する。
そんなバカな、というヒトに問いたい。では、文化大革命時の紅衛兵と、産経新聞を正論と持ち上げ、民主党・中国・韓国が否定・揶揄して納得している方々のとの違いは何かと。所謂実権派を「右派」「米帝の手先」と否定・揶揄し、外国を人民中国の敵として否定するその発想方法と、文革時の紅衛兵とは何が違うのかと。使用する用語が違うだけで、思考形態は全く同じである。
つまり、自分と異なる考え、価値観の存在があり、それがこの世の中に成立するということが理解できない、つまり、教養がないということで同じ穴の狢であろう。
そして、産経新聞は文革時で言えば、排除の論理で人々を扇動していた壁新聞程度の媒体に過ぎないというのが私の結論である。
私が壁新聞と言うのは、もう一つ理由がある。文革時に壁新聞を作成していた人物達、本当に書いている内容を信じていたかというと、疑わしい。彼らは単なる文革派の走狗であり、思想を信じていたというより、権力に興味があった、よく言っても権力に【も】興味があったということであろう。
産経新聞の方々、ご多分に漏れずという傍証があり、これも提示したいのだが、今回はここまでにし、次回、この傍証を紹介したいと思う。