呼ばれるとか、すべての出来事には意味があるとかいうけど、どんなに単調と思える日々でも集中してると気づきはあるもの。先週は片付けがキーワードだった。
先週暑い時間帯にせっせとゴミを捨てている女性に声をかけた。夫が亡くなって10年。自分も段々思うように体が思うように動かなくなるのを感じていた70代後半の女性。毎日毎日片づけ(使わない物を捨てている)に明け暮れているという。私の毎日の営業生活でこういう人は比較的少ない。聞けば孫娘を預かっていて二人暮らしだという。それもあるんだろうなぁ。
また別の日。訪ねて行った家の玄関前にはたくさんの物が山積みされていて、通る場所もない。薄暗い中電気もついていない。住んでないのかなぁと思ったが洗濯物は干してある。何度かピンポンしたら、ややあって男性が顏を出した。この家は実家で普段は別の場所に暮らしていたという。母一人、子一人だったが母が亡くなり、自力で遺品整理をしようとしていると見た。しかし手に負えず疲れきっている様子だった。高いけど業者に頼むしかないと語る。男性は1,2年前に定年目前で母の面倒を見るため退職したそうだ。そこまでの状態だったわけですね。にも拘わらず、死んでもいないうちに死後の準備をするのは違うと思っていたそうで、何から何まで何の準備もしておらず、今はもうパニックに近い様子。
こういう事に正解はないと思うので、最期の瞬間まで大切な思い出の詰まったものを少しでも残しておきたい、とか残しておいてあげたいと自分が思うならそれは正解である。
そこまで思ってないけど気が付いたら体が動かず、持病もあって片付けする気力も体力もないってパターンがよくあるけど、それも別に過ちでもないだろう、自分の健康寿命が何歳までか誰もわかんないもんね。
うちの実家も父がもう絶対読まないであろう本をたくさんとっておいているが捨てろとは言えないなぁ。
自分自身も託す相手もいない一人暮らしということで、無駄なものは普段からためこまないようにしようと改めて思い、今日は片付けに着手してみた。
が、今日のところはあまりはかどらなかった。使わないと決めるのは難しい。ミニマリストにはなれないなぁ、だが少しでも片付くとやはり気分的にも見た目的にもスッキリ。大げさに先々を考えるということでは気が滅入る。暮らしを整える一環としてやるといいかもな。
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