今日、テレビのクイズ?のような番組を見ていたら、『村上』の下の名前が出てきません。そう、本来ならばいい意味でも悪い意味でもこの時期話題になる人で、文学というカテゴリをもうけてあるのにダメじゃないのという感じです。
『風の歌を聞け』10ページ、『ノルウェイの森』2ページ、『海辺のカフカ』5ページを読んだ程度、それもAmazonで1円本(記憶曖昧です)で捨ててもいいつもりで購入したものです。内容は、たしかこの人は勤め人の経験がないから、空想で社会のことを書くか、自分が経験した(と思える)学生時代のことしか書けないのではないでしょうか。つまり作品が立体的ではないのです。読んでいて頭のなかに出てくる情景が、二次元的なのです。
テレビでは、ピーターさん(オカマじゃない方)が、村上がノーベル賞の代替の市民賞を辞退したことに触れ、『この人、ノーベル賞ほしいんだよ』と看破していました。つまり、もし村上にオファーがきたら断らない。ということでしょう。
そんな読了したことのない作家を貶すのもなにですが、村上はいわば宗教のようなもの。どんな作品を書いても読む読まないは別にして、信者はお賽銭をあげます。だから、村上を貶すと信者が怒るのです。
そこへいくと、我が(勝手にそう思っていますが、ツイッターでフォローはされています)丸山健二先生は、自らの読者が貶されていると本気で怒りそうで、頼もしい存在です。最近は庭いじりなど、少し丸くなってきましたが、それでも札幌辺りで文学塾を開いたりして、後進の指導にも余念なく、マルケンこそ、来年のノーベル文学賞受賞に相応しい作家であることは間違いありません。そして、ノーベル財団からの電話を叩き切って断る姿に、古い言葉ですが『文士』の面影を垣間見ます。
半世紀にわたるマルケンファンですが、欲を言わせていただくと、もう少し平民にも解りやすい小説を書いていただくと助かります。プラス、御布施をもう少し安くしていただけると、平民の懐が痛みません。一度札幌の文学塾にも行きたいのですが、心臓手術以来体力的に難しく、東京で開催していただければ、雲上の幸せです。
来年のノーベル文学賞を日本文学の頂点を極めた丸山健二に!(でも辞退もありえるけど)←両方期待
『風の歌を聞け』10ページ、『ノルウェイの森』2ページ、『海辺のカフカ』5ページを読んだ程度、それもAmazonで1円本(記憶曖昧です)で捨ててもいいつもりで購入したものです。内容は、たしかこの人は勤め人の経験がないから、空想で社会のことを書くか、自分が経験した(と思える)学生時代のことしか書けないのではないでしょうか。つまり作品が立体的ではないのです。読んでいて頭のなかに出てくる情景が、二次元的なのです。
テレビでは、ピーターさん(オカマじゃない方)が、村上がノーベル賞の代替の市民賞を辞退したことに触れ、『この人、ノーベル賞ほしいんだよ』と看破していました。つまり、もし村上にオファーがきたら断らない。ということでしょう。
そんな読了したことのない作家を貶すのもなにですが、村上はいわば宗教のようなもの。どんな作品を書いても読む読まないは別にして、信者はお賽銭をあげます。だから、村上を貶すと信者が怒るのです。
そこへいくと、我が(勝手にそう思っていますが、ツイッターでフォローはされています)丸山健二先生は、自らの読者が貶されていると本気で怒りそうで、頼もしい存在です。最近は庭いじりなど、少し丸くなってきましたが、それでも札幌辺りで文学塾を開いたりして、後進の指導にも余念なく、マルケンこそ、来年のノーベル文学賞受賞に相応しい作家であることは間違いありません。そして、ノーベル財団からの電話を叩き切って断る姿に、古い言葉ですが『文士』の面影を垣間見ます。
半世紀にわたるマルケンファンですが、欲を言わせていただくと、もう少し平民にも解りやすい小説を書いていただくと助かります。プラス、御布施をもう少し安くしていただけると、平民の懐が痛みません。一度札幌の文学塾にも行きたいのですが、心臓手術以来体力的に難しく、東京で開催していただければ、雲上の幸せです。
来年のノーベル文学賞を日本文学の頂点を極めた丸山健二に!(でも辞退もありえるけど)←両方期待