エフィソの信徒への手紙 2章。
1さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
*日本に渡った聖霊の子孫、イスラエルの民は日本人に習って偶像崇拝をした。
そして神ヤハウェが唆した日本人に全く滅ぼされた。
罪過により全滅した聖霊の子孫は、聖霊により救われた。
洗礼者ヨハネ(神の賜物、恵み=聖霊)が聖霊の子孫達の罪を一身に背負い、死んで罪を消失させたからである。
なので、聖霊の子孫はこの救いを誇る事は出来ない。
普通罪過で死んだ者は、現代へ罪人として復活し、偽りを信仰しワクチン接種する運命を辿るが、
聖霊の子孫は罪を聖霊に帳消しにしてもらった。
10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、
12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
*聖書を知る前の現代へ復活した聖霊の子孫は肉によれば日本人であって、またその当時はキリストや神の存在を知らず、この現代社会で夢も希望も神もない者であった。
キリストが十字架の刑により、原罪とモーセの十戒の監視を消した。
二つのもの=聖霊の子孫である印と肉によれば日本人である者を一つの身体とする。二つの者を一人の新しい人に作り変える=永遠の命を持つ天使聖徒となる。
わたし達両方の者(肉体は日本人であるが、中身は聖霊の子孫、イスラエルの民である。)が聖霊と同じ国にあって、神の元に近づくことが出来る。
ちょっとこの文章難しいので、解釈間違っているかもしれないから、また見直す。
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