ドキドキ☆貧ちゃんライフ

気ままな生活でいつも貧ちゃんなドキドキがちんこライフを送っているシステムエンジニアのつぶやき

日本古典文学

2012年12月09日 | 日記
仕事でプログラムの試験をするときに日本語で文字列を入力してテストをするとことが多い。
氏名やメモなどの項目が正常に登録、更新、閲覧できるかなどをテストする。そのときに俺が入力する項目が
特徴的だとよく言われる。
プログラマ間では「あああああ」、「いいいいい」など2バイト文字を適当に入力することが多い。しかし俺は
全く違って古典文学とか和歌などのフレーズをよく入力する。理由は以下のとおりだ
・「あああああ」とか入力しても楽しくない。
・確実に誰が入力したかが分かる。
・テストであることが一目瞭然である。
確かに「香炉峰の雪はいかならむ」なんていう文字列を入力してテストするプログラマなんて日本全国でも俺
くらいなものだろう。

俺は予備校時代に日本の古典文学をいろいろ読むうちに古典文学が好きになった。特に王朝文学といわれる
平安時代の文学だ。しかし古典の文法は良く分からないところがある。言い換えると高校のときの古典の成績
はあまりよくなかったということだ。
1000年前の人間が今あるものと同じものを見てどう感じたかに思いを馳せることができるのだ。
源氏物語の雨夜の品定めのくだりに至っては1000年前も今も野郎3人集まれば話題なんて似たようなものだと
いうことが分かる。
今も昔も同じ国の人間が考えることなんて似たようなものだ。それを踏まえて枕草子の序文にある
「春はあけぼの…」のくだりを読むと「をかし」の概念が理解できると思う。

高校の授業では「をかし」は「趣がある」とか訳すが、それって訳になっていないし訳することに全く意味はない。
「をかし」の概念を理解することの方が重要だからだ。
同様に和歌を訳するのはナンセンスの極みだ。教師は俵万智がチャレンジした「チョコレート語訳」を見習って
欲しいものだ。「チョコレート語訳」とは和歌を31文字に現代語で言い換える(訳す)というものだ。
リンクにアクセスすれば分かるが
例えば伊勢物語の
月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

おなじ月おなじ春ではなくなっておなじ心の我だけがいる
になる。
チョコレート語訳の本質は当時の人間が相手に何をどうやって伝えたかを今の人に伝えることにある。
和歌の文法は分からなくても内容は分かるという非常に面白い試みだと思う。
文法を知っているにこしたことはないが、まず古典の魅力を教えるほうが先だろうということ。


ちなみに「チョコレート語訳」のリンク先を見れば与謝野晶子のみだれ髪の訳が多い。
与謝野晶子は明治の人で今からたった100年前の歌人だ。しかも、当時にしては前衛的で肝の据わった女性だ。
有名な短歌としては

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
「やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
があるが俺はみだれ髪の中では
「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」
が好きだ。京都にデートに行くことができれば彼女が何をどう感じたかが100%伝わってくるように思えるからだ。
与謝野晶子聖地巡礼。異性と2人で行かなければならないなんて超ハードル高いぜ!

京都でデートってすごいあこがれる。観て回るところに事欠くことはないし、おしゃれな店もたくさんある。
京阪、阪急、JRと大阪からのアクセスも非常に良いので、京都を観て回って大阪で夕食ってのもありだしね。

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