威張ったやつを見ると、どこか不快感が生じ、とっちめたくなる等という反応が起こり、健全な平等の理性が働く。人間の根源性を伺い知る側面が現れる。威張るだけの正当な根拠が希薄で空威張りを見せる精神性や感性の歪性への嫌悪感を産む。正当な理由が見られ妥当な態度であるか、被害者意識を強めて良好な主導性への足の引っ張りに熱を高める態度ではないか等という冷静な吟味を図る観点が現れ、基準と過不足の評価に及び、妥当な反応を作る等という感性が産まれる。
威張るという態度は、どこか力への依存性を高め自己の健全な制御性を欠いた自己自体の弱さを内包する性格となって、これへの情けなさやみっともなさを感じ取る自律性の基準が出現し自制的な反応が産み出される。こうした人間の根源的な感性が出現する。
自己自体を律する根源的な感じ方と制御性が起こり、誰彼に指図されるまでもなく有りたい自己の性格の認識が深く体内性に宿り、変わりづらい感性と態度を作る事に及ぶ。妙な勢いや煽りに過剰に振り回されぬ冷静さが出現し自律性の尺度が働き冷静な現象の吟味や分析を得て確かな答えを掴み、態度に表す習慣性と具象化される。精神性の脆弱さや情緒不安性が、妙な態度と外形化され、違和感や歪さと伝わる。
善悪美醜等という二項的な価値判断を示す事について、具象的な観点と抽象性の概念との飛躍性に及ばぬ、地についた具象点と間接性の因果と抽象性の連なりを持って落ち着きある精神性による自己の納得感が生まれ、自己自体への信用が起こり外界への主張へ及ばせる態度が形成される。確信性をできる限り得て自信を産み外界への堂々とした主張や表現、訴求性を作る法則性が形成される。
こんなような精緻な分析とあるべき主体性としての適正像を模索し、言葉や概念に集約させ、確かな人間性の認識と定着し、稼働させることにおいて良好な精神性を常態する事に、安心感を遂げる。哲学文化なる長期法則性を求める根源的な欲求が産み出される。
何か妙に群れて気がでかくなり、威張ったような態度に陥る事への恥の意識が現れ、健全性と正常性の意識を定常とする主体性が形成される。根源的な性質の定着した内外との関わりが作られる。力の形成や保有と活用の原理等として、具象的な形に展開される。主体性の根本的な性格を規定する「平等の理性、立憲主義、法による統治、表現の自由、三権分立と統合」等という概念と相関が起こり、「生態の根源性と根幹性」という芯が産み出される。これに産出性(部分と全体)という構図の抱き方に映る健全性という面を加え更に習慣性の観点を持ち、良好な主体性や人間性と領域性を作る形に集約される。
自己自体を律する主体性に自己の納得や自信を産み、落ち着きある精神性を定常とする感性と思考と行為と産出と習慣を産む。「根の屈折」等という表現はこうした自律性の乏しい物的依存性の激しい精神性や感性の歪みに対し適用される言葉となる。標準形の認識と過不足の評価とそれを示す言葉の適用という法則が現れる。男系や女系等という性別による特徴付けに対し、前段的な観点とあるべき主体性像が形成される。いつの時代やどこの空間にも変わりづらい根本的基軸性として相応しい性質の認識が産まれる。基礎土台性の上に、二次三次の創造性と性格が作られる。近代化・工業化・物質文明等という潮流が高まり、精神や感性の歪化する傾向に対面し負の拡大に陥らぬ健全な人間性の再考という創造が産まれる。
妙に外堀を埋める等という発想が高まると、負け犬気性の慢性化した状態という心象と認識を生む。堂々とした自律性と真摯な内外性の乖離した根の歪性と映る。人間性へのみすぼらしさへの嫌悪感と諦め感が起こり根の弱さへ対し見くだす反応が出現する。健全な性格が残っている状態とも解される。変な政治力の増す事の無き人間性と創造性を問い求める態度が出現する。
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