国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 238

2011-07-22 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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七 国労バッジ着用差別

 国鉄時代から一貫して、国労組合員は着用して勤務していた。
国鉄時代もJRになってからも、勤務時間中の組合バッジ着用について、利用客から苦情が出されたことは特になかった。
 ところが、JRは、就業規則に「社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。」、「社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で、組合活動を行ってはならない。」などの規定を設け、職場で、組合バッジを着用しているのが国労組合員だけであることを利用して、執拗にバッジ取り外しを求め、従わない組合員に対しては、厳重注意、訓告処分を発し、夏期手当や年末手当のカットを行っているのである。たとえば、JR東日本の大量処分(89年5月25日)、JR東海の大量処分(89年6月7日、7月14日)など、多くの組合員が、バッジ着用のみを理由に低く考課査定され、経済的不利益だけでなく、担務差別が行われたり、あるいは分会活動に支障が生じる配転が強行されるなど、国労の団結権を侵害する差別事件が多発している。
 東京地本新幹線支部事件は、東京保線所小田原支所、東京第一運転所、東京第二運転所などに所属する国労組合員75人に対して、国労バッジの取り外しを執拗に求め、バッジ着用を理由に、厳重注意を行い、87(昭和62)年夏期手当を5%減額した事例である。職制が国労組合員に対して、国労バッジの取り外しを執拗に求めた態様は、就業時間中に組合員を呼び出して「首覚悟でやっているのか」とか「子供も奥さんもいるのだから」とか、「バッヂを着けて仕事をしても仕事じゃない」とか「目ざわりだから業務に支障があるのだ」などと発言したり、あるいは、「こんなものをつけているからお前は運輸部へ配属されたのだ」との発言で、組合員にバッジ取り外しを迫るものであった。東京地労委1989年2月7日命令(交付は3月2〇日)は、厳重注意ならびに夏期手当の減額は、「組合員が国労にとどまることに不安を抱かせることによって国労の組織を弱体化せんとした支配介入行為である」とし、労組法第7条3号に該当する不当労働行為にあたるとした。これに対して、JR東海は行政訴訟に持ち込んだ。
 ほかにも、神奈川地労委1989年5月15日命令(918人が夏期手当カット)、埼玉地労委1993・4・23命令(5?6名夏期手当カット)、岡山地労委1993年9月17日命令(組合員11人に対して、国労バッジを着用するなど、勤務成績が特に良好でなく、昇給欠格条項に該当するとして昇給1号俸減じた昇給差別事件)、神奈川地労委平成6年7月29日命令(4194人が対象となる夏季手当カット)などがあり、いずれも不当労働行為にあたると判断されている。
 また、国労バッジ着用の組合員25人に対する夏期手当5パーセント減額について、不当労働行為に該当し、不法行為に基づく損害賠償義務を認め、減額分の支払いを認めた広島地裁1993年10月12日判決も出されている。
 国鉄鹿児島自動車営業所事件は、国労バッジの取り外し命令に従わなかった国労組合員であるYを本務から外し、10日間にわたって、営業所構内に降り積もった火山灰除去作業に従事させたことが業務命令権の濫用であり、不法行為にあたるとして、営業所所長と助役に対する慰謝料を請求した事例である。
 一審の鹿児島地裁1988年6月27日判決は、組合員バッジを着用しての勤務は、当時の国鉄のおかれた状況および労使関係の状態等からみて、職場規律を乱すおそれがあり、職務専念義務に違反するところがあるから、その取り外し命令には合理的理由があるとしながら、バッジの取り外し命令を拒否したYに対し、1〇日間にわたって、営業所構内に降り積もった火山灰除去作業に従事させたことは、本件業務命令がバッジ取り外し命令に従わなかったことに対して「懲罰的に」発せられたものであり、同人に「かなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせるというのは業務命令権行使の濫用であって、違法であり、不法行為を成立」させると判断し、慰謝料1〇万円を認めた。そして、二審の福岡高裁宮崎支部1989年9月18日判決もこれを維持した。
 ところが、最高裁第二小法廷1993年6月11日判決は、一転して、「本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、自動車部からの指示に従って、被上告人をその本来の業務から外すこととし、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置ということができ、これが殊更に被上告人に対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない」とした。

続く
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国鉄労働組合史 237

2011-07-21 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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五 出向差別

 国労高崎地本( 出向ビラ配布懲戒処分) 事件

 本件は、1987(昭和62)年8月に、強制的な差別出向に反対する国労組合員ら29人が、出向先の富士重工伊勢崎工場前で、出向の不当性をスピーカーで訴えたり、ビラを配布したため、
4人の組合員が出勤停止の懲戒処分を受けた。
 群馬地労委1989年3月23日命令は、本件国労組合員の「行動によって、富士重工に施設管理上及び業務遂行上格別の支障があったとは認められ」ず、「富士重工の企業イメージ、富士重工と会社との信頼関係に及ぼした影響も会社が主張するような重大なものであったとは認め難」いとして、申立人らに対して、組合活動を理由に不利益に取り扱い組合の弱体化を図ったもので、労組法第7条1号、3号に該等する不当労働行為であると認定した。
 しかし、JR東日本は、行政訴訟に持ち込み、一審の前橋地裁1991年3月27日判決は地労委命令を維持したものの、二審の東京高裁1993年2月10日判決は、不当にも、会社側の出向政策を重く見て、団体交渉の経過、地労委の勧告の意義を軽視し、逆転の判断を下した。また、その後、東京高裁1993年3月17日決定で、緊急命令も取り消されたのであった。

六 組合脱退強要事件

 JR発足後も、、国労組織への打撃をねらって、組合員の脱退工作を行った事例が頻発した。職場で上司(駅長、助役など)としての地位を利用して、配転・出向等の不利益取り扱いをちらつかせたり、勤務中に職制が多数で国労からの脱退を強要したり、あるいは家庭に出掛けたり、呼び出して説得するなど、さまざまな方法を用いて、国労からの脱退を工作したことが不当労働行為にあたると認定されている。

続く
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国鉄労働組合史 236

2011-07-20 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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五 出向差別

 JR各社は、87年6月以降、就業規則の「業務上の必要性がある場合は出向を命ずる」との規定を根拠に、関連企業への出向を命じた。出向の理由として強調されたのは、「民間企業にふさわしい人材の育成」ということであったが、実際には、国労の分会活動家を狙い撃ちにしたしたり、あるいは国労組合員に出向者が集中するなど、差別的な出向が多数行われたことに対し救済命令が出された。

 千葉レールセンター事件

 本件は、一連の出向事件の中で、出向命令が不当労働行為にあたるとされた第1号事件である。
 JR東日本が、千葉レールセンター分会の副分会長である荻野正人氏に対して、1987(昭和62)年6月20日付けをもって行った総務部人事課施設係への配置転換命令、および坪井工業株式会社への出向命令が出された。彼は、長期間にわたって、同分会の副分会長を務めてきた積極的な活動家で、当時の分会長、書記長が配置転換をされた後、分会の活動と運営を、中心的に支えていたのであった。しかし、出向後は、組合活動が著しく困難となり、そのために、分会の組合活動はほぼ停止するなど、同分会は、組織として大きな支障を生じた。
 千葉地労委88年7月18日命令は、副分会長自身の組合活動上の不利益と同時に、分会としても組合活動上の大きな不利益を受けるに至ったことを認め、労組法第7条1号、3号に該当する不当労働行為にあたるとした。
 出向についても本件のほか多数の申し立てがなされ、救済命令が発せられた。
 国労高崎地本( 出向ビラ配布懲戒処分) 事件本件は、1987(昭和62)年8月に、強制的な差別出向に反対する国労組合員ら29人が、出向先の富士重工伊勢崎工場前で、出向の不当性をスピーカーで訴えたり、ビラを配布したため、4人の組合員が出勤停止の懲戒処分を受けた。
 群馬地労委1989年3月23日命令は、本件国労組合員の「行動によって、富士重工に施設管理上及び業務遂行上格別の支障があったとは認められ」ず、「富士重工の企業イメージ、富士重工と会社との信頼関係に及ぼした影響も会社が主張するような重大なものであったとは認め難」いとして、申立人らに対して、組合活動を理由に不利益に取り扱い組合の弱体化を図ったもので、労組法第7条1号、3号に該等する不当労働行為であると認定した。
 しかし、JR東日本は、行政訴訟に持ち込み、一審の前橋地裁1991年3月27日判決は地労委命令を維持したものの、二審の東京高裁1993年2月10日判決は、不当にも、会社側の出向政策を重く見て、団体交渉の経過、地労委の勧告の意義を軽視し、逆転の判断を下した。また、その後、東京高裁1993年3月17日決定で、緊急命令も取り消されたのであった。

続く
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国鉄労働組合史 235

2011-07-19 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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四 配転差別事件

 国労組織の拠点職場から、分会役員や活動家を、「兼務発令」による「本務外し」を強行したり、配置転換することによって、分会機能を麻痺させ、国労の組織の壊滅を図ることを図った不当労働行為事件である。
 上野保線区事件
 上野保線区分会は、現場協議が行われなくなった1982年7月以降、分会が職場における安全問題や労働条件等の問題について労働基準監督署へ申告するなどの活動を続けていた。また、84年11月以降、区当局は、点呼方法を改めたことなどから、しばしば労使の対立が生じていた。
 その後、国鉄が、85年12月、施設関係職員の余剰人員対策として各保線区に設けた「保守グループ」には、多数の分会役員・活動家が配置され、上野保線区では、赤羽保線駐在と大塚保線駐在に計68人の職員が配置されたが、その中で30人が分会役員であった。そして、86年7月以降、人活センターが設定された後、配置された職員を見ても、「保守グループ」に配置されていた大部分が引き続き、担務指定され、分会役員28人が含まれていた。
 その後、民営化直前の87年3月10日、上野保線区では、関連事業への兼務発令を受けた28人の職員のうち、国労所属は23人で、分会三役のほか、ほとんどが分会役員であった。その結果、87年4月1日の時点で、分会執行部で本務に残ったのは、14人中執行委員3人のみであり、青年部三役では副部長1人という状況で、まさに、職場における分会の組織的機能は麻痺するに至り、急遽、暫定三役を選出しなけばならない状況になった。
 これらの事実から、東京地労委1989年11月21日命令は、「本件各発令国労を嫌悪し、従ってまた上野保線区分会の存在とその活動を嫌悪した会社が、国労の拠点職場の一つとして目されていた同分会執行部の役員・活動家である申立人組合員ら(32人)を本務職場から排除することによって分会の活動を妨げ、もってその弱体化を図ろうとする意図のもとになされた組合の組織運営に対する支配介入である」と認定した。
 配転を不当労働行為として救済申し立てをした事件は本件のほか多数あり、救済命令が発せられた。

続く
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国鉄労働組合史 234

2011-07-18 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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三 配属・担務差別

 JR東日本神奈川運転士配属差別事件

 本件の事実概要と命令要旨は次の通りである。民営化後、国労組合員の配属は、たとえば電車運転士の場合のように、従来の職場に、従来の職務でとどまるケースがほとんどないといわれるほどの状況にさらされたが、神奈川運転士配属差別事件は、まさにその不当労働行為救済申立事件であり、国労本部、国労東京地本、国労東京地本横浜・国府津両支部などが、両支部所属の、弁天橋・東神奈川・大船の3電車区、国府津・伊東の両運転区の運転士196名が、国鉄の民営化前に行われた、国鉄品改革法第23条による新会社への採用の後の配属で、動労・鉄労などの他組合所属の組合員や国労を脱退した組合員との差別的な不利益取扱を受け、本来業務である運転士の業務から排除されたことが、不当労働行為にあたるとして、救済を申立てた事件である。
 組合所属別の組合員相互の比較対照すると、国労組合員のほとんどが、原職に止まっておらず、派出、構内、検査、兼務運転士等に配属され、動労の組合員は約90%が原職に発令されていた。
しかも兼務発令された運転士の業務内容は、名産品の売店での販売、ウドン・ソバなどの売店での製造・販売、オレンジカードの販売、清掃作業、その他の雑作業など、これまでの労働者各自の資格や熟練を活かすような業務ではなかった。
 神奈川地労委88年10月20日命令は、「国鉄幹部の発言や、他労組の動向などを併せ考えると、本件国労所属の運転士に対する異職種への配属が、他組合と比べ異常に高率であったことは、ストライキ権回復後の新会社の労使関係を考慮して、鉄道会社にとって期間部門である運転部門から国労組合員を排除するため、動労組合員など他組合員と差別して取扱ったものと認めざるを得ない。」として、本件配属措置を労組法第7条1号、3号に該当する不当労働行為と判断した。
本件のほか多数の配属差別事件について救済申し立てがなされ、救済命令が発せられた。
 不当配属について弁護士会へ人権侵害の申し立て 1987年3月に、東京から下関工事事務所宮崎浮上式鉄道実験センター( 宮崎県日向市) に配転された国労組合員の佐川徹二氏は、家族と同居できる勤務地への転勤を再三希望していたが、4年有余経っても何ら解決されず、夫婦と二人のこども(東京田無市居住)が、東京弁護士会人権委員会へ申し立てた。92年5月、東京弁護士会の「勧告」は、使用者は単身赴任が労働者・家族の「精神的・肉体的負担」や「家庭の崩壊につながるケース」があることも考慮して、「可能な限り単身赴任とならないよう人事に考慮し、長期とならない措置をとる義務があ」り、「長期の単身赴任は家族と過ごす基本的権利の侵害」として配転を勧告した。
 だが、その後もSの単身赴任状態は続き、94年5月20日に至って、同年7月1日付けをもって宮崎から東京国分寺市職場(特許課)に戻し、原告は裁判を請求を放棄する、との内容の和解が成立した。実に7年3カ月ぶりに家族一緒の生活が戻ったのである。

続く
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国鉄労働組合史 233

2011-07-17 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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三 配属・担務差別

 JR東日本新宿車掌区事件・東京地労委昭和63年2月16日命令は、国労から申し立てられた不当労働行為救済申立事件の中で、最初の地労委命令であったが、国労に所属していることによる使用者の差別的取扱、不利益処分と支配介入を明確に認めた。
この事件は、一国労組合員であるTに対する降格人事は、新宿車掌区始まって以来のことであって、区長らによる執拗な脱退強要をTが拒否したことに対する報復的な不利益処分であるとともに、他の国労組合員に対して、国労に所属している限りは担当業務の不利益な指定変更がありうるとの職制の言動を通じて、脱退を強要したことなどが、組織の動揺・破壊をねらった支配介入であるとされた。
 JRへの採用予定者に対し、設立委員は87年4月1日以降にむけるJRでの職場、職名等について配属通知を行ったが、この配属決定にあたり、大量の国労組合員が、電車運転士などの本来業務をはずされ、ソバ屋、売店など関連事業担当を命じられるという差別人事がおこなわれた。
 JR東日本神奈川運転士配属差別事件・神奈川地労委昭和63年10月26日命令は、国鉄の分割・民営化前の電車運転士の配属について、国労組合員であることを理由とする差別的取扱であり、国労への支配介入であると認めた。
 これら二つのの命令は、後に全国各地の地労委に申し立てたさまざまな事件において、国労の連続勝利命令を勝ち取る上で、大きな意義をもった。この二つの事件と弁護士会への人権侵害申し立てによって和解を勝ち取った例について以下述べる。

 新宿車掌区事件

 JR東日本新宿車掌区における国労の組織率は、新会社発足前には100%近くであったが、民営化の後でもなお約80%の組織率を維持している国労の拠点職場の一つである。
 国労東京地本八王子支部新宿車掌区分会の、所属組合員であるTは、国鉄時代には専務車掌から運教(泊り勤務の派出担当)に昇格していた。1987年4月、新会社に採用の後には、職名は車掌と変更されたが、業務内容は変わらず内勤車掌としてひきつづき派出担当であった。さらに、同年5月1日に日勤勤務の運転担当(以下「内勤の運転担当」という)に指定された。
 JR東日本のの職制は、Tに対して「内勤は国労では困る。区長から再三いわれている。」旨の言動を繰りかえし、意識改革(国労脱退)を迫っていた。Tがこれを拒否した直後に、内勤の運転担当から電車乗務の車掌へ指定替えをされた。
 さらに、国労同分会の組合員であるY・N両氏に対して、指導助役が、国労に所属している限り、担当業務の不利益変更がありうるとの言動をとった。なお、民営化後には、助役も労働組合に加入できるようになったので、「JR東日本鉄輪労働組合(後に東鉄労に加入)」という労働組合を結成していた。 都労委命令は、要旨次のように判断し、不当労働行為にあたるとした。
 Tに対する内勤の運転担当から電車常務への指定替えは、「Tが国鉄時代に専務車掌から運教(泊まり勤務の派出担当)に昇格し、さらに新会社発足後、内勤車掌と呼ばれる日勤勤務の運転担当に事実上格上げされたのち、今回、電車乗務に指定替えされ、内勤車掌の業務といえない業務につかされたことは、たとえ形式的には職名が車掌のままで変わらず、また、給与面で不利益となることもないとしても、実質的には、いわば二段階下の(「日勤勤務の運転担当」と「泊まり勤務の派出担当」より下の)業務への格下げに該当する『不利益処分』といえる。」「同人の『小集団活動』に対する姿勢が消極的であるとしても、それが同人を二段階降格させたことについての合理的理由になるかどうかは甚だ疑わしい」。区長が申立人分会の分会長に対して、「新宿車掌区において申立人分会の組織率が高いのは望ましくなく、かつ国労所属の組合員は内勤車掌の業務に従事すべきでないとの同区長の考え方を示す発言をしたうえ、申立人分会所属の内勤車掌に対し申立人分会よりの脱退を勧める発言をしている。」
 その後、本件は社会的にも注目され続け、中労委昭和63年12月7日命令でも同じく不当労働行為にあたると判断された。Tは緊急命令が認められた後、89年7月17日に、原職復帰となった。
 これに対して、JR東日本側は、行政訴訟に持ち込み、争いを継続した。一審の東京地裁平成4年7月27日判決では、使用者が「不利益性を認識した上で、それによって組合活動にたいして不当な制約を加えることを企図した場合には不当労働行為となる」と判示した。二審の東京高裁平成5年5月20日判決でも維持された。そして、最高裁第二小法廷平成6年11月11日判決も、JR側の上告を棄却したのである。
 このように、国労の勝訴が確定した結果、同年11月15日、JR東日本は、松田昌士社長名で、国労東京地本、八王子支部、新宿車掌区分会宛に、謝罪文を掲示した。
 

続く
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国鉄労働組合史 232

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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二 採用差別

地労委救済命令の内容

 1988年11月28日の大阪地労委を皮切りに、神奈川、北海道、福岡など全国の17地方労働委員会すべてにおいて、JRの不当労働行為責任を認め、会社に対し、不採用となった者をJRの職員として採用したものとして扱うよう求める救済命令が発せられた。
 JRの使用者責任 いずれの地労委命令も、国鉄が行なった職員の選別=採用候補者名簿作成の行為は、分割・民営化に反対していた国労所属の組合員・役員を他の組合所属の組合員と差別した不当労働行為であると認定し、論旨の展開において異なるところがあるが、いずれも、以下のように国鉄とJRの実質的同一性を根拠にJRの不当労働行為責任を認めた。
 「新会社の採用手続きにおいて国鉄にこのような採用候補者の選定と名簿作成が委ねられたのは、新会社の職員となるべき者を国鉄職員のみから募集・採用することとしているため、採用候補者の選定作業を、国鉄職員に関する資料を有している国鉄に行なわせることが実際上最も適切であることによるものである。
 従って、国鉄による上記職員の選定と「採用候補者名簿」の作成作業は、国鉄の判断で行なわれるものではあるが、設立委員の決定した採用基準に従って行なわれ(改革法第23条第2項)、かつ選定判断の基礎とした資料を設立委員に提出すべきもの(国鉄改革法施行規則第12条第2項)とされているとおり、設立委員の権限と責任に属する採用過程の行為を国鉄が代行して行なったものと解される。」
 したがって、「本件採用手続きにおいては設立委員が自らの判断と責任で新事業体の社員の採用を決定する建て前の下に、採用者・不採用者選定の実際上の作業を国鉄に代行させる方式が取られたのであるから、設立委員が国鉄に代行させた上記「採用候補者名簿」作成過程で不当労働行為に当たる行為型存する場合には、それは国鉄を行為者とする設立委員の不当労働行為であって、設立委員が責任を負うべきは当然である。」(以上、東京採用差別事件・東京都地方労働委員会命令1989年8月1日)
  「被申立人両会社は、分割・民営化により、国鉄とは法人格を異にしたとはいえ、事業内容、資産、施設、役職員、労働条件の承継ないし継続等からみて、国鉄と実質的に同一性を有するものといわなければならない。」
 「国鉄が行なった選別行為は、国鉄の分割・民営化に反対していた国労組合員及びその役員と差別して行なった不当労働行為であり、これによって生ずる責任は、非申し立て人両会社に帰し得るものである。」(北海道)
 差別事件・北海道地方労働委員会命令1989年1月12日)このように、各地労委の命令は、国鉄とJRは、法人格を異にするとはいえ、事業内容、資産、施設、役職員、労働条件の承継からみて実質的に同一性を有すること、また、改革法の規定やその解釈・運用からも、国鉄が国労組合員を差別して採用者名簿に登載しなかったという不当労働行為について、JRに使用者としての責任があることを明らかにした点に意義がある。
 多数の救済命令のなかでも、特に、1704人の大量の救済対象者全員の採用を命じた北海道地労委の命令は、「大量採用差別事件」について、「すべての論点について明確で揺るぎない判断を示し」、「リーディングケースとして先駆性を持つ」ものと言える命令であった(「北海道地労委命令の特徴と意義」国鉄労働組合北海道弁護団『国鉄新聞』第2106号1989年1月27日)。
  
救済の方法 それぞれの地労委命令は、救済の方法についても、地労委によって特徴があるが、いずれも申立を行った国労組合員を全員、JRの発足時にさかのぼって採用したものとして取り扱うよう命令じた。
 各地労委は、命令の主文において、JR各社に対し次のように命じた。
  ①救済対象者となった国労組合員を全員1987年(昭和62年)4月1日以降JR各社の職員として取り扱うこと。
  ②JRの社員として採用されていたならば得たであろう賃金相当額と清算事業団において実際に支払われた賃金との差額を支払う。
  ③謝罪文の手交。
 このように全員の採用という基本的な救済の方法に加えて、各地労委命令は、それぞれ特徴を持った救済の仕方を示している。
 たとえば、神奈川地労委命令は、国鉄時代の本務相当職に就労させるよう命じている。北海道地労委命令や福岡地労委命令は、就労すべき「職場・職種の決定について」労使間での協議を命じたり、或いは、誠実な協議に委ねることが適切で圧と指摘している。
特に、福岡地労委命令は、JR側が、「不採用者とは一切関係がないとして」すべての審問期日に欠席を続け、「申立人らの言い分に耳を貸そうとしなかった」ことに照らすと、「採用取り扱い措置を命じることによって労使関係正常化のための」労使協議が行われるよう期待するとしている。
 採用差別事件における最初の救済命令である大阪地労委の命令が出された1988年11月30日に、国労は、要旨以下のような声明を発表した。
  この命令は国鉄とJRの実質的同一性とJRの使用者責任を認めたものであり、分割・民営化で国鉄・設立委員・JR西日本が一体となり行った国家的不当労働行為を断罪するものだ。
 同時に、国鉄改革の反憲法的ぎまん性を明らかにしたものと判断できる。
  この命令は、JR各社に採用を拒否され、清算事業団背人間 の尊厳さえ奪われ雇用・生活不安にさらされている全国の多くの労働者と家族を励まし、確信と勝利への展開を与える。また採用されたものの鉄道輸送職場から放り出され、配属差別で地労委闘争を闘っている労働者、きびしい労働条件のもとで歯をくいしばり闘っている鉄道輸送職場や子会社の労働者を励ますものである。
  われわれは、JR西日本が地労委の命令を完全に履行し中島、大矢両君をただちに社員として取り扱い電車運転士として原職 に復帰させることを要求する。
  今日まで支援いただいた多くの労働者・労働組合・民主団体 に心から感謝するとともに、引き続き支援を訴え、これからも 国鉄・JRの不当労働行為を社会的・法的に糾弾し、国労に対 する団結権侵害が是正されるまで闘いつづける決意を表明する。
 北海道地労委命令が出された直後、多くのマスコミがJR各社に対し労使紛争の解決と労務政策の転換を求める社説を掲げた。例えば、89年1月22日の朝日新聞社説「JR紛争が問いかけるもの」は「国鉄の民営に伴って発足したJR各社に対し『国鉄時代の従業員の採用差別や配転に当たって、組合間差別をしたことは明らか』とし救済を求める命令が地方労働委員会から相次いで出されている。会社側にもいろいろ言い分はあろうが、第三者機関がはっきり認定した意味をJR各社は重く受け止め、紛争の解決に誠意をもって取り組んでほしい」と指摘したが、同旨の論調は北海道新聞などにおいてもみられた。

続く
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国鉄労働組合史 231

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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二 採用差別

 差別事件の特徴と争点

国労の救済申し立てに対して、JR各社は、国鉄と新会社は別組織であって新会社は不当労働行為上の使用者の立場にないと主張して、審理に出席しないなどの対応をとった。
国労は、地労委の審問において①採用差別の不当労働行為の背景となった国鉄の労務政策と国労攻撃の経過、職員管理調書の問題点、採用差別の実態を明らかにし、そして②改革法の定める採用手続きとその実際からも、また、国鉄と新会社の実質的同一性からいっても新会社に不当労働行為責任が存することを論証した。
まず、採用差別の不当労働行為性について、以下のような主張を行なった。
 「改革法23条は、国鉄職員はいったん国鉄を退職したあと、JRに新たに「採用」されるという手続きをとった。新会社への移行にあたって要員枠が21万5000人と決められ、その結果として、6万1000人の国鉄職員が「余剰人員」として新会社に移れないことになるが、そのため職員の中に「雇用不安」を醸成し、「国労に残っておれば新会社に採用されない」との攻撃が展開された。改革法23条は、その攻撃の制度的な裏打ちとして利用された。
  新会社への移行にあたって、職員の雇用関係は、法形式上、承継されることなく、「採用」という形式をとったため、新会社への職員の「振り分け」に際して、組合所属を理由と差別的選別=不当労働行為の介在する余地が残された。しかし、参議院における付帯決議において、職員の採用基準および選定方法についていは、客観的かつ公正なものとするよう配慮するとともに、所属組合等による差別等が行われることのないよう特段留意をすることの旨定められたように、改革法による選別=採用手続きにおいて不当労働行為が行われてはならないことは立法府の意思でもあった。すなわち、国鉄の分割・民営化という国家的政策を実現するという改革法の目的のためには、その政策実現が、憲法28条の保障する労働基本権より優先され、労組法7条の不当労働行為制度の適用は排除されるなどと解すことができないことは明らかであった。それにもかかわらず、こうした労働基本権保障の趣旨に反して、組合間差別が行われた結果。膨大な数の国労組合員が新会社への採用を拒否されることとなった。」
つぎに、JRが使用者責任を負う立場にあるかどうかという点にについて、つぎのように主張した。
  改革法によって国鉄に委ねられた「採用者名簿」の作成行為は、「形式上『採用』権限を持つとされた設立委員の権限を自ら代行し」、「自ら実質上の採否の決定を行なったものと認められるのであり、国鉄の『採用者名簿』作成の行為は設立委員の『採用』にかかわる行為と評価されるべきものである。」
  また、国鉄と承継法人は、事業の内容・形態、資産・債務関係、株式、役員・従業員の構成、労務政策・労務管理などあらゆる面で、実質的同一性を有することは明らかである。(以上東京採用差別事件国労「最終陳述書」より要約)。
これに対して、JR側は、労組法7条の非申し立て人としての適格性を有しないと主張して、申し立ての却下を求めた。すなわちー改革法23条に定められた職員の採用手続きに関する規定および現実に履行された採用手続きによれば、従来の雇用関係が当然に承継されないこと、また、採用候補者の選定と名簿作成は、国鉄の責任と権限に基づき独自に行なわれたものであるから、設立委員は、名簿に記載された者のみを対象に採否の決定が可能であり、名簿に登載されていない組合員については、たとえ、そのことが違法であったとしても、これを採用する余地は法律的になかったのであって、当該組合員との関係では、使用者としての権限を行使し得る立場になく、設立委員、新会社とも不当労働行為法における使用者には該当しないと主張した。
(JR「答弁書」より要約)
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国鉄労働組合史 230

2011-07-14 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第六節労働委員会闘争をはじめとする権利闘争
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一 労働委員会への大量の救済申立

「分割・民営化」に際しての国労組合員に対する採用差別や配属差別、さらには分割民営化直後から行われた担務差別、配属差別、出向差別、脱退強要等の不当労働行為事件について国労は全国的に地方労働委員会への救済申立を行うとともに、若干の事件については裁判所へ訴えや仮処分を提起した。
分割民営後2年を経過した89年4月現在でみると地労委への救済申立件数は次のとおりである。

採用差別         19件     17地労委
配属差別         76件     23地労委
配転等差別        34件      15地労委
出向差別         25件      14地労委
脱退強要         15件 6地労委
組合バッジ 10件 4地労委
手当・昇進等差別 13件 7地労委
その他 20件 10地労委

救済申立はその後も増えつづけ、95年8月現在では、その件数は次のとおりとなった。

採用差別         19件     17地労委
配属差別         77件     23地労委
配転等差別 47件 18地労委
出向差別 32件 14地労委
脱退強要 19件 8地労委
組合バッジ 26件 7地労委
手当・昇進等差別 73件 12地労委
その他(団交拒否・組合事務所など)24件 13地労委

国労の救済申立に対し、各地の地方労働委員会は相次いで救済命令を発した。89年4月以降95年までに発せられた救済命令の件数は次のとおりである。
89年4月現在 21件( 33事件) 3、449名
90年4月現在 74件( 112事件) 6、198名
91年4月現在 95件( 141事件) 7、479名
92年4月現在 105件( 152事件) 7、821名
93年4月現在 111件( 16二事件) 8、409名
94年4月現在 121件( 181事件) 9、114名
95年8月現在 130件( 199事件) 14、239名
  
続く
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国鉄労働組合史 229

2011-07-13 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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三 国民春闘路線と国労の闘い

 89春闘  円高不況を脱した日本経済が年率5?6%の成長をとげ、また前年来のリクルート疑惑の徹底究明と消費税の撤廃を求める国民の声が大きくなっている有利な情勢のなかでの89春闘であった。しかし、「連合」主導のもとで幹部請負的賃金交渉に終始し、このところの?スト無し春闘〝一発回答?路線からの脱却はならなかった。
 国労は3月13日、清算事業団を含めJR全会社に対し、3万円賃上げとともに前年に引き続き60歳定年制実施と労働時間短縮を求める要求書を提出した。賃上げ交渉では「会社の経営状況や世間の相場、各社の動向をみながら検討する」というのが会社側の統一した対応であった。4月13日の各社回答(東海は17日)は、昨年同様に各社間に格差がつけられ、本州三旅客会社等は5・06%、三島の旅客会社と貨物会社は4・96%で、いずれも民間相場(5・11%)を下回った。国労は、4月13日に要求の前進と労働委員会命令即時完全実施を求めて、17日には会社間格差に抗議し、60歳定年制実施・労働時間短縮など制度改善を求めてそれぞれ1時間のストライキと座り込みの大衆行動を展開した。しかし、JR発足後二年間の業績は当初見込みを大幅に達成しているにもかかわらず、JR総連主導の賃金交渉により昨年に引き続き民間相場以下に抑え込まれ、会社間に格差をつけられることになった。
  90春闘  1989年11月二1日、総評が解散して官公労組合も合流した連合(日本労働組合総連合会)と全労連(全国労働組合総連合)が結成された。同年1二月9日には国労などの参加した全労協(全国労働組合連絡協議会)が結成された。90春闘に臨んで連合は春季生活改善闘争として取り組み、全労連は90春闘懇談会とともに90春闘共闘委員会をつくり、大衆行動とストライキで闘った。国労の90春闘は、清算事業団雇用対策指定職員の全員解雇に反対する闘いと結びついた展開となった。
 国労は3月1二日、3万5000円賃上げを統一要求として各社いっせいに申し入れたが、会社側の対応は「経営基盤の確立が優先、JRグループおよび他民間企業の動向」を勘案して検討するという回答であった。組合員の賃金・生活実態アンケート調査にもとづく国労の要求は組合員と家族の切実な訴えを反映していたが、その声を背景として交渉をすすめるとともに、清算事業団雇用対策指定職員の希望するJR職場への採用も要求して全国規模四波のストライキを配置し、また解雇通知にも支援労組とともに大衆的抗議行動を展開した。3月19日から二1日にかけての第3波全国ストライキには、600カ所で組合員1万5000人以上が参加した。
 4月10日までに会社側はそれぞれに賃上げ回答をしてきたが、格差回答はさらに拡大した。それらは、本州3旅客会社・テレコム・情報システム・鉄道技研が5・97%、貨物会社が5・85%、四国・九州旅客会社が5・83%、北海道旅客会社が5・75%(いずれも定昇込み)というように四極に分かれた。国労は、とくに90春闘回答の代表とみられたトヨタの5・93%を下回る三島旅客会社と貨物会社については上積みを求めて交渉を強めたが、結局会社回答で妥結せざるをえなかった(4月1二日)。また、清算事業団関係については「3万5000円賃上げおよび本来業務職員と雇用対策指定職員との格差是正」を要求していたが、当局は「新賃金は本来業務職員のみ」と返答するだけであった。
 8月二日からの第55回定期全国大会で、90春闘の経過を振り返りつつ骨子次のような総括視点を明らかにした。
 「この3年間で会社間格差が拡大した。配分交渉のなかでも、基本給、扶養手当、都市手当等についても各社間に相異が生じ、都市手当の地域拡大、率の引き上げ等今後に問題を残した。
  各社の基本給表における各同一等級、号俸を比較してみると、これまでよりもさらに格差が生じていることが明らかである。
 高卒採用者で最低・最高の格差3600円、等級では二等級38号でみると最低・最高の格差6400円、5等級68号で二600円、8等級30号で二400円等となっている。
  各社の賃金体系に大きな変化が生まれてきている。また、諸手当の引き上げも各社が行ってきているが、これまた格差が出ている。各社の動向と格差拡大の傾向等十分検討し、全国的統一闘争の要求と行動を組織するよう全力をあげる。」
  「JRのなかにおいて、JR総連が団体交渉で主要な役割をもたざるを得ない現状のもとで、春闘の前進を獲得するためには労働者の切実な要求を正しく反映させることである。そのために国労がJRに働くすべての労働者の要求を取り上げ、組合所属の相違をこえた力として会社に反映できるかどうかが問われる。日常的な職場の運動のなかで、職場・地区・会社内等それぞれのレベルでの要求の一致にもとづく力の結集とその力を反映させる職場の取り組みが必要であり、日常的職場の労働組合運動の強化が求められている。」
  
続く
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国鉄労働組合史 228

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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三 国民春闘路線と国労の闘い

 88春闘 
 前年10月の民間「連合」の発足は春闘戦線にも影響をもたらし、これまで総評・中立労連などでつくっていた国民春闘共闘会議は中立労連の解散によって国民春闘連絡会に再編され、「連合」不参加の国労など総評左派単産やや中立組合などは88春闘懇談会を結成し、統一労組懇が初の『国民春闘白書』を発表するなど、春闘戦線も様変わりしてきた。賃上げ要求については、「連合」が6?7%程度のガイドゾーンを示し、春闘連絡会は「少なくとも7%程度」を要求基準とした。
 国労は、3万円賃上げとともに60歳定年制早期完全実施、私傷病欠勤有給休暇化などの要求も大きな柱として取り組み、3月17日に清算事業団を含め全会社に要求書を提出した(旅客6社は本部とエリア本部の連名)。賃上げ交渉における会社側の態度は「1年間の経営実績だけで会社の安定がはかられたとは判断できない」という統一した対応であった。これに対し国労は、まず東日本と東海における一方的な?兼務職はずし?に反対する4月1日の時限ストを皮切りに、9日と12日に東日本、東海、西日本で春闘要求前進をめざして時限ストライキを実施した。しかし、4月18日の各社いっせいの回答では、本州3旅客会社と通信、技研、情報システムの各社が一律4・2%(定昇込み)、三島の旅客会社が4・1%という格差回答で、民間平均の4・43%を下回っていた。
 国労は、「きわめて不満」という立場から会社側に再検討を求めるとともに、会社ごとの格差・分断を許さない立場から統一対応を基本に交渉をすすめたが、早期賃上げ実施をはかるため4月21日に妥結の方向を出し、配分要求の意思統一をして各社交渉に入った。しかし、清算事業団と新幹線保有機構では、昨年と同様に春闘段階では解答が示されなかった。
 国鉄分割・民営化後初めて実質的な賃金闘争となった88春闘について国労本部は、この年7月20日からの第52回定期全国大会で骨子次のような総括を行った。
 「昨年の春闘で、春闘相場を無視した形で鉄道労連の一方的な言いなりのもとに低賃上げに終わったことから、要求額の決定から団体交渉、ヤマ場の設定、回答指定日までの取り組みを重視し、 大衆行動とストライキを配置して進めてきた。要求では、国労がアンケート調査で示された労働者の生活実態にもとづいて賃上げ要求を出したことにより、鉄道労連は下部の組合員の不満を抑えきらず、要求を出さざるをえなくなった。
  また、賃上げ闘争とあわせ、60歳定年制の早期完全実施や私傷病欠勤による賃金の全額補償などの『生活・制度改善要求』を春闘の大きな柱として取り組んできた。私傷病欠勤の補償問題については、労働者の生活と権利を守る国労以外には、こうした切実な要求をとりあげてこなかったが、職場における8大要求署名運動を通じて下部の組合員の突き上げもあって鉄道労連でも取り上げざるをえなくなり、一部の会社においては不十分ながらも補償制度をかちとることができたことは大きな成果といえる。」
  
続く
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国鉄労働組合史 227

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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三 国民春闘路線と国労の闘い

 国鉄の分割・民営化によりJR体制が発足した1987(昭和62)年という年は、その秋に同盟と中立労連がともに解散して民間「連合」(全日本民間労働組合連合会)が発足し、新産別も1988年解散を決定、総評もまた1989年解散を予定するなど、労働戦線再編の流れが一気に加速した年でもあった(後述)。そして、そこにいたる過程が同時に、日経連をはじめとする経営側の賃上げ阻止政策に労働側が対決しきれずにすすみ、10年以上にもおよぶ春闘?連敗?さらには?スト無し春闘?の事態をまねいていた。そうしたなかで、国労など闘う労働組合戦線による?国
民春闘再構築?論がくりかえし強調されていた。
 さて、ストライキ禁圧の公労法のもとで闘いつづけていた国労の賃金闘争は、1960年代以降は民間準拠の公労委仲裁裁定で決着をつけるというパターンが定着していたが、第二臨調=行革路線下の国鉄財政破綻問題は一時国鉄の賃上げを棚上げするなど、その長年のパターンすら歪めはじめていた。そして、国鉄分割・民営化後の6エリアの旅客鉄道会社などに分割された会社などに対する賃上げ要求についても、単一組織としての国労がとう統一対応するか、団体交渉や就業規則・労働協約問題とならんで新たな課題であった。

 JR発足後の春闘で賃上げに会社間格差

 87春闘  87春闘は、国労にとって法的にもストライキ権をもった初めての?民間労組?春闘であった。しかし、清算事業団職員は別として、新会社などは4月1日以降でなければ春闘交渉に応じられないという態度にでることも予想され、国労としては会長や社長が決まればその時点で団交が行われるべきであるし、また本来ならば各会社の労働条件等を決めた設立委員会が団交能力を持つと考え、3月中には春闘要求を提出する方針であった。3月26日、4月1日以降の新賃金要求を各旅客鉄道会社、貨物鉄道会社、清算事業団などに、国労本部委員長名で提出した。
その要求内容は、①4月1日以降の基準内賃金を2万9000円(13・1%)の原資をもって引き上げること、②35歳17年勤続の条件を有する者の基準内賃金を24万2000円とすること、などであった。新賃金要求の交渉は、全国一社の貨物会社などは国労本部があたり、6旅客会社とは各エリア本部が交渉をすすめた。
 これに対し各会社側は、①4月1日に新会社がスタートしたばかりであり、賃上げにあたっては経営実績をみて判断すべきであるがそれができない、②民間企業の賃上げ相場が十分に出そろっていない、③3月まで同様な経営形態であった公企体等四現業の動向をみる必要がある、などとして、4月下旬段階にいたっても具体的解答は示されなかった。ところが、鉄道労連(JR総連)などが4月28日を回答指定日にしていたことから、会社側は同日、組合側に突然回答通知を行い、夕刻になって各社いっせいに回答を行った。
 各社の賃上げ回答内容は、いずれも一律0・95%、2200円前後であった。これは、4月1日の新会社発足時の採用給に「定期昇給」相当分が組み込まれていたことが考慮されているとみられたが、しかし「定期昇給」相当分(2・22%)を含めたとしても3・17%にすぎず、民間相場(3・56%)を下回っていた。
 国労は、この内容では「きわめて不満である」として会社側に再検討を要求し、また会社ごとの分断・差別を許さないとの立場から統一対応を基本として取り組んでいったが、鉄道労連等が「受諾」した状況と賃上げの早期実施という点から、5月7日の中央闘争委員会で受諾を決めた。そして、エリア本部賃金担当者会議で配分要求と交渉の進め方について意思統一を行い、各会社との配分交渉を経て新基本賃金表作成をすすめ、5月22日以降に各社とも妥結した。なお、清算事業団と新幹線保有機構は、いずれも公団の性格を持つ特殊法人であり夏の人事院勧告に強く影響を受けざるをえないということから春闘段階での解決にいたらず、清算事業団の87年度賃金改定妥結は翌1988年1月になった。
 民間労組になってからの初の春闘について国労は、この年9月2日からの第51回定期全国大会で、骨子次のような総括的視点を明らかにした。
  
 ① 「国民春闘」はもともと企業別組合の弱さをカバーするため
  に賃金闘争を産業別統一闘争として、そして全国的規模で闘うことから始まった。しかし、ここ数年、産別統一闘争の空洞化と産別自決論のもとでの企業自決的な傾向が強まり、春闘連敗からの脱出ができない状況をつくり出している。
 ② JRの新賃金闘争については、新会社移行に伴う諸問題への対応に終始した面や、新会社発足後初の取り組みということもあって、ヤマ場の設定、交渉の進め方など不十分さを残した。配分交渉では、組合要求を対置して取り組んだものの、その前段の賃金回答の段階で他組合の動きを牽制することが
  できずに終わったことは、今後に残された課題といえる。

続く
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国鉄労働組合史 226

2011-07-10 20:06:51 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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さて、会社側の説明によれば、「経営協議会、団体交渉、苦情処理の3点セットを効果的に進めれば、労使関係はスムーズに行く」ということであった。しかし、その実際はどうであったか。
 まず、経営協議会についてみると、付議事項として「業務の合理化・能率の向上」や「事故防止」などがあげられているが、これらの問題を会社側は一方的に説明するだけで組合側の意見を聞き入れるという態度ではなく、むしろ経営協議会で説明(協議ではない)したからといって「合理化」を実施し、関係する労働条件について団体交渉を要求すれば「労働条件の基準に関する事項」でなく「基準の運用」については交渉の必要がないとし、またダイヤ改正については経営協議会の議題であって支社レベルではいっさい団体交渉には応じない。
 つぎに団体交渉についてみれば、東日本会社以外は労働条件について「基準に関する事項」以外は交渉に応じないで、会社側にすれば他の組合が就業規則の内容を総合労働協約として締結していることをふまえながら「基準は定められおり、運用は労務指揮権に属する」から団体交渉はやる必要がないという。職場段階にいたれば、現場長が勝手に勤務を変え、始終業時刻を変え、職務についても「上長の命ずる業務」ということで何でもやらせる。
とくに他組合が会社提案どおり妥結してしまえば、少数派の国労の団体交渉は形骸化する事態になる。貨物会社では、支社に団体交渉はなく経営協議会なら行うという態度であり、四国会社などは、団交を進めても個別労働協約は一切結ばないという態度である。
 苦情処理についてみれば、まず事前審理で労使各委員の意見が一致しないで「内容が苦情処理の対象として適当でない」と却下され、苦情処理会議が開かれたとしても労使の意見対立で却下されるのが常態となっている。期末手当カット、昇給カット、不当配転等々、本人にとても納得できないケースが取り上げられないとすれば、これは「苦情抹殺制度」ではないかというのが実態である。
 このような労使関係は、まったく異常というほかない。国労は、このような事態を生み出している労働協約について、団体交渉で繰り返しその改訂を申し入れてきたが、会社側は「問題はない」といってそれに応じない。団体交渉について国労は、骨子次のような要求をかかげて、重点的に取り組んでいった。
 ① 団体交渉事項について  賃金や勤務等労働条件の「……基準に関する事項」となっているものについて、この「基準に関する」を削除し、労働条件について基準はもちろん労働条件に関するものはすべて団体交渉事項とすることを要求する。「基準」しか交渉しないという会社の主張は、就業規則の運用つまり業務命令を会社の思うままにしたいという考え方である。
 ② 団体交渉単位について  団体交渉単位を拡大することを要求する。現場長・営業所長・支店長・支社長等は、それぞれ権限をもっており、年次有給休暇の時季変更権は事実上現場長が行使している。それぞれの段階での「長の権限」と責任の範囲において交渉単位が設置されるべきである

続く
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国鉄労働組合史 225

2011-07-09 10:00:00 | 国鉄労働組合史

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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二 JR各社等に対する国労の対応と団体交渉

 JR体制下の国鉄労働組合の団体交渉の実態

 公労法適用下にあった国鉄時代の国労の団体交渉は、国鉄本社?国労本部間はもとより管理局・地方機関?地方本部間そして事業所?支部間、さらには地域単位・職域単位や「現場」での協議・交渉が行われていた。たしかに公労法は、「管理運営事項」を団体交渉の対象にすることを禁じたり、「予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容」とする協定の法的意味を否定していた。しかし実際には、長年の闘いとその成果のうえにたって、国労はそうした公労法上の制約をのりこえて団体交渉をすすめ、また協定を締結するまでに労使関係を成熟させていたといえよう。だが、このような長年にわたって培われてきた労使関係を全面的に否定したのが、まさに国鉄「分割・民営化」であった。
 「現場協議に関する協約」は、国鉄分割・民営化を提言した第二臨調第三次答申(1982年7月)と前後して破棄されたが、国鉄改革=分割・民営化の過程でそれ以前の労使間協定などは一部が清算事業団に引き継がれただけで、新会社等の発足と同時にそれらのすべてが白紙となり、新会社などから提案された新労働協約案には会社ー労働組合関係を定めたいわゆる債務的部分しかなく、労使間の新しい協議・交渉制度としては①経営協議会、②団体交渉、③苦情処理(会議)の三制度が規定されていた(東日本旅客鉄道の場合)。
 新労働協約によれば、これら三制度は次のような内容になっていた。


  1、経営協議会


  目  的  会社は企業の繁栄を目的として、組合と相互の意志疎通を図り企業運営の円滑を期して、   組合との間に経営協議会を設ける。


  設置単位  経営協議会は、本社及び地方において行う。地方における経営協議会とは、東京圏エリ ア、東北地域本社、新潟支社、長野支社、盛岡支店、秋田支店。


  付議事項等  ①業務の合理化ならびに能率の向上に関する事項、②福利厚生に関する事項、③事故防止に関する事項、④その他会社側と組合側とが必要と認めた事項、⑤その他会社は必要に応じて事業計画、営業報告及び決算等につき組合側に説明する。


  2、団体交渉


  原  則  団体交渉は、信義誠実の原則に従い秩序を保ち平和裡に行う。


  設置単位  団体交渉は、本社及び地方において行う。地方における団体交渉とは、東京圏運行本部、東北地域本社、新潟支社、長野支社、盛岡支店、秋田支店、高崎運行部、水戸運行部、千葉運行部。


  交渉委員  団体交渉は専ら交渉委員がこれを行う。


  交渉事項  ①賃金、賞与及び退職手当の基準に関する事項、②労働時間、休憩時間、休日及び休暇の基準に関する事項、③転勤、転職、出向、昇職、降職、退職、解雇、休職及び懲戒の基準に関する事項、④労働に関する安全、衛生及び災害補償の基準に関する事項(以上「の基準」はのち削除)、⑤その他労働条件の改訂に関する事項、⑥この協約の改訂に関する事項。
  協約等の調印  団体交渉において妥結した事項については、双方の機関を代表する者で記名、押印を行う。


  3、苦情処理


  苦情処理会議  会社と組合は、苦情処理機関として中央苦情処理会議と地方苦情処理会議を設ける。会社を代表する苦情処理委員は会社が、組合を代表する苦情処理委員は組合が、それぞれ対応の機関ごとに指名する(労使同数)。別に、簡易苦情処理会議を、地方苦情処理会議が設置される個所に常設する。


  苦情処理の範囲  組合員が、労働協約及び就業規則の適用及び解釈について苦情を有する場合は、その解決を苦情処理会議に請求することができる。


 当事者が、地方会議の解決に異議のある場合は、中央会議に対し異議の申立をすることができる。組合員が、本人の転勤、転職、降職、出向及び待命休職についての事前通知内容について苦情を有する場合は、その解決を簡易苦情処理会議に請求することができる。


  効  力  会社並びに苦情申告者、異議申立者及びそれぞれの所属する組合は、苦情処理手続きによって最終的に決定された事項を、責任をもって実施しなければならない。簡易苦情処理会議の判定及び決定については最終のものとし、苦情申告者及び会社はこれに従わなくてはならない。

続く

 

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国鉄労働組合史 224

2011-07-08 10:00:00 | 国鉄労働組合史

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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第五節 JR体制下での賃金・労働諸条件をめぐる取り組み
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二 JR各社等に対する国労の対応と団体交渉

 六つの旅客鉄道株式会社との労働協約締結交渉過程で問題となった国労中央本部が協約調印の当事者となることへの会社側のいいがかりは、全国単一組織としての国労組織をまったく理解しようとしない態度であった。否むしろ国労組織を無視することによって、JR労使関係から国労をなきものにしたいとの会社側願望の意思表明でもあったといえよう。しかし、国労中央本部としては、協約調印にあたってはその権限をエリア本部に委譲することによってこの問題をクリアし、貨物鉄道株式会社のように全国一社の会社とは国労中央本部が交渉に当たり、また協約締結の調印当事者となった。

 国労の統一対応・統一闘争

 1987年9月の第51回定期全国大会(東京・九段会館)で改正した新規約によれば、全国単一組織としての国労中央執行委員会の任務の一つとして「統一要求及び政策の提起と統一対応・統一闘争の指導」(第26条第1項3号)があり、その統一対応の課題としては①基本労働協約、②就業規則、③賃金、④労働時間、⑤全国規模のダイヤ改正等の合理化、⑥制度・政策課題、⑦政治課題、などがあげられていた。そして、従来のブロック本部を廃止して各旅客鉄道会社の範囲ごとにエリア本部を設け、それは団体交渉の単位となり、「中央本部の指示する事項の執行及びエリア内の諸問題について指令権を持つ決議執行の機関」(第6条)となっていた。
 そこで、国労中央本部はJR発足後も、採用差別をはじめ配置・配転・出向等にかかわる労働委員会闘争を中心とした全国的な闘いの展開、犠牲者救済を含む財政問題、教育宣伝など、多くの局面で統一対応をはかってきた。しかし、貨物鉄道会社のような全国一社の会社などとは中央本部が対応してきたが、分割された旅客鉄道会社とは私鉄経協と私鉄総連の賃金交渉のようにまだ統一交渉ができていない状況のもとで、会社ごとの対応の違いを含めそれに伴う統一闘争の不十分さも生じ始めた。さらに今後も、各会社がそれぞれの企業としての独自性を明確にし、賃金をはじめ労働条件等に差異が生じてくることも想定された。
 JR発足以来つづいている労働協約・就業規則改正の闘いにおいても、1988年度運動方針にそって国労は、改正要求を団体交渉事項・団体交渉単位など必要最小限にしぼってJR各社に全国一斉に提出し、その解決をめざしてそれぞれ交渉を重ねた。しかし、労働協約についての会社側の動きは二つに分かれた。ひとつは、貨物会社や九州旅客会社のように労使関係部分のみを協約化し、労働条件部分については従来どおり就業規則で取り扱うという方向であり、いまひとつは、労使関係部分に加え就業規則の定めをそのまま労働条件の協約として新たに締結したいとする方向(東海・西日本会社は総合労働協約として、東日本会社は二本の基本協約として)であった。国労はこのような動向に対し中央戦術委員会、エリア業務部長会議などで意思統一をはかりながら、労使関係部分のみの協約化を分離・先行して解決し、労働条件改善要求は団体交渉を継続していくこととした。その結果、1989年9月段階では、全体として就業規則の協約化について一応の歯止めをすることができ、さらに協約上の団体交渉事項の制限、つまり勤務や労働条件等の「基準に関する事項」を「関する事項」に改める要求についても東日本会社のみであったが実現した。 1991(平成3)年9月10日から開催した第56回定期全
国大会(東京・日本教育会館)において国労本部は、労働協約の締結状況にふれながら今後の闘いの方向を次のように決定し、その後の闘いをすすめた。
  「今日まで国鉄労働組合はJR各社(除く九州)と労使関係労 働協約(債務的条項)を締結してきた。この協約は、団結権・ 団交権・争議権を大幅に制限するものであるが、闘いを配置し 諸状況を組織的に判断し締結してきたものである。
 その後、各JR会社の独自性や対応の変化によってその内容にも変化が表れ、東日本、テレコムなどでは団交権の制限は大幅に緩和されてきている。しかし総体的には制限はとり払われず会社のねらいを打ち破れていない。
 こうした状況のもとでひとつの例として貨物会社の関係でみるならば、本部・本社では『基準に関する事項』にかかわりなく団体交渉は行われているが、しかしすべてという状況とはなっていない。協約では交渉の単位となっているエリア本部と支社とはこの4年数カ月間、団体交渉はゼロで一切開催されていないという屈辱的な状況であり、当然、支店や現場では『申し入れ書』でさえ受けとらない状況となっている。
 国鉄労働組合が一部のJR会社を除いてこのままの協約を継続していくとするなら国労運動の変質へと連動させる危険性がある。
 そこで今次労働協約改正闘争について第159回中央委員会(5月30日)で確認した方針を基本に取り組みを強化する。
この闘争の要求の柱は、"団体交渉の単位は各会社とも支店、事業場まで拡大を求める、"団体交渉事項は『基準に関する事項』だけでなく労組法で保障されている労働条件に係わるすべての事項とする、"苦情処理会議は当事者も参加して必ず開催させる"等である。」

続く

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